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ことばは大切な人ほど傷つける武器になる。 きっと武器の扱い方を知らないから傷つける。 こころが武器になることもある。 刺々しいこころがことばに伝わって悲しさを生み出す。 じゃあ、こころが武器にならないようどうしたらいいのか。 たぶん、大人になること。 大人になるには大変だけど、 ニンゲンを楽しむために必要で、大人だからうれしいこともきっとある。 未熟の今はそれしかわからないけれど、進むのをやめちゃだめだ。 怖くても、手探りだけど、どれを選んでも一緒なら後悔し
自分を知ることはわりと簡単。 最初はきっと誰かに教えてもらって、導いてもらって。 それから自分で考えたり思ったり、行動してまた考えたり。 見る聞く話す書く読む食べる触る嗅ぐ。 失敗も成功も、いっぱい経験をする。 学んで学んで、ずっと学べる。 そうして自分を知っていく。 自分と向き合うのはいつだってできること。 それなのに、自分を変えるのは本当に大変。 わかってるのに、わかってたのに。 どうしてまた、って落ち込む。 だけど、変わることが大変なことには気づけたから。
連絡くれて、こんなにも、嬉しい。 自ら交流を断ち切るつもりで過ごしてきたくせに、反省の念とはいえ連絡取りたがった私とまた繋がってもらえたことが、嬉しいと感じることも嬉しい。 一方通行な連絡であのヒトには届かないかもしれないけど。 繋がってもあのヒトには嫌われちゃったかもしれないけど。 抉られる痛さは私のしたことが返ってきてるだけだから仕方ない。 やる後悔を選んだだけのこと。 だから、昔ときっと一緒の優しさをくれたことに感謝しかない。 たぶんわかってたから、狡い私。
ここは本当にすごい世界。 知りたいことが部屋にいながら調べられるし、今まで思ってたこと感じてたこともしかしてって考えてたことを、私には上手く言葉にできなかったのに全部探せてしまう。 悔しくて、憧れて、頑張ろうって思う。 知りたいことを知れるのが幸せ。 やりたいことに出会えるのは幸せ。 眺めるだけじゃなく触れることができるのは幸せ。 すっかり大人になった今、子どもの時のように夢をいっぱい持ってさぁやるぞって訳にはいかないけれど、どれを選んだって私がやりたいことなんだから
あの人といっぱい話したいことがある。 あの人は今どうしてるんだろう。 いつだって話できる人とそうでない人と。 全部だいじにして来ればよかった。 ケータイやネットのおかげで、今出逢えた人たちとはすぐ連絡が取れちゃうけれど、あの時出逢ったみんなとは容易にそれができない。 私の大事な時間があそこにあって、それを懐かしんだり共有したりすることの困難が便利さによって突きつけられる。 そもそも懐古なんてものは不毛なのかもしれないけれど。 共有なんてしたくないって迷惑がられるの
私はたぶん直観力があるほうだと思う。 最初にそうかもと思ったのがなんでか忘れたし、感覚の問題だと思うから説明もできない。 その直観力があるからか、もしくはただのせっかちなだけかもだけど、よく見切り発車な喋りをしてしまう。 さらには落ちがあるならまだましで、最後に何を言いたかったかわからなくなることもしばしば。 そんな私が、何かを聞かれればできうる限り正確に説明しようとし、私が気づいたことがあれば、つらつらと説法のように話をしてしまう。 1から10まで、私が知ってること全部
告げられたのは12の歳。 今では1型糖尿病と言われているけど、当時は複数の呼び方があるというなんとも混沌とした病気になったなって思った気がする。 遺伝ではなく感染症の可能性もなくはないけどほぼ原因不明の突発性。 なんで私がって思わなくはなかったけれどわりと冷静で、でもほんとはショックを受けてるのに顔には出さず、今の私がみたら相当子供らしくない可愛くないって思ったと思う。 そう、そもそもそこが私の大きな問題点だったんだと思う。 どうやら私は繊細らしく、家族や親戚に問題があ
なんにでも、初めてのときは特に緊張する性格で、生まれつきなんだろうけど、発表会とかでさえ緊張しない人が羨ましくて不思議だった。 自覚のない人見知り。 でも初対面は話すこといっぱいあって大丈夫なほうで、2回目以降に発動する後見知り。 誰かの顔を覚えるのが苦手で、ブラピ病じゃんって言われた時は納得しかけたけど、一緒に仕事したり何度も話したら覚えてるんだからちょっと違うと今では思ってる。 名前は文字で見ると覚えることが多かったから名簿とか今でも好き。 そんな私だから、人との