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瞑想をして変わったこと
2018年秋から瞑想をしている。きっかけはまあ、色々とあって書き切れない。始めたのはテーラワーダ仏教の手動瞑想と呼吸瞑想と歩行瞑想。最初はとりまぜて一日30分くらいやっていたけれど、紆余曲折を経て今は呼吸瞑想を一日10分ほど。たいていは朝やっている。
瞑想会に参加したのは一度だけ。時折テーラワーダ仏教に関連する書籍やブログを読みながら、基本的に一人でやってきた。もうじき6年になる。
親が老いたり、他界したり、自分自身も更年期にさしかかって、ちょうどライフステージが変わる時期でもあり、瞑想のおかげで○○が変わった、と言えるのかどうか自分でもよくわからない。あと、6年間やってきてしみじみ思うのは、その人のそれまでの人生と、瞑想の取り組み方によって、瞑想の効果は千差万別で、誰かの身に起きた変化が自分に当てはまるとは限らない、ということ。人によっては瞑想によってむしろ心身の状態が悪化するケースもあるかもしれない。
ということで、これから書くのは、あくまで自分の記録である。
① 家がきれいになった
きれいになった、というよりは、汚い状態を維持できない、という方が正しいのかもしれない。元々のだらしない性格はあまり直っていなくて、疲れると部屋の中が荒れてくるのは変わっていない。でも、そのままでいられないというか、何だか気になって片付けるようになった。6年前よりは頻繁に掃除をするようになったと思う。
裏返った洗濯ネットをちゃんと元通りに直すとか、そういう細かいことを億劫がるたちだった。瞑想を始めてからそれが難なくできるようになり、「こんなに簡単なこと、何で今までできなかったんだろ」と思うことが増えた。
宙吊りで見ないふりをしていた案件に向き合う回数も増えた。古い物を交換する、粗大ゴミを出す、使っていないサービスを解約する…極めつけは1年半前に家のリフォームをしたこと。大変だったけど夫と一緒に一つ一つ手順を踏んで、無事完成にこぎつけた。
② 料理がうまくなった
これも瞑想のおかげなのかは全然わからないし、相変わらず失敗することも多いのだが、料理をしていて、妙に塩加減や火加減が決まるというか、匙や時計で量ったわけではないのに「あれ、うまくいったかも」と思う機会が増えた。手が勝手に動く感じなのだ。
料理以外でも、何かをやっていて、ジグゾーパズルのピースがはまるみたいに、あるべきもの、あるべき言葉があるべき所にかちっとはまる感覚がでてきた気がする。
③ 絵を描くようになった
これは本当に自分でも驚きなのだが、どういうわけだが絵を描くようになった。家のリフォーム後に遊びに来てくれた教え子の奥様が、たまたま美大出身で、話の流れで絵を教えてくださることになり、月に一回の絵のレッスンが始まった。鉛筆画と木炭画を経て今は水彩画を習っている。やればやるほど面白くて、先月からは身の回りのものを毎日スケッチするようになった。今はもう、絵を描かない人生が考えられない。
絵を描きはじめてわかったのが、自分が今までモノを全く見ていなかったということ。絵を描くためには見なければならない。花を描くなら花びらの枚数を数えないといけない。今までの自分は、一瞥して、脳内で適当に画像を処理して体よく見た気になっていただけだった。冷蔵庫に貼ってある小さなマグネットが、よく見たらこんな模様だったんだ…と驚きの限り驚く。よく見る、虚心坦懐に見る、という癖がついてきて、人生の面白さが一気に増した。
先述の通り、瞑想との関連があるのかはわからないが、テーラワーダ仏教の考え方だと、「何事もありのままに見る」ということが大事なので、絵を描くのはその練習にもなっており、相乗効果で大変にありがたい。
④ 必要な本が飛び込んでくる
Twitterのタイムラインで面白そうな本を見つけて、読んでみたらその時自分が疑問に感じていたことに答えてくれる本だった…といった経験が増えた。凄かったのは先日、仕事をして行き詰まっていたら、なぜかその解決策を示した本が著者から突然寄贈されてきて、無事に障害を突破できたということがあった。これには我ながら驚いた。
本だけではなく、新しい人々との出会いもあった。どれも6年前には考えられなかったご縁ばかり、向こうから飛び込んでくる。人生が新しい方向に向かって広がりつつあるのを感じている。
⑤ 体が動くようになった
ストレッチやウォーキングの頻度が増えた、ということに加えて、電車の中で、疲弊していなければ立ち上がって席を譲る回数が増えた。体を動かすのがあっさりとできるようになったというか、フットワークが軽くなった感じがする。
⑥ 感謝のレンジが広がった
今まで特に何とも思わなかったことが心に響くようになった。仕事のために電車に乗ると、まず電気が来ていることがありがたいと思ってしまう。電車がちゃんと動いていること、服を着てカバンを持っていること、仕事の行く先があることにいちいち感謝している自分に気づく。「うう、ありがたいなあ」と感じることが増えた。
☆☆☆
とまあ、こうやって書き出してみると良いことづくめのような気もするが、そもそも元がひどすぎたというか、だらしなさすぎたということもあるし、あと、根本的な性格に関しては多分あまり変わっていない。相変わらず自己中心的で、不満・不安・猜疑心・憎しみ・自責・他責が多い。悪夢もよく見ている。突発的な事態に弱いのもそのままだ。平素は「感情は永続しない。今感じている怒りもいつか去りゆく」とわかっているのだが、いざ事が起きて激しい感情が発生すると、簡単に巻き込まれてしまう。人間関係も、元々コミュニケーションがうまくないのもあって、緊張が抜けない。特に原家族に関する人間関係は難しいと感じることが多い。
ただ時折、あれ、私少しだけ朗らかになったかも…とか、あれ、前ほどイライラしていないかも…などとほんのり思う時がある。誰にも会わない日にもきちんと身だしなみを整えていて、あれ、もしかして自己肯定感が少しアップしてる…?と思ったりすることもある。性格向上はミリ単位と思って、焦らずにのんびり構えようと思っている。
なお、私の場合、祈りは必須であった。これも人によるから一概には言えないのだろうが、ただのテクニックとして瞑想を続けていてもだめだったという気がしている。神でも造物主でも、宇宙でもダンマでも、何と呼んでもいいが、Goodnessに対する祈りとセットでなければならなかったという確信がある。今日も一日、良き人間として良き行動を取らせて下さい。そう祈りながら、多分これからも瞑想を続けていくだろう。やがて来る自分と夫の老病死に、人格の成長が間に合いますように。願わくば、また6年後ぐらいにこの文章を読み返してみて、「6年前は可愛いかったんだなあ」と思えるくらいにはなっていたいものである。