書評:バッティストーニ『ぼくたちのクラシック音楽』+猫町読書会
アンドレア・バッティストーニ著 加藤浩子監訳 入江珠代訳『マエストロ・バッティストーニのぼくたちのクラシック音楽』音楽之友社 2017年
日本最大の読書コミュニティ・猫町倶楽部さん主催により月1回開催されてきた全6回「指揮者本からクラシック音楽を学ぶ読書会」シリーズも早いもので、最終回となった。その最終回を飾るにふさわしく、若きマエストロ・バッティストーニの著作が今回の課題本。例によって、本の内容および読書会で得た知識、さらに講師である音楽ライターの小室敬幸氏のレクチャーを踏まえた内容です。
若きバッティストーニ
1987年生まれ、イタリア・ヴェローナ生まれの34歳。2013年にジェノヴァ・カルロ・フェリーチェ歌劇場の首席客演指揮者、さらに2016年10月には東京フィル首席指揮者に就任したバッティストーニ。太めの体にクルクルくせ毛の黒髪、意外に愛らしい瞳と愛嬌ある表情から繰り出す大胆な指揮で、日本ではなかなかの人気者となっている期待の若手マエストロ。2016年には人気ピアニスト反田恭平氏とのラフマニノフピアノ協奏曲第2番をリリースし、人気実力若手同士の共演ということで話題を呼びましたね〜。
<この本は若きマエストロからの招待状です>と表紙にあるように、この本はバッティストーニが特に若い世代に向け、クラシック音楽の素晴らしさを語ったものだ。
若者だって「クラシック」が好きになれる!
「クラシック音楽」の「クラシック」という言葉に、バッティストーニは異議を唱える。<博物館の匂いがまとわりついている><若い世代の聴衆に、拒絶反応に近いものを引き起こす>と散々な言い様(笑)。しかし<博物館>とは、前回のアーノンクールも同じようなこと言ってたね。確かロマン派からずっと続く音楽なんてもう古臭くて、まるで「博物館」みたいって。しかしバッティにしてもアーノンクールにしても「博物館」=古い、ワクワクしないもの扱い。いや「博物館」大好きワクワク喚起させられる人もたくさんいると思うけど。まあそれは置いておいて。
バッティはいわゆる「クラシック音楽」が若者に何かを語りかけることができるのか? と自問しておいて、<答えは「できる!」>と明るく断言している。そしてまずは自分がいかにクラシック音楽に魅了されたかを語るのだ。
チェロを学んでいたバッティは、ある日オーケストラの中で演奏し深い感動を体験する。<生命力あふれる躍動が、僕を新しい力で満たし、慰め、熱狂させていた>
ソロでは得られない一体感に包まれるバッティ。
<自分が、音楽家たちから成る大きな有機体(中略)実体のあるリアルな集団の一員だと感じた>そこで音楽ができるという幸福感。そして、
<(スコアに書かれている)この魔法のような音の集合体に命を吹き込めるのは、オーケストラだけなのだ>と、オーケストラこそが自分の音楽を表現する手段だと確信する。その後バッティは、CDやスコアを収集し音楽に熱中したのち、ついに指揮者の道を歩み出すことになるのだ。
<とうとう、自分の楽器を見つけた。オーケストラを奏でてやる!>
オーケストラの指揮者
彼は作品解釈の目的を二つ挙げている。①作曲家が何を言おうとしているかを、指示に忠実に従いながら読み解くこと②どう演奏するか、演奏家の個性を出しながら音楽を自分のものにするための選択。
<聴衆は作曲家が書いたものを聴くのではなく、音楽を通じて作曲家はこう伝えたかったのだろうと、指揮者が「解釈した」ものを聴くのです>
指揮者の解釈をオーケストラを通して表現する。まさにオーケストラは指揮者の楽器。バッティはスコアを吸収するために暗譜をするそうだ。
そしてまずリハーサルで音楽を組み立て、オーケストラを「トレーニング」する。
いざコンサートが始まれば、指揮者は①オーケストラにテンポを示す②次から次へと起こる音楽の嵐を支える③演奏を始めるタイミングを演奏家に指示する という三つの基本的役割を果たす。
ここで小室さん情報だが、バッティの指揮は非常に分かりやすいそうだ。リハーサルでは指示を明確に行い、本番でもテンポや細かいタイミングの指示などとても具体的でオーケストラからの評判も上々、さらに大きな身振り手振りで客受けもいいそう。代演で振った東京フィルの首席指揮者に抜擢されたのも、そういうバッティの指揮ぶりが評価されたからだそうだ。
バッティの尊敬する指揮者
バッティは尊敬する指揮者として3名挙げている。まずはトスカニーニ。トスカニーニはイタリア音楽界では別格のレジェンド「おじいちゃん」だそうな。もう永遠のアイドル的存在と言えよう。
次にカラヤン。そのスター性とカリスマ性はいわずもがな、とりわけ彼の具体的で明瞭な指揮ぶりに、バッティは感銘を受けているようだ。自身の指揮スタイルに反映されているのかもしれない。
もう一人がストコフスキー。ミッキーマウスと共演するなど派手な行動が批判されがちだが、バッティは彼の極端なまでに一つ一つを際立たせる演奏や効果音的音の盛り上がりをとても評価しているらしい。つまり音楽性や解釈に共感しているということか。
ここで小室さんから、ストコフスキーが1965年来日し武道館で日本フィルと演奏したベートーヴェン「運命」の終盤部分のライブ映像の紹介があったのだが、もう本当に凄い。すごいデフォルメ。え曲終わった? と思うほどの間、ゆっくり。かと思うとふざけていると勘違いしそうな超スピード。非常に笑えたしクセになる。
ユーモアたっぷりな若きマエストロ
とにかくクラシック音楽の良さや魅力を伝えようとするバッティ。多くの名曲を分かりやすく紹介してくれているのだが、面白い試みだなと思ったのが、曲紹介のページにQRコードが添付していて、それを読み取るとまさにその曲が少し流れるのだ。文章のすぐ下に付いているから、読みながら即聴ける! 後で聴いてみようって割とやらないからね。すぐその場で聴けるとというのは、とても良いと思った。
バッティは、そこはさすが伝統的なイタリア人で、やはりオペラを非常に大切にしていることが本書からも伝わってくる。小室氏曰くイタリアおよびイタリア人は劇場的作品要素を重視しているから、やはりオペラこそが総合芸術、最高峰の存在なんだそうだ。そういえばアーノンクールの回でも思い出すのが、ポリフォニーだと楽器がうるさくて歌が聞こえないじゃん、歌詞が分からないじゃん! と文句言ったイタリア人歌手たちっていうのがあったな(笑)。
巻末の「冗談まじりの音楽小辞典」という項目も相当笑える。
<拍手:すぐさま拍手の音で邪魔するのは、実はこの手の原理主義者たちです。(中略)こんな無神経な拍手こそ、やめてほしいのですが!>
<キャンディ:もしコンサートにキャンディを持参するなら、ぜひ包み紙をはがしてきてください!>
<携帯電話:マーラーの《第九交響曲》のフィナーレのような部分で着信音が鳴り、(中略)ホワイエで鞭打ちの刑にされても仕方がありません>
<リコーダー(中学校の笛):ホラー。プラスチック製で、いろいろな色のものがあり、音楽への小さな最初の一歩を妨げるように作られています>
こういう感覚がマエストロから語られるというのが、とても楽しい。
クラシック音楽という、歴史や知識が聴く方にとってもある程度必要とされる世界で、バッティのような存在はファンとしても非常に頼もしい。新たな感性を持った若い有能なマエストロが生き生きと音楽を発信していけば、同世代あるいは若い世代の興味も呼び起こすことができるかもしれないし、そうなればクラシック音楽会も博物館みたいにはならないんじゃないかと思えた。
これで猫町倶楽部さん主催全6回「指揮者本からクラシック音楽を学ぶ読書会」シリーズも終了。シリーズを通して痛感したのは、マエストロとは、深い知識と技術、さらに哲学や独自の物語性を備えた存在なのだなということ。そんなマエストロが作り出す音楽をファンが聴いても、はっきり言ってとても深い理解はできないだろうと思うのだ。聴く側も努力で音楽知識を身につけていけば、感想や評価も変わるだろうとは思うが、まあそんなに簡単ではないですよね。というわけで、今回の講座でマエストロが考えていることを垣間見れた、あるいはポイントを知ることができて、私としては大進歩だった。また小室さんのこぼれ話やディープな話が非常に興味深かったです。
小室さんは次回から「マイルス・デイヴィス」についてのレクチャー講座を行うそうで、それも興味深いですが、ぜひともまたクラシック講座をしていただけると嬉しいな〜と思います。ありがとうございました。