仕事と私、どっちが大事?
永遠の問題だと思うけど、個人的にはそもそもこんなセリフ言わせたら終わりだと思っている。
幸いにも言われたことはない。
仕事は最速で終わらせたいし、終わらないものはない。やろうと思えばどこまでもできてしまうけど、そもそも私の仕事はいくらでも替えが利く。
唯一無二の職人芸で食っている個人事業主はそんなこと言ってられないかもしれないが、組織に仕える身の上。誰かが抜けた穴はカタチを変えながらもやんわりと誰かが埋めて、時と物事が流れていく。
ルーキーの頃は「私がやらなきゃ」と抱え込んでしんどくなってたけど、中堅に差し掛かって気がつく。誰かが離れた後でも物事は粛々と回り、それなりに動き続けている。巨大なシステムに組み込まれた部品に過ぎぬ。私の代わりはいくらでもいるし、若人が変にしんどくなったところで上司の心労が増すだけだ。そんな様子を、たぶん普通の人よりは少し多めに目にしてきた。
最初は部品たる自分を矮小化していたが、今はこんなに気楽なことはない、とさえ思う。
役割をこなせてもこなせなくても、バトンは拾われて勝手に回っていく。無責任に聞こえるかもしれないが「所詮、そんなもん」だ。
ま、個人的には、後ろ指差されるのは心地よくないし、あとは他人に褒められると嬉しいし、周囲には幸せが溢れていたほうが良い。だから、役割に応じた責任感はあるし、周りを喜ばせる程度にはちゃんと役目を果たしている。でも、それで十分だと思う。
追い詰められすぎて二度と戻れなくなった人もたくさん目にしてきた。
……私の身の回りでは絶対に起きてほしくないし、私自身もそうはなるまいと固く誓っている。だから、あえて突き放した態度を取る。
それよりも、個人で看板背負わなきゃいけないことの方がよっぽど大変だし、己を試されるし、労力をかけたい。例えば趣味、恋愛、交友、エトセトラ。肩書なんて何にも関係ないし、同じ目的で動いてくれる他人もいない。たった一人で、丸腰の素裸で勝負しないといけない。仲間がいて、替えが利く仕事よりよっぽど難儀で重要で、限られたリソースを注ぎたいことだ。
仕事と私。きのことたけのこ。カレー味の……この喩えはやめておこう。連綿と議論されてきた究極の問い。
だけど、時間を含むリソースは有限で、どうしても優先順位に差をつけざるを得ない。だからこんな問いがこの世に存在する。
そしてその本質は、きのこか、たけのこか、二者択一を迫られているのではなく、「もっと私を気にかけて」という泣き声である。
好きな女(ひと)を泣かせるなんてオンナが廃る。
だが、この世の中、オンナを泣かせるヒトの方がオンナに追いかけられてたりすんのよね―。
すがりつかれるほど好かれてみたいものだけど。
わたしはどうも、そういう生き方ができないらしい。