見出し画像

戦争は人を必要とするのか 

2003年アメリカ大統領がイラク戦争を始め、打倒フセイン政権を掲げ連日イラクの政府関係者施設への爆撃を繰り返していた.

イラクは湾岸戦争時にアメリカから提示されていた大量殺人兵器の生産と保持を禁止されていた.しかしそれを破り大量殺人兵器を保持しているというのが戦争の勃発原因だった.(実際には大量殺人兵器の確認はされなかったのだが)

その時の戦争の特徴は少し変わっていた.アメリカの主張としては大量殺人兵器からの国民の解放が目的であると発せられ、国民への攻撃は行っていなかった.要は戦争の形は領土を奪う方向から平和を上部の意見とした武力平和を作り出すようになったということだ.(別にここは必要ではないのだが)

結局アメリカはフセイン政権の打倒を成功させ、名目上の国民の解放を成功させた.意外にもこの出来事が2000年代以降の話で今も尚イラク国内では内戦が続いている.戦争とは何もかもが崩壊する最悪の決断であることは何も変わりない.

まあそこらで今回のテーマに移りたいのだが、戦争は人を必要とするのか.ということだ.

今まで戦争は自国の思い通りだったり人間の欲望によって行われた.少し最近だと経済的な格差による制圧的な使い方をしたりするのだが.

毎回老人が始めた問題を若者が背負い多くの未来ある若者が失われてきた.勿論日本も例外では無い.日本も第二次世界大戦の時に人の命の重さがどれほどか理解できただろう.

しかし今21世紀に入ってから状況が変わってきた.中国は台湾と緊張感がある状態だし、日本も北朝鮮と緊張状態にある.この状態を考えるといつ引き金が引かれてもおかしく無い.

平和ボケした日本が戦争に巻き込まれても避難できるか.生き残ることができるかは定かでは無い.

そういう緊張状態が今起こっているわけなのだが、実際人間は必要なのだろうか.テクノロジーの進歩によって人間とロボットの差は薄れてきている.自動運転技術もユーザーインターフェースが薄れ自動化させることで身体性を必要としない

先日アメリカのPykaが全自動飛行機を開発し商業運航に関するFAA承認を得ることができた.名目は散布機だが実際に考えれば身体を必要としない殺人兵器でもある.

要はこいつみたいな全自動ロボットによって敵陣地を占領させればいい.結構いい加減のように思えるが実際そう言うことだと思う.相手が降参するまで相手の陣地を攻撃して撃沈させればいい.

人間はどこかの土地に逃して身体を必要としない戦争だ.

戦争地域に身体を必要としないだけで既に戦争地域にドローンを使った戦争方法を使っている.代表なのがウクライナ戦争だ.ドローンに搭載させた爆弾を相手のインフラ施設に飛ばし爆撃を行う.

戦争地域に足を運ばずに安全な土地から爆撃を行うのだ.考えられるのは仮想空間の中で殺人ゲームのようなサバイバルゲームとマッチさせた戦争だ.

本人たちは何も知らなくても本当は人を殺してしまう.2016年にチャールズ・バーガー監督の「VRミッション:25」をちょっといじってみるとそのまんまかもしれない.

自動操縦やドローン戦争は実際に行われていて現実性も十分に考えられる.

今後の戦争の形は人を徐々に必要とせずロボットとロボットによる土地略奪戦争へと形を変えていくかもしれない.

しかし結局は人間同士が戦争を行って身体を提供する事による戦争が戦闘として成り立ってしまうのでは無いかという人間の恐怖さの部分もある.

戦争は絶対に良く無いことである事には変わらない.でも人間は同じ過ちを何度も繰り返すような種族だ.楽観視もできない.

戦争について考えなくてはいけないのはあと何年後だろうか.滅びるまでだろうか.ユートピアに憧憬する2023年某カラオケ店.

いいなと思ったら応援しよう!