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理想のファイター

告げられたのは12の歳。
今では1型糖尿病と言われているけど、当時は複数の呼び方があるというなんとも混沌とした病気になったなって思った気がする。

遺伝ではなく感染症の可能性もなくはないけどほぼ原因不明の突発性。
なんで私がって思わなくはなかったけれどわりと冷静で、でもほんとはショックを受けてるのに顔には出さず、今の私がみたら相当子供らしくない可愛くないって思ったと思う。

そう、そもそもそこが私の大きな問題点だったんだと思う。

どうやら私は繊細らしく、家族や親戚に問題があったり、学校という社会での人付き合いに煮詰まってて6年間が長すぎると思って通っていたし、周りの顔を伺うような生き方をすでにしていて、自分の感情に鈍く育ってしまっていた。

人生初の入院生活のことはわりと記憶が残ってる。
泣いたり怒ったり悲しんだりせず、自分を傷つける自己測定もそのうち始まった自己注射も恐る恐るではあっても抵抗することなく教育を受けてマスターした時、看護婦さんが褒めてくれてたのを、私がイイコにしてれば安心してくれるんだ、って勝手に悟った。

小学校なんて早く卒業したいと思っていたから、1か月の入院で休めるよね、嬉しい!
なんてのは甘い考えで、病院内の分校に一時転校扱いで通わなきゃいけないと知ったときは酷くがっかりしたのに笑顔の仮面で向かってたのも覚えてる。

間食はもちろん、ダイエットコークも無糖での珈琲紅茶もだめで、飴さえ舐めれない闘病の入り口。
それでも癇癪起こすことなく、仕方ないんだって我慢することに必死に集中したと思う。

そうした我慢、自己抑制からスタートした私の持病ありライフは、成長するにつれだんだん自己管理が悪くなり、私をどんどんこじらせたと思う。


検査結果が悪くて言い訳、不規則な生活に言い訳、助言はウザい、誰も私をわかるわけないーーーーーー

そして、私は私の身体をどんどんだめにしてしまった。


新型コロナウィルスがちょっと似てると思ってしまった。

ニンゲンが自己管理できてないと、チキュウがどんどん悪くなっていくみたいな。
ガイア説とかはよくわからないけれど、地球にとって人間が細胞のひとつになるのなら、人間は頑張らなきゃいけないんじゃないかと思う。

ストレス社会から解放されて、行きたかったところ行ったりして少しだけ自分のためにだけ生きられると思った矢先のまた我慢の日々だけど、自己中にだけはなりたくない。
この祈りにも似た意志は、感染したら私がやられるというだけの、ただの自己満足、自己欺瞞なんだろうけど。

全世界を巻き込んだウィルスに運命すら感じるんだ。

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三日月
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