(六十)漱石が作り、子規が〇〇の評点を付けた俳句を紹介・解説する

漱石が作った俳句の内、子規が〇〇の評点を付けた句が11句、◎の評点を付けた句が51句ある。今回は、〇〇の評点を付けた俳句を紹介する。
以前と同じく、岩波書店『定本漱石全集』2019年版(以下、『全集』と略記する)第十七巻から句並びに脚注(*1などど記す、筆者記)を引用する。句の後の英数字は句が作られた年を表わす。例えば、M28は明治28年を意味する。
(1)95 秋の山南を向いて寺二つ(M28)
(2)101 渋柿や寺の後ろの芋畑
此の渋柿はまだ木になっている柿を指しているので、寺の後ろに植えられている柿の木になっていて、前を見ると芋畑が広がっている風景を描いている。
 この句から、作者は渋柿が熟しているのを見ながら、薩摩芋の収穫をしている農家の人達も同時に視野に入っている。秋の風景を描いている。
(3)106 三方は竹緑なり秋の水(M28)
(4)638 簫郎の腕輪偸むや春の月(M29)
*1:簫郎(しょうろう)は愛する男の称。
(5)642 伽羅焚いて君を留むる朧かな(M29)
これは、原句が「伽羅焚いて君を留めて朧かな」を子規が添削した句である。「留めて」が「留むる」に直されている。これは小さくない修正である。原句では、君を留めているのは伽羅であるが、添削後の句では、君を留めているのは朧月である。
(6)727 宵宵の窓ほのあかし山焼く火(M29)
山焼きと言えば、奈良の若草山焼きが有名であるが、この事を句にしたのかどうかは分からない。若草山焼きの場合、早春(毎年1月第4土曜日)の日没後に行われるが、宵闇の中で火が燃え立つ様子を句にしたと思われる。作者はほの暗い部屋の中に居り、窓から見える遠い火はほの明るく見える。何とも美しい風景ではないか。
(7)734 御簾揺れて蝶御覧ずらん人の影(M29)
*1:御覧ずらんは御覧なさるのだろう。

(8)747 花に来たり瑟を鼓するに意ある人(M29)
*1:瑟を鼓するに意ある人は瑟の演奏家。
*2:『九州日日新聞』明30・2・18。「失名」として掲載された。
子規が何故、この句に〇〇という評点を付けたのか、疑問である。瑟の演奏家に対して、わざわざ「瑟を鼓するに意ある人」と12文字も用いたために、表現すべき風景が描かれていないからである。
(9)818 うき世いかに坊主となりて昼寐する(M29)
この句の意味は、「この浮き世にあって、如何にして坊主になった気持ちで昼寝出来ようか」になる。「坊主となりて昼寐する」とは面白い句であるが、〇〇の評点をつけるのは果たして適正な評価であろうか。
(10)853 玉章や袖裏返す土用干し(M29)
この句の意味は、「土用干しの際に、袖を裏返ししたら手紙が出て来た」になる。意外性が面白い。
(11)975 禅僧宗活を訪う
僧に対すうそ寒げなる払子の尾(M29)
この句の意味は、「僧がもつ払子の尾はなんとなく寒い感じがする」になる。
「僧に対す」の主語が作者なのか払子なのか分かり難い表現となっている。漱石の言いたいのは、払子と僧を対比させて「対す」と言っているのであろう。払子は僧の威儀を高めるのに用いられるが、それが「うそ」寒げに見えると述べていることになる。「うそ寒い」という言葉に漱石の本心が込められている。
(12)980 この里や柿渋からず夫子住む(M29)
この里とは、山里ではなく、隠居たちが住む里であり、都会の近くにある里である。その夫子からもらった柿は渋柿ではなかったので食べる事が出来た。夫子自身も美味しくて栄養のあるこの柿を食べているのであろうと想像できる。

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