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芸術家となるために〜オディロン・ルドンの言葉〜

 芸術は望めばできるというものではありません。芸術家は一日一日、周囲のものを受け入れる容器です。

『ルドン 私自身に』池辺一郎訳、みすず書房

 一昨年から絵のお稽古に通っている。鉛筆画、色鉛筆画、木炭画、水彩画と来て、昨年末からパステル画に入った。
 使う画材はオイルパステル。これがとにかく難しい。まず、素人には細かい線が引けない。果物のように形が単純なものはまだ何とかなるが、花や葉っぱといった形が複雑なものとなると完全にお手上げである。その上、パレットがないため、色を混ぜるのは紙の上の一発勝負。狙った色にならなかったらどうしよう、濁ってしまったらどうしようと思うと腰が引けてしまう。とにもかくにも色彩理論がしっかり頭に入っていないと、手も足も出ないということがよくわかった。

 ということで、高くそびえ立つ「パステル山」の麓で、ため息をつきながら登山口を探しているような感じなのだが、その山の頂上に燦然と輝くのはオディロン・ルドン(1840〜1916)のパステル画である。
 正直、自分が挑戦してみて、はじめてルドンのパステル画が「あり得ないほどうまい」と覚った。どうしてこんな風に描けるんだろう。まさに天才というか、化け物としか言い様がない。ルドンの絵を見るたびに、信じられない気持ちでいっぱいになる毎日である。

 一体どういう人なんだ…と興味を持っていたところ、SNSでルドンの日記が邦訳されていることを知った。『ルドン 私自身に』(池辺一郎訳、みすず書房)である。
 早速取り寄せて読んでみた。そしてびっくりした。「絵を見た時ほどではないにせよ、少なからず驚かされる読書体験だった」というのが正しいかもしれない。そもそも私は西洋美術に詳しくなく、画家の日記も読んだことがなかったため、画家がこんなにも饒舌に、時に分析的に、自らの思いを「ことば」にして語ることがあるとは知らなかった。なんとなく、絵と言葉は対極にあるようなイメージだったのだ。しかしルドンの心の中では決してそうではなく、絵から言葉へ、言葉から絵へと、両者の境界は溶け合っているのかもしれない。ルドンによって書かれた、パステルの一色一色の塗り重ねのような言葉たち自体が、何とも新鮮だった。
 印象深い言葉がいくつもあった。ほんの少しだけ抜き出してみる。

 ☆☆☆

 ルドンはいわゆるアカデミックな美術教育→出世というコースに乗った画家ではなく、しかも遅咲きで、世間からもなかなか認められなかった。そのような人生を歩んだためか、「どのように自分を芸術家として育てるか」ということを絶えず考えていたらしい。それにはまず、自分の中の創造の種を芽生えさせ、それを形にするということが必要になってくる。

 私がもっぱら力を注いだのは自分の能力の方向を守ることでした。自分の創造を目覚めさせ成長させる方法を意識的に探求し、それを完全な、自律的な形、つまりそれ自身によって存在する形にまで持って行くことを願ったのです。

p.23

 芸術は望めばできるというものではありません。芸術家は、一日一日、周囲のものを受け入れる容器です。外から受ける感覚を、きびしく持続する自己のみに従った必然的なやり方で、変形させるのです。何か外にひろげたい、いうべきことがあると感じる時以外は、芸術生産はあり得ない。

p.23

  外界から受け取ったものを、自分オリジナルの方法で変形させたい、さらにそれを外に広げたいと感じる瞬間、芸術は生まれる……私はもともと、芸術家の心中で作品が生まれる、その一番初めの神聖かつ微細なステージに興味があるので、ルドンのこの言葉はとても面白かった。おそらく、絵だけにとどまらず、詩歌や音楽など、あらゆる芸術に共通する心の動きなのではないか。
 そしていったん創造のプロセスが始まると、今度はそれを大切に守り、芸術家としての自分を育てていくことが必要になる。その際、画家だからといって絵の訓練だけが養分になるのではない。ルドンは周辺の芸術、特に文学から多くのインスピレーションを得ていたようで、「読書は精神の糧」と言い切っている(p.56)。面白いのは文章を書くことについて、

 人間性について、あまりに露骨に描いてあるものを読むと、心臓がひあがって行くような感じを受ける。ある種の本の悪は、人間を皮肉に下品に裸にしていることにある。人間の大きさ、慰めとなるようなところを書いてくれた方がいいだろうに。
 文章を書いて公表するのは、人間がなし得る最も高貴でデリケートな仕事である。ほかの人の上にかかわりを持つからだ。人の精神に働きかけるのは、真実に対し、自己自身に対し、なんと重い責任を負う仕事だろう。書くのは最大の芸術だ。時間と空間を横切る、明らかに他の芸術以上のものだ。

p.43

と述べていることだ。画家であるルドンが、絵画ではなく「書くこと」を「最大の芸術」として賞賛していいのだろうか。絵画は人の精神には働きかけないと思っていたのか…などと少し意地悪く考えてしまったが、こう言い切れるくらい、ルドンには打ちのめされるような素晴らしい読書体験があったということなのだろう。
 そして音楽である。ルドンは文学のみならず、音楽にも造詣が深かった。日記の中でもベートーヴェンやシューマンへの言及がある。面白いのは、音楽を「冬の芸術」「夜の芸術」と位置づけていたことだ。

 音楽の効果が最も発揮されるのは冬である。特に夕方、静寂とともに、想像力を刺激し楽しませる。夜の芸術、夢の芸術である。ところが絵は太陽から来る。昼間、光線とともに生まれる。だから新たな季節のはじめ、風景画家が野原に出る時、パリのディレッタントは、色と生の芸術に心を向ける。冬と夜ふかしの後の快い休息として。

p.81

 余談だが、私は絵の先生のお宅では、いつも電灯の下で絵を描いているので、このルドンの音楽=冬 / 夜、絵画=春 / 昼間という対比と、「絵は太陽から来る」という言葉にははっとさせられた。当たり前のことだが、明るさや影が安定的に維持できる電灯と違い、太陽光のもとでは全てが移ろう。午前と午後、昨日と今日、そして、春と夏。そう、絵画は元来、季節と切っても切れないものだったのだ、と気づかされた。さらにルドンが、

 それには季節の影響もあると私は思います。季節は、体内の血を勢いづけたり、弱めたりします。こういう影響は手探りと経験によってわかるもので、それを無視してかかると、どんな試みも、努力も、無駄に終わります。

p.23

 と、自らの身体への季節の影響を無視するな、と説いているのも興味深い。文学や音楽によって精神を豊かにするとともに、季節を感じ、体内の「血の勢い」の強弱をもよく観察する。真の芸術家として自らを育てるために、ルドンはどこまでも周到だったのだな、と思った。

☆☆☆

 ルドンの言葉を読んでいると、自分に時間を贈ることの大切さが、根底に流れている気がする。先述の季節を感じることもそうだが、例えばルドンは、先人の絵画についても、性急に評価を決めるのではなく、充分な時間をかけて愛し、見続けるよう述べている。そしてそれを「閑(ひま)の必要」という言葉で表現した。

 才能とは結局、生まれながらに恵まれたものを結実させるだけの力を持っていることだ。経験から得た観念に助けられ、巨匠への愛にも助けられて……(中略)
 自然に、ゆっくり愛していければ、やがて恵みのように、喜びが湧いてくる、それを期待して愛することだ。それは閑(ひま)の必要ということでもある。
 閑というものは特権ではない。えこひいきでも、社会的不正義でもない。それによって精神や趣味が形をとり、自分がわかるようになる、よき必要である。

p.131−132

 自然にも、芸術にも、自分にも、ゆっくりと対応する。コスパ・タイパ重視の現代にあっては難しいことではあるが、芸術家としての道は、とにもかくにもそこからなのだ。千里の道も一歩から。今も昔も、近道はおそらくないのだろう……などと考える。
 ひとまずは近所の桜並木でも散歩してみようか。毎日少しずつふくらみを増す可憐な蕾、それを見て喜ぶ自らの心と身体。ごく小さな変化を、ゆったりとした気持ちで観察する。別にパステル画はうまくならなくとも、それはそれで魂の修養には役立ちそうな気がする……そんなことを思いながら本を閉じた。

 とここまで書いてきて、ふっと脳内でひらめいたのが明代末期の著述家、洪自誠による『菜根譚』の一節。

 林の中に聞こえる松風のひびきや、岩の間を流れる泉の声は、心静かに聴き入ると、天地自然の妙なる音楽であることがわかる。また、野末にたなびくかすみや、澄んだ水の中に映る雲の影は、心のどかに見入ると、天地自然の最上の絵画であることがわかる。

『菜根譚』今井宇三郎訳注、岩波文庫、p.292

  この、「心のどかに」の部分が、原文では「閒中」という言葉なのだが、「閒」は別の版本では「閑」となっており、二つの漢字の意味は同じだという。そう、洋の東西を問わず、芸術家にとって「閑」はよき必要なのだ。


 

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