ウイイレが凄い話
先日『自在化身体論』に関するnoteを書き、「自動化」と「自在化」に注目してみた.その上で「自在化」における例として提示されていた「ウイニング11(ウイイレ)」(現在はe-フットボールに改名している)の凄さについても追求してみたいと思う.
まず、ウイイレでは11人のサッカー選手を時と場合に応じて制御と操作をするサッカーゲームである.
簡単に言えば11人を1人で巧みに操り管理者側は常に1=1の視点を保ちながら1=11の試合を可能にしている.これは驚くべきことで、人々は常に入れ替わるプレイヤーを自分のプレイヤーと認知することができている.意識が常に変化する中で意識がないプレイヤーは機械が自動的に操作することによって試合を成り立たせている.正にシームレスに意識を移行させている最たる例である.
もし意識を常に移動させることができ、自分の分身的な存在を作ることができれば今まで以上に新しい価値観は生まれてくるに違いない.
著書の中では1=11の1を多数の人間によって操作する試みも述べられている.こういった一つの身体に留まらない意識は脳の適応力によって可能になる.
もう一つの例を挙げると「CoD」「荒野行動」は1人称視点の高グラフィックゲームだが、常に意識が移ることはない.そのため自分は使用するプレイヤーの中に没入的な体験を得ることができる.ここで面白いのが、実際にプレーをしてみると打たれた時に反射的に「イタ!」と感じてしまうことだ.
僕もプレーしてみて気づけたが急な攻撃を喰らった時に現実の身体には全く影響を及ぼせない存在が痛みを与える存在として認識し、反射的に「痛い」という感情を生み出すのである.
これは人間の脳がゲームの世界の存在に適応していると考えられる.逆に人間の脳がゲームに適応しない場合だとゲームをしていても第3者視点での行動の認識に過ぎないため、倒したことによる幸福感や負けたことに対する悔しさは生まれない.人間の脳が生み出す産物と言ってもいい.
この点を踏まえて「ウイイレ」の持つメリットは現実世界にも応用できるかもしれない.HMD(Head Mount Displey)による仮想空間の世界と現軸世界を繋げ、シームレスに意識を移すことが可能になれば現実世界に無限に自分(分身)を生成できるようになる.
人間の脳は我々の思っている以上にすごいメカニズムで動いているんだ.それがこのまとめになりそうです.