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使い捨てタイトル
課題、とか、試験とかレポートとか参考文献とかバイトとかシフトとか響きだけで現実的だ。
その全部が「今ここにいる私」を彷彿とさせる。今ここにいる私はそれ単体ではいられなくて、色んな人と繋がった糸や私にぶら下がるやらなければならないこととかいろんなしがらみに繋がって囚われていつまでも落ちることができない。
私を繋ぎ止めてくれてありがたいんだけど同時に苦しくて、
でも多分その一本一本を切って仕舞えば、最後の一本で私は後悔する。
糸が切れてしまうのはやっぱり怖い。1人になることも、いまの私をつなぎ止めてくれている人と別れてしまうのも怖くて、おんなじ理由で、死が怖い。
ずっとずっとずっとずっと怖い。
自分の死も、でもそれより誰かの死を知ることが怖い。あなたの死に立ち会いたくない、その世界を知りたくない。
特定の誰かじゃない、あなただよ、あなた。みんな。私をここにつなぎ止めてくれるみんな。
誕生日に死なんてと思うかも知れないけど、まあ…生と死は表裏一体というか常に相関するもので、生きているから死を恐れるし、死が全ての終末であることを知っているから「生きて」いる。それでも私たちは死のことを何も知らない、知り得ない。一生無知を貫き通す。
正直に言うと、ことしは迷った一年だった。迷って迷って迷って、結果まだ、何も形になってない。何も決められないことを、決めるにはまだ未熟だからまずは勉強だ、そのために大学に来てるんだから、学ぶことから始めるべきなんだって言い訳して、結局受け身のまま迷っていたことを今なら認められる。
でも私には、昨日と今日の境目に線がある。
今回こそは、ごまかしとは言いつつたくさん学んで感じて得て出来上がった19年目の私だ。
自分の文章の抽象度合の主導権を、少しだけでいいから握りたい。
いっちばん近くで、わたしの書く文章を読んでくれて、わたしも包み隠さず全部読んでほしいと思える人に会いたい、今年は。20になってしまう前に。
あと、拙いけれど、贅沢な希みだけど、それでも構わないのなら、この文章たちを世の中に泳がせたい!!
自分から見つけてもらいに行くなんて本当は歯痒くて向いてなくて結構、痛い。
行きたくない予防接種に意を決して行く前のような感覚。実際はそれが予防接種なら行かない方を選ぶけど…
書いたものが誰かに吸収されて行く嬉しさは、痛みを超えた先にある、「和三盆の甘さ」だから。
今後もどうぞ、よろしくお願いします。
今夜は何かを抱きしめて眠りたい。