売ってないもの、記念になるもの。
二十代の頃、入り浸ってた目黒のボロアパートに住んでいた画家の家には、いろんな人が出入りしていた楽しい思い出。銀座の画廊を会社を辞めて回り始めた時に知り合った画家の一人。手をかいてかくれないかなとボソッと行ったら(シワのあるバルチュスの手とか人の手は大好きで自分は画家に書いてもらいたかった)「手だけでいいんですか?よければ全部」と、モデルになり二作描いてもらった。彼もモデルは欲しかったからちょうどタイミングが合ったのだろう。
世代も近く、友達つながりで年末にシアターモリエールで芝居の企画があるので彼を紹介したり、だんだん役者も来るように。一番好きだったのは、そこに居たねこちゃん。おっさんくさくて格好良かった。
そこではたくさんの話が、そこに来る人によって変わるわけだがそれが面白かった。私は音楽、詩、文学関係の知り合いが多く、当たり前だが画家は画家の、役者は役者の他、それつながりで縁を持った人たちも多かったが、やはりそこにいたまだ駆け出しのみんなと話してるのが好きだった。あんなに貧乏なみんなだったのに助け合って、でも誰も貧乏なんて思ってなくて夢を持って明るく楽しく。長く泊まることになってもほんと気楽な信頼できる人だった。そんな人たちだから、実は狭い世界、あの人知ってるの?他共通のところで交友のある人もいて、世間は狭いとおもったもの。
その中でひたすら日記を書く人がいた。私はいつも三日坊主、見習わないととおもっていた。
いつだか筑摩で「月のノート」が当たると応募したら当たったのだけれど、すごく嬉しくてそこに想いを綴ろうとしたが、今見ると、えげつなくて見たくもない(笑)破いて捨ててる部分もあれば作曲のためなのかスケッチもある。ほとんどスケッチを後で使うことはない私。
どうかまたセンスのいいちくま文庫で、ノートプレゼントをしてもらえないだろうか。紙もしっかりして素敵なのです。
非売品という意味では、花田清輝の「鳥獣戯話」の特装版。リクエストしたものでの、抽選に当選して嬉しくて仕方なかった。今では贅沢な本だ。
なぜか横はないが天だけは金箔。
布の色も素敵。これは手放さないと思う。すでに箱が汚れてきていますが。
後みんなどうしているのかなあと思うのは、著者謹呈の紙。一応会うこともあるからと、しおりがわりに使うけれど、これただの紙だし、こうして手紙は別だったりすれば、名前が書いてるわけではないから破棄かな。
と、この本の間に、ステーションギャラリーに行ったチケット!
ラファエル・コラン素敵だもの、初日に行ったのがよく思い出されます。大抵初日になんでも行きます。テレビなんかでやられると、人が増えるから。
とはいえ、ある時から「最終日の女に名前変えておくね」と某画家さんにいわれるくらい、最終日の終わりのころ行くようになりました。(いつも絵だと、写真を撮るためにというのもあり、オープニングパーティにいっていたけれど、人と会いたくなくなってきて(笑)最終日にということがほとんど。あとは、人が避けそうなときなど)
で、冒頭に出た画家さんはスクラップに過去の映画や美術館に行ったのをスクラップにとってあり、懐かしいとよく眺めていた。しょっちゅういくから量もすごいし。でも私はいわゆる一般の美術展はあまり行かなくなり、現在生きている人たちと交友しながらだから、その人が一般大衆向けにやったのも取ってない。ただこうして読書のしおりにすると、いい思い出になるんだなあと。
50過ぎるとようやく見えてくるものってやはりあるんですよね。若い頃先生などに「まだ若いから何にもわからないし、変わっていくよ」と言われてまだ元気のあった私はちょっとムッときて(笑)変わらない!とおもったけれど、確かに軸は変わらないけれど、好みや、やはりカッとこない(笑)熱量の下がり方とか、確かに老眼で本を読むと疲れるとか、若い頃ほどの集中力に欠けるとか、あるのよね。ましてや、競争心も達成感(医学的にDNAが一個欠けてるとか。何か達成しても、で?ってなるだけなのよね。わーいと騒げる人が本当に羨ましい…)もない私には、えーいがんばるぞー💪と、自分に喝を入れるのが大事かと毎朝瞑想しています。
人は死をあまり自分に引き寄せていない。
何年後かに会えるとか、普通に思う人が多い。
ここは私は自分を褒められるのだが、体が弱かった私はスポーツで鍛えてた若い時でも、明日いるのかわからないというものをいつも心の片隅に抱えている。だから、いいや、と自分で判断する時にも、それを「後悔しないな」と確認して決める。あの人と今日話さないで時間経ってからでもいいのだな?その時自分が相手が万一地球にいなくても、後悔しないな?と。
ま、そこまで厳密ではないけれど、最低でも、どんな嫌な人でも(笑)別れる時は2度と会えない気持ちで笑顔で挨拶。
これひとつちゃんとするだけでも、事故があったときでも、心に納得できるのです。二十歳の頃結婚を決めていた友達が白血病で亡くなり、旦那さんになるはずだった人はウェディング姿での火葬を願い、あの姿は胸が痛かった。
生きている今を大事にするというのは、本当に大事なのだけれど、意外とみんな忘れてる。
大事にずっとしたい。