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歴史の博物館化

歴史というのは美術館と遜色なくなってしまった.それが今回の結論である.その結論に至るまでの脳のプロセスを追っていきたいというのが今回の目的である.その流れに一緒に流れていってほしい.

長崎という知と暴力の結晶地

長崎を思い浮かべると県花である『紫陽花』と長崎最大と言われた『出島』.そして『原爆投下の第二地点』である場所という印象が強い.

そしてそんな地に僕はたまたま降り立つことができた.幸運の出会いというべきであろう.

たまたまの出会いが僕を原爆という知と暴力の象徴する場所に合わせてくれた.まずは右手は原爆の脅威,左手は平和と意味する平和祈念像を訪れた.

そこには高さ10メートル程の銅像が目を瞑ったまま鎮座していた.正に動かぬ神という印象だった.

僕は戦争の当事者とは程遠い存在である.戦争の当事者といえば僕の曽祖父の話であり僕としては『歴史』の位置付けの方がしっくりきてしまう.

その平和記念像を見ても僕にとっては『歴史』になる.現場の声,音,空気,匂いは全て想像でしかない.その場に何があったのかは全く想像できないほど周りは整備されている.そんな場を通り噴水方向に向かう.

ここで僕が気になったのが思った以上に海外の観光客が多い.国籍問わず世界各国の観光客が歴史像を前に記念撮影を行なっている.

そして当時の事を知らず観光地と観光客の関係になっている僕は,あの記念撮影をしている外国人観光客と立場は変わらない.

戦争の記憶を持った人が居なくなると戦争が起きるかもしれない.と誰かが言っていたが然りの回答なのかもしれない.

噴水と平和祈念像は一体関係になっているようで噴水越しに像が見える構造になっていた.その噴水には『あの日のある少女の手記から』という形で掘られた碑がある.

そこには

『・・・・・・・・・・
のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました』


と書いてある.原爆投下の被害により水は飲める状態ではなく,生活用水,工業廃水その他含め上下水道といった公共インフラは存在しない.しかし人間である以上,水分なしでは生きていけない.という最低限の活動ができない限界の状態を表しているのだろう.

しかし僕は苦しむ姿を想像できても身近な感覚は全く起きなかった.

それより過去行ったマレーシアやタイといった国々に住むスラム街の人々の生活や街中の姿の方が苦しみ身近に感じてしまう.

そこでも僕の中では『歴史』の1ページだったのかもしれない.

交差点を挟み少し歩くと原爆資料館と共に爆心地が見えてくる.実際に落とされた「現場」である.

そこには碑と共に亡くなった戦没者数が書かれ,長崎のキリシタン教会の象徴である浦上天主堂の門の一部が置かれていた.

因みに平和祈念像は台座と像が少しズレて設置されているが,これは原爆の爆風による影響を表しているそう.

地上600mで爆発した原爆の影響は想像することの出来ない悲惨な状況を生み出したに違いない.

周りの木々が爆風によって外側に薙ぎ倒され全てのモノが紙のように吹き飛んだ.瞬きの瞬間に世界が反転している風景は絶望だったのだろうと想像しながら考え込んだ.しかし周りには原爆を連想させる情景は「碑」しかない.限界も感じてしまう.

そこで,実際に資料を見ながら深く考えていきたいと思い原爆資料館に入る.

しかし僕が目の当たりにしたのは原爆のイメージを一切彷彿とさせないお洒落な建築物と綺麗に整備された駐車場や内装の数々だった.

感覚としては博物館に来た時と一緒である.螺旋状になったスロープを抜けると原爆資料館のスタート部分に行ける.

中では原爆による建物の倒壊を表した展示物と影響を教える服飾物や写真が展示されている.

写真で見るセンシティブな数々の写真には僕も絶句した.この感覚を味わうことは出来ないが人間としての共感心なのか絶望感なのか全く声が出なかった.

他にも原爆の影響を教えた威力やプルトニウムの性能を理解できるモックアップが展示されていた.

その中を外国人の観光客と足並みを揃えて進んでいく.ただそれだけの時間だった.あの時の僕と外国人の立場は全く同じだった.日本人と外国人ではなく「歴史を学ぼうとする人」という立場で共通していた.場所が観光地になっている.そこに僕は違和感をずっと感じていた.

原爆資料館を出た僕の意識は入った時と何か変わっていたのだろうか.何かしら奥で突き動かされたのだろうか.

僕は少し疑問に思う.

まず全てが『博物館』である.最初から最後まで全てが観光地であり歴史の学ぶ場であった.そこには特別な感覚も感情も芽生えない.

ただただ情報が目に入り脳で処理するだけの作業.
脳で処理した情報を今まで蓄えてきた情報とリンクさせ,また処理を繰り返す.そんなサイクルを繰り返すだけ.経験認知が蓄えられるわけではないため,「『博物館』で原爆の恐ろしさを知った.」が正しいコンテキストになってしまう.

ここは少し冷静に考えるべきで原爆の恐ろしさだけでなく,戦争という一種の出来事も今では歴史の1ページになってしまっている.

しかし,歴史にされず未だ時を共に進んでいる場所も存在している.

それがベトナムなのだが,ご存知の通りベトナムは北のハノイと南のホーチミンでアメリカとソ連の戦闘が繰り広げられた土地であり1975年頃に終戦を迎えている比較的新しい国である.1945年に終戦を迎えた日本とは違った立場にあるベトナムだが歴史に対する意識が大きく違う.

それが分かるのがホーチミンにある「戦争博物館」,郊外にある「クチトンネル」と呼ばれる防空壕の跡地である.

博物館は日本の博物館とは違った「リアル」が存在する.なんとアメリカ軍が使った「枯葉剤」の影響によって異形児として生まれてしまった人々が居るのである.

その時の僕は言葉にできない空気感を感じていた.

そこには背中に杭が刺さっているかのように全く動かない男性が座っていた.テレビで何度か目にした遺伝子変異の異形児とは違った存在だ.その人は目がない.

失明ではなく目がないのである.

その人の目を見ても何を感じているのか分からない.そこには虚無,絶望,失望.何があるのか分からない.想像にも及ばない.

その人と今時間を共有している.という事実にただただ僕は喋らず、見つめていた. 喋らずというより「喋れない」という感覚に近い.

目の前の事実に人間としての疎があった.それだけ視覚的事実根拠の訴えは大きい.

写真や現物がそこに鎮座しようと,それは「歴史」である.しかし動いている.それは紛れもなく「戦争」であった.

同情も共感もできない「戦争」がそこにはあった.

僕の感じる「観光地」と「現場」の違いはここにあると思えた.

実際,中の展示や動画による説明は長崎,広島と遜色ないほど編集が加えられ理解しやすい動画になっている.「展示」という部分では同じである.

しかし,唯一違うのが「現場」の情景だった.

「ないものねだり」とはこういうことを言うのかもしれないが,実際に戦争経験者,被曝者が後世に語り継ぎ,息をしているという状況は重要なことである.

チェルノブイリ原始爆発の近くにあるプリピャチの地区では実際の被曝者が状況を説明するツアーが紹介される.

そういった「当事者」の存在は重要なのである.

事件を「歴史」にした途端,その問題は過去のことであり,今のことではない.

当たり前の話だが未だに「豊臣秀吉が朝鮮半島に攻め込んだこと」を本気で悔やんでいる人間はいないだろう.それは事件を「歴史」にすることができたからだ.

表裏一体の関係にあるこの「事件」と「歴史」だが,争うことのできない諸行無常の存在でもあり,人間にコントロールすることはできない.

この「歴史化」と言うのは情報を「他人事」にしていることにもつながってくる.

原発事故の当事者は事件として共に歩むことになるが,関係のない人々はほとぼりが冷めれば歴史として忘れられるが表面上の情報で完結する.

福島第一原発事故も10年以上経った今では「歴史化」され、現在進行形の問題意識は薄くなってしまったように思える.この事故に関する話はタブーという空気感も出ていた事も影響して歴史化は進んでしまった.今では「原発は危険では?」という表面上の知識で議論する人もおり、人々の認識は益々間違った方向に進んでいる.

1970年に開催された万博博覧会では関西電力が美浜発電所から万博会場へ電力が供給され、発電技術の中心地として注目されるほど原発への人々の憧れの気持ちは強かった.しかし2011年を機にその認識は大きく変わった.今の日本が世界最大の原発を保持していることを知っている人は少数だろう.

私は歴史化への危機感の原因として他人事になっている問題を提示した.最初に書いた原爆の話、ベトナム戦争の今、原発事故.これらに付随して語れるのは「他人事」であり、他人事こそが最大の壁であった.

この他人事が進むと「博物館化」し誰もが問題意識が薄まってしまう.

今の我々に必要なのは紛れもなく理解と啓蒙である.この理解にあるのは寺田寅彦の「正しく恐る」に当てはまる.原爆であれば原爆の問題を正しく理解するために実際の地に足を運び入れる.そこで感覚を得る.それが正しさである.ホーチミンの原爆博物館は実際に足を運ばなければ得られない五感で感じる情報がたくさんある.

寺山修司の書を捨てよ、町へ出ようはまさに視覚機能だけでは得られないものがあるのだ.そして時にして我々は判断を誤る.それが認知バイアスによるものなのか.それとも情報の偏りによるものなのか.

特に福島原発の際は原発への執拗の批判が押し寄せた.原発反対デモが東京で定期開催されるなどお祭り騒ぎだったが、多くの人が原発の魅力を忘れ現場で働く人々の気持ちを踏み躙り、自分の勝手な意見を罷り通していたとは思わなかっただろう.

そしてネットやニュースでも原発へのデメリットが取り上げられ我々の中には原発=悪いものという認識が広まってしまった.

そこで正しい認知を持った人が二項対立せずに双方の良し悪しを理解し対処法を考えなければならない.二項対立の片方の意見が通ってしまうことは大きな問題点である.

日本社会が博物館になった今、我々に必要なのは正しい知識であり、足を運ぶことである.

スマホの中の情報は虚構であり、正ではない.

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