ペストが作り出した無造作な社会
“パンデミック“
2020年を代表する言葉といえばコロナによって破壊された社会を想像させる.社会が目指した団結した世界、一つの世界が蔓延を助長させ、偉大な国の自由の女神像の前は疫病によって無惨にも死んでしまった人たちが並べられた.疫病が人類を殺していくスピードに埋葬が間に合わなかったのである.コロナは死者の前で泣く権利も与えられない.泣く時間も与えてくれなったのだ.
世界中の人々が“ステイホーム”に処され、東京の街もニューヨークの街も閑散とした世界に廃れていったのである.この時に少しばかり有名になったのが「ペスト 著カミュ」である.
“それは自宅への流刑であった”
はペスト内で使われた有名な一節であり、聞いたことがある人もいるだろう.そう、100年も前の人々の世界が現代に、より広範囲に広がっていたのである.
その世界での人間はサバンナに取り残された子鹿と化す.巨大な肉食動物が支配する社会で孤独の子鹿は直ぐに食われてしまう.しかし運命には抗えないのである.圧倒的に不利な存在でも弱肉強食の世界では勝った者が賞賛され世界を支配することができる.食われた者は忘れられていき、ついに存在しないものとなるのだ.
カミュのいう世界は宗教も政治も愛すらも加害者となり、無意識的な殺人を繰り返していくのである.戦争は相手を意図的に排除しようとするが、疫病は今社会に存在している善人も悪人も問わず加害者となり、権力を持たない死神となる.
しかしカミュのいう世界はペストに満ちた世界であって感染症の世界ではないのである.
『ペスト』の世界で描かれるのは人々の生き方である.ペストを前にして人は何を考え、何を信仰するのか.ある人は神の教えだと考え、ペストが神に近づく儀式だと考え、自らペスト患者の布団に潜り込むかもしれない.ある人はペストの危機を感じ、自宅で誰とも接触しないかもしれない.もうある人は何不自由なく普段の生活を送るのかもしれない.
この社会を聡明に且つ、上品に映し出したのがカミュの『ペスト』という作品なのである.
リウーの友人であった「タルー」は自らを加害者と示し、常に殺される側に立てることを意識している.これは彼がリウーと共に保健隊の一人として持っていた信条だった.
彼は『ペスト』激動の地、オランでの最後の犠牲者になってしまう.不条理の世界で生きることを鮮明に理解できる場面だ.これがタルーの人生であった.しかし、人々の生き方というのは多種多様であって誰も理解することのできない.
リウーが命を救った一人に「コタール」という人物が登場する.この人物は自殺を図ろうとするのだが間一髪リウーによって止められる.しかしタルーが最後の犠牲者となった後のペストによる市門の封鎖が解かれた後に自らの部屋で銃撃戦を始める.そこで警察官の犠牲者が出てしまうのである.
この2人の特徴から推察できるようにペストの社会でも誰一人同じ信念、愛、哲学を持っていないのである.カミュの述べるペストの世界は人間を明らかな存在にし、悪人にも善人にもしてしまう.それは個人の内面に眠る本来の姿がペストという疫病によって見えてしまっただけなのである.
明日、大きな厄災が来ようが死に直面する事態になろうが、個人は変化せず、個人の中身が外に出ることになるだけなのである.カミュが2020年に我々に与えたのは流刑された地での贈り物だったわけである.