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本の雑扱い説明書 

この説明書では箇条書きにされた説明を基にちょっと僕の持論も含めて語ろうかなと思っている話です.すでに本の読み方を熟知している読書マスターの皆様はタブを閉じて本を読んでいただければと思います.

この記事を書くきっかけとなったのは数多くの「本大切に扱いましょう集団」の方々であり、その方々のおかげで説明書ができていることを私は心の底から感謝すると共にこの説明書を送ることにする.では始めましょう.

1.本を開いて机に置く

これは僕が一番初めに言われたことでした.正直自分の本なんだから「好き勝手させろよ」としか思えないのですがそうではないそう.

「本が痛むからやめた方がいい」と言われた僕はつい「君は本が財産なの?」と聞き返しました.すると「本大切にできない奴は心も汚いと」....
つい笑ってしまいそうな話なのですが本人は真剣だったようです.

まず本は読んでなんぼのものです.別に本の扱い方なんかどうでも良いのです.もし作家が嫌だとしたらその人の前だけそうすればいい.

別に常日頃からその作家が一緒にいるわけではないでしょう.

僕が読書で1番大切にしているのは「好きに読む」ということです.

本を開いて置くことも、その人の読み方な訳で他人から指図される話ではありません.

これは僕の感じ方ですが本を大切に扱うと本を読む以上に気を使わないといけません.「トイレに行きたい」と思ったときブックマークを挟んでトイレに行って、なんてするのが嫌です.そのブックマークを挟まないとと思った時点で、本の内容なんかよりも本そのものに意識が向いてしまいます.

人間の集中というのは一つの物事に対してしか行われません.よく集中してたら朝になってた.という話を聞くでしょう.これは集中した物事に対してしか意識が向いていないので時間という方向に意識がないのです.だからそういうことが起こる.

本を読む時も本に集中していれば、「本が傷まないように」とは思いません.ましてやブックマークを挟んで....と思うのが私です.でも先ほども言ったように本の読み方は千差万別ということは忘れないでほしい.

ブックマークを挟むという意識が無意識的に行われている人もいるかもしれません.要は体に染み付いてしまったという人です.

これは私の持論なだけであって無理に「ブックマークを挟むな」とは良いません.好きなように読めばいい.だからといって他人に自分の主張を押し付けるのは良くありません.

2.風呂場で本を読もう

一見すると頭がおかしいのではないか?と思われるかもしれません.実際に友人に話した時賛同してくれた人はいませんでした.しかし1番の読書空間は風呂場だと思うのです.実際に電子辞書のキャッチコピーにも風呂場で読んでいる画像が載せられているものは少なくありません.

よく頭を洗っている時に「あ,そうだ」とふと思い出したりアイデアが出る事があります.それは科学的にも証明されている事実なのですが,今回は趣旨とは異なるため飛ばします.気になる方はジェームス・W・ヤング氏の著書『アイデアのつくり方』を読んでみてください.

要は人間はリラックスしている時や頭を洗う事以外の思考が行われていない時に過去の経験認知からアイデアが生まれるのです.

逆に物事を考えようとすると自己保存や統一・一貫性が邪魔をしてしまい納得できるアイデアが生まれないのです.

風呂場というのは最高のアイデアの地なんです.だからこそ読書をしてほしいのです.風呂場で読書する事で難しい考え事が払拭された場でリラックスして読めます.

無理に電車の中の限られた時間や椅子に座ってなどと他の情報が邪魔をする空間よりよっぽどいい読書をすることができます.

僕は電子書籍ではなく紙の本を風呂場で読む事があります.なので多くの本は湿気でヨレていたり破れていたりします.しかしそれも読書.自分の好きなように読めばいい.自分の思うがままに読めばいい.と考えれば全く苦ではありません.

嫌だと思うなら読まなければいい,電子書籍を買えばいい.それだけの話ですが,風呂場は最高のアイデアの地だと理解し読書をしている人は他人よりも抜き出ている印象は受けますね.

4.とにかく描きまくろう

僕は「本は汚すもの」という風に考えています.なので毎回私の本は読み終えるとメモであったりイメージ図によってグチャグチャになっています.

一度私の友人に本を貸した時に「お前の本は汚すぎて読みにくい」と言われたほどです.それだけ徹底的に本を汚すことにしています.

勿論,本に書き込むことで内容が頭に入りやすかったり理解できるかもしれません.しかしそれ以上に本という媒体は「生活」の一部であるとも考えています.

本がある生活があるのが当たり前の考え方なので最初は抵抗があるかもしれませんが読書を積んでいく内に自然になってきます.

それが本にメモをするということなのです.

「ここの文章はあの本に似てるな」なんて思うとメモします.頭の中だけでは勿体無いので書き留めておきたい.という感じです.

メモをする事で脳の出力を質量世界に存在させることができます.書くことによってアイデアが出現するので書くという事は重要な思考です.

ホワイトボードに書いているうちに図が出来て脳が整理されていく感覚を知っている人は分かると思います.それを本でもやるのです.すると情報が徐々に整理されてアイデアだったり思考がされていくのです.

イメージを書く時も同じです.「ここの文章はあの本に似ている.でも実際どこが似てるのか?」と考えるのです.

そしてその本を完全に自分の本にするのです.そこには自分の生活が存在します.他の人の生活は一切干渉されません.それが本であり,生活です.

なので僕はとことん本を汚すことにしています.綺麗に読んでもいいかもしれませんが「コレクターじゃない限りそんなことはしなくてもいい」.と私は思います.

5.とにかくカバンに適当に入れよう

読書の究極の形は先ほども述べた通り生活になる事です.読書をしよようと決断する術も存在せず,ただ読むのです.そこに技術は存在しません.

もしかしたら丁寧な読み方があるかもしれません.丁寧な暮らしがあるように,丁寧な読書もあるかもしれませんね.ですが読書はまずは生活に落とし込むことが重要です.

アダムとイブは蛇にそそのかされ,実を食べると自分たちが裸であることを認識します.すると服を着始める.

すると実を食べた事に怒った神は神界から排除し,地界に落とすわけです.それが人間の始まりという神話です.

まさに読書と同じ構造をしています.前までは身につけていなくても気にも留めなかった「服」はある日急に必要になりました.(厳密には植物ですが)
そうやって読書も普段は気にも留めなかった存在から身につけなくてはならない存在になるのです.

急に,とまでは言えませんが読書は「身につけておく」ということがポイントになります.まずはカバンに入れておく.ということです.

スマホを取ろうとしてたまたまカバンに入ってる本に目が行く.なんて事があればいいのです.「カバンに入れておくから読まなくては」と思わず,ただ入れておく事にも意味があります.

カバンに入れるだけでなく,「机の上に置いておく」.それだけでもいい心がけです.本は身近にないと読めません.

「読まなくては」と思ってしまうと益々言い訳を作って読めなくなります.だったら目の行き届く場所に置いておこう.そしてふと読みたくなった時に読む.それでいいのです.

本を身近に置いてあげるだけで生活になりますから.

雑扱い

本を雑に扱う事と物を雑に扱う事には差異があります.

ボキャブラリーの問題ですが「雑」といっても究極形です.例えば新しくグローブを買ってもらった時,その瞬間は赤子のように大事に大事に扱いますよね.だけど時間が経ってくると買った瞬間ほど大事にしなくなる経験はないでしょうか.

スマホを買った時も同じようにモノを買った瞬間はそれが世界一大事なモノかのように扱うが時間が経ってくるとそうではないです.

勿論.手入れは行います.汚くなったグローブは磨き,育てていきます.そしてスマホも画面が割れてしまったら保護フィルムを貼り替えます.

本も同じようなモノだと思います.しかし重要なのはやはり「生活」です.

本を生活にするならば多少の汚れも傷も認めなくてはいけません.「愛書」という言葉があります.愛書と聞いて綺麗で新品同様な様を想像する人はいないと思います.皆が連想するのは汚くて,本の綴じ部分がヨレていたり,紙が変色した本だと思います.

それが読書なのです.読書に綺麗も汚いもありません.ただ自分の生活に扱い共にする.

綺麗に綺麗にと思っている内は読書じゃない.何か鍋奉行のようですが事実なようにも思えます笑.

本は再度綴じるか買うしか選択肢が無いので汚くなっていい.むしろ汚くしていく.それが読書になります.

好きなように読んで汚くなっていく本は見ていても心地いいじゃないですか.ただそれだけの話です.

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