士農工商とカーストを日本モードにする
紀元前1〜3世紀の編まれた「後漢」の中に「士農工商」という話が出てくる.ここでは言葉としての話で意味としての定義は百姓のような「あらゆる職業の人々」という定義だった.
日本では豊富秀吉によって兵農分離が進められ、刀狩令を出し職業間で差をつける身分の上下を明確にする形を確立させた.それが江戸時代に入り家康によって明確に士農工商として身分制度を確立させたのだ.
この身分制度は江戸幕府が天皇に大政奉還をするまで約260年間以上我々のアンコンシャスの概念として存在していた.僕はこの構造が今の日本にとって1番の考え方であり、必要なチューニングであると思っている.
実際に似た制度、アンコンシャス的な概念が存在している国がある.それが「インド」だ.ヒンドゥー教が国民の8割の信仰対象で、「カースト」を理解している数少ない国の一つだ.現代社会を考えると確かにカーストというレイヤーごとに分けられたヒエラルキーに日本人が抵抗感を持つかもしれない.しかし実際の現場では全く違ったりする.
知り合いのインドの人に聞いた時に「カーストって身分制度を大きく分断する概念があると将来の自分の自由さが奪われるから嫌だと思う?」と聞いてみたことがある.すると返答は案外楽観的、安寧で「将来を考えても身分によって分断されている方が安心だし安定して家庭を築くこともできる.自分の子孫たちもずっと安定した職につけることを考えれば安心できる.」と言っていた.
最近ではIT技術の先進国として名を馳せ始めたので「カースト」から一脱した存在も多いというが、それでもインド的な安寧を求める思考方法は確かに、と思えるところがある.
だから誰も反発しないし、自分たちを理解しているのかもしれない.日本の教育では「欧米」という言葉を使って存在しない国家を作り出して我々に教えているが、実際は欧州諸国のフランス、ドイツ、イギリス、アメリカなどの考え方のいいとこ取りをした混沌というかしたものが多い.江戸時代の幕末にペリーが来航して世界の力を知った日本が憧れを抱いてしまった結果なのかもしれない.しかし日本は欧州諸国みたいに隣国と熾烈な争いを行うわけでもないし、他民族国家でもない.どちらかといえば地域の共同体を尊重する存在で、今の中国やインドに近い.
しかし日本人は東洋思想を軽視して欧米というユートピアを作ってしまった.
今日本で起こっている問題はイシューへの解決プロセスが「マネーベース」の議論で確立されていることだ.近年の日本は急激な経済発展によって金融的な職業に就く人が増えた.これは士農工商でいう「商」の部分の人たちだ.
士農工商の並びを見て分かるように「士」が頂点に来て「商」は1番低層のヒエラルキーとして認識されていた.当時でも商人は百姓が居ての、クリエイティブクライスが居ての存在だった.それが近現代になってから反転してしまったのだ.今は商工農士となってしまっている.
これの何が危ないかというとクリエイティブクラスが居ないということは価値を作り出す人が居ないということだ.例えばアーティストとだと絵を描いたりモノを作り出す.今ではNFT技術によっとぇブッロクチェーン化された世界での作品も数多く存在している.
ものづくり産業では扇子や屏風、茶道など日本のカルチャーを支える技術が多数存在している.他にもアースティックとものづくりクリエイターを融合させた新しい価値の出現もある.
そういった人たちがとても重要な存在だ.研究職も同じように価値を社会に提供する上で重要な役割を担っている.しかし近年の価値観では商業クラスのレイヤーが1番社会でいいという幻想を抱いてしまった.この問題の根底にはメディアの洗脳が強いと感じている.
よくテレビ番組で「〇〇地区の奥様方の豪邸紹介」なんかが出てくる.社会的に成功した人たちの家が何十億円もして「すごいですね〜」なんていう番組が増えてしまった.その中の人のほとんどが金融系の人員でそこから僕らはお金に価値観を感じてしまいマネーベースでの考え方になってしまったと感じる.
他にも結婚指輪に価値を感じてしまったのも企業による広告戦略である.結婚するから給料3ヶ月分を使って指輪を買う.それだったらその分のお金でもっと有意義な使い方はあるだろう.
こんなことをいうと「最近の現代人は」と言われることが多い.しかし本当は「洗脳された状態からの解放を目指しているだけだ.」親は子供の職業は安定していることを望むかもしれない.ただしここでの「安定」はマネーベースであり、公務員を選ぶのは代表的なモノであり、別に他にもお金を稼げる先は存在している.
いつの間にか僕らはメディアの洗脳にかかってしまい、自分では洗脳せれていないつもりでもどっぷり洗脳にかかっているのだ
少し話が変わったが、今の社会が商に目が行きすぎてクリエイティブクラスの人を馬鹿にしたり下に見る考え方が根付いてしまった.「給料安そう」そんな具合にマネーベースが第一的な理論だ.しかし商は何も価値を生み出さない.金融取引によって何か価値を生み出すだろうか.手元にあるのは「お金だ」.お金を「ツール」ではなく「価値」と誤認識している人がいるが本当に可哀想だと思う.
価値を生み出しているクリエイティブを馬鹿にしてお金が最も価値のあるモノだと理解し始めた洗脳人材は正に合成の誤謬である.それが今の失われた30年間の原因の一部であるとも考えられる.
僕が言いたいのはクリエイティブクラスの考え方を尊重して日本型の柔らかいカースト構造を作り出すべきだということだ.
この論が崩れていないことは江戸時代に実際に260年間士農工商で人々は暮らし社会が運営されていたことで証明できる.士と呼ばれるのは政治家.農は百姓などの生産者.工はクリエイターと呼ばれるモノづくりたち.商はものの運用や金融構造など.
それをレイヤーごとに分けることで日本型の柔らかい社会構造の中でうまく作用していくと思う.日本は本来東洋型の思想があっていたのだが、欧米というユートピアを作り世界各国の構造のいいとこどりをした混沌構造を作り出してしまい返って最悪の状態を作ってしまった.
僕はいつもAI社会では金融系のホワイトカラー人材たちは代替されていくといっている.社会はいつもコストで考えられる時代だ.コストに似合った仕事をしていない人間はキカイに代替される.その面で見ても今後クリエイティブクラスの人が活躍していくのは目に見えている.
そこを理解して自分の価値づくり、価値提供、価値発信が重要になってくるのだ.
今の日本の構造を1から見直し日本型の社会構造を考える9月に入っても尚暑すぎる某日.