静嘉堂文庫美術館『眼福 大名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋』
東京美術館巡り初日。
三河の国から新幹線に乗る。天気には恵まれたものの、混んでいたため富士山見られず。
東京駅に着いたのは午前十時すぎ。宿を提供してくれる、東京の友人と待ち合わせ。最初の目的地、静嘉堂文庫美術館に着いたのは十一時前といったところ。
友人の「グラフィッカーの男(船長構文)」は、あるゲーム製作会社で3DCGやアートディレクションの仕事をしていて、建築物などの写真を撮る事が趣味。
茶道具には興味ないということだけど、自分は静嘉堂文庫美術館の建築を一目見たかったので、「建物面白そうだよ」と口説いて同行してもらう。
工芸沼にも引き込みたいところなんだが。
静嘉堂文庫美術館『眼福 大名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋』
丸の内に並ぶビルそのものは、特異なわけでもないが、ガラスの壁が空までつながるような見慣れぬ風景に、どうしてもキョロキョロしてしまう。
迷っていると古風な石造りの構え。明治安田生命ビル。あれれと思いながら入っていくと、そこが静嘉堂文庫美術館だった。
油滴天目(建窯)と堆朱花卉天目台。
国宝の窯変天目を目当てにしているのか、かなり人が多い。自分はこっちの油滴天目の方が好き。
器の外側にも天目の模様がフワーと散っている。
見天目の星の色は、内側も外側も、底の方は青みが強くて、地色の漆黒に沈むほどで、水底から上るかすかな泡のようなんだけど、口縁に近づくほどにグラデーションがかかって、赤くなるような緑色のような、虹のように明るさを増して、木漏れ日のように、見る角度によってちらつき、漆に象嵌された螺鈿細工のように、色味が変わる。それは釉薬の厚みのせいか、それともゆるやかに反って開く光の角度のせいか。
堆朱の天目台はその真逆で、タップリと塗り重ねられた朱漆の厚みがポッテリとしつつ、彫られた所が白く明るくて、重さは感じない。図案は大きな牡丹の花と、その葉。彫は線が細いけど深く密だ。その堀のミッシリした感じは、花弁と葉が隙間なく繁っている様子そのもの。
吸い込むような黒、散るような星の瞬きと、タップリした汁気を感じるほど温かい朱の艶めかしさ。このコントラストに、畳の黄と障子の白が加わって、濃い緑の茶が注がれたら、それはいったい、どんな光景になるのだろう?
灰被天目(毛利天目)と堆朱屈輪天目台。
これは、どういう色なんだろう?
艶々と、蝋を分厚く被ったぶ厚い葉っぱのような緑。
その深い緑色は、黒々した釉の下に沈んでいて、まるで闇夜なのに椿の葉が薄明かりにボーッと浮かんでいるみたいだ。
照らしているのは、薄い口縁にスゥと一筋走る、白く刃のような光だろうか。
そんな、いささかオドロオドロしい妄想をしてしまうのは、堆朱の天目台のデザインのせいかしら。
ただでさえボッテリとしたフォルムなのに、肉のように水気と重さを感じる朱色で、そこにさらに、今にも器からはみ出しそうな大きな渦巻きが、グルグルと彫られている。深く太い掘り込みは、獣皮のような茶色と剛毛のような黒の、細い線の束だ。
同じ天目茶碗、同じ堆朱の天目台なのに、こうまで違うものなのか。おっそろしいなあ。
井戸茶碗・銘「越後」と銘「金地院」。
同じ井戸茶碗でも、銘「越後」は貫入もカイラギも荒く、大振りなヘラ跡もクッキリとエッジを残していて、真っ二つに割れたかのような、でっかいヒビまである。銘「金地院」の方は、貫入は細かくて、カイラギもつつましやかだ。ヘラ跡も溶け去ったように消えて、全体的に朝靄のようにあたたかく、ポゥと頬を染めたように、おだやかに色付いている。
対照的な二碗をさりげなく並べるだけで、井戸茶碗の面白さを教えてくれる計らい。嬉しいなあ。
黒楽茶碗・銘「紙屋黒」と赤楽茶碗・銘「ソノハラ」。
黒は桃山時代の初代・長次郎で、赤は江戸時代の三代・道入とのこと……よく知らない。間が百年ほどあいているなあ、くらいしか思いつかない。
火力がだいぶ違うかなあ。黒は歪んだ円筒形、赤は半球形。どちらも楽だから、厚手の作りなんだけど、黒はズドンと落ちる形だからか、分厚く見える。赤は形のせいか、明るい色味のせいか、厚いはずなのに軽やかだ。
黒の内側は茶色がかっていて、外側もよく見ると、かすかに茶色の気配がする。撫でつけたような形と、ヌルリとした質感のせいか、その見た目は田んぼの底の泥みたいで、もしかしたら撫でたらトロトロとまだ泥かもしれない、なんて気すらしてくる。
赤の方は、赤というには薄く明るい桃色で、柑橘系のような滑らかで細かい凹凸がある。その凹凸に重なって、白っぽい斑が散らばっている。黒が田んぼの泥ならば、赤は川の上流の石みたいだ。硬い色石が、細かい凹凸を残したまま、艶やかに磨かれた感じ。触れたらひんやりと冷たそう。
黒は深めの筒茶碗だから秋冬用、赤は春夏用かな?
茶入れ多すぎ問題。
どれもこれも名物、大名物の類だそうだけど、数が多くて、何が何だかわからない。自分は、茄子と肩付を見分けるのがやっとだって言うのに、こんなに見せられても困っちゃう。
あきらめて飴色の変化を見比べる。基本鉄釉だから、艶やかで赤黒い茶色なんだけど、部分的に還元がかかっちゃったのか、うっすらと青みがかっていたり、銅でも混じったのか、緑色や桃色が射していたりする。
形について。ロクロ挽きしたりヘラを使ったりするのに、小さいせいでブレるのかな? 同じ肩付や茄子でも、どれも微妙に違う。意図的に変えているものも多いけど、みんなどこかに偶然の要素が垣間見える。
珍しい形として、芋子とか大海とか瓢箪とかもあった。そんなの見た思えがない。不勉強なのが悔しい。
野々村仁清が数モノと自分で言ってる、十八口一揃の茶入れというのを見ると、味の素のビンみたいなのとか、スキヤキ鍋みたいなのとか、壺はもちろん、梅瓶や瓜形、片手付のとか、色々試していたようだ。発注を受けるときの見本にしていたのかな? 営業努力・開発努力がよくわかる。
しかし名物、大名物の類は、やはりスタンダートなデザインがメインかな。形はスタンダートだけど、釉薬の色や流れが面白いものが多い。
付属品多すぎ問題。
それにしてもだ、名物・大名物は、茶入れ本体よりも付属品が多い! お盆までついてる! 何より箱と包みがメッチャ多い!
箱は、白木のと塗りのが二箱三箱とあって、サイズが順々に大きくなる感じ。マトリョシカみたいに入れ子になってるのかしら。
包みは茶入れにジャストフィットなサイズだけど、何枚もある。古い錦や金襴の布。織りの細かさ、手の込み様とか、海外産っぽかったり、どれもtチョット普通の布じゃない雰囲気。紐もしっかり編まれた、相応なモノに見えるけど……細かいトコロは、ガラスの向こうで遠くてよく分からない。見えてもやっぱり不勉強で分からない。たぶん。
何代も受け継がれたり、名家から名家へと渡るたびに、新しい箱が作られ、包みも新調されてきたのだろう。箱の数、袋の数は、名品であることの証というわけだ。
名家いろいろ。
そもそもが、この美術館自体、三菱財閥創業者の岩崎家のコレクションを基盤としているので、だいたいが華族士族の名家旧家の所蔵品である。というかそもそも、この企画展のタイトルからして、大名家の雅風を偲ぶという趣旨。
だいたい、名物とか大名物なんていうのも、それなりの人物の手にあったからこそ付く肩書である。
出てくる名前は、岩崎家をはじめ、徳川将軍家とか足利将軍家とか、織田信長とか豊臣秀吉とか、伊達政宗とか前田利家とか春日局とか、大河ドラマのメンバーだらけ。近江小堀家とか、姫路酒井家とか、自分は良く知らないけれど、お好きな方が聞けば、キャーッて言うような人たちなんだろうなあ。
自分は、近江の小堀家と言われても小堀遠州しかしらない。松平不昧とか……確か、有名な茶人でしたっけ? という程度の知識。
書状なんかもソコソコあって、熱心に読んでいる人も結構いたから、日本史マニア向けの展示でもあったのかな。
数ある銘品のうちには、今は修復されていますが、本能寺の変で焼けましたとか、大坂夏の陣で壊れましたとか、そういうのもポツポツ。
ホント、真面目に勉強してればよかったと、今になって後悔する。知識があればもっと解像度高く楽しめたんだろうな。
「以前の持ち主は鴻池家かあ……落語『はてなの茶碗』に出てきた大店だ……じゃあ、鷹司の中将様も実在したのかしら?」
とかなんとか。
千利休 黒塗大棗。
小堀遠州や松平不昧がいるのだから、当然、千利休もいる。
棗。漆器の茶入れ。
ガラスケースにチョコンと座した、黒漆の小さな筒。もちろん単純な円筒ではなく、半ばから裾にかけて、スゥとかすかにすぼまる様子が絶妙。蓋の縁も鋭さと丸みの境、丁寧に薄く塗り重ねられた漆は一切の乱れがなく、光沢は一筋に走って全くぶれない。
まるで鼈甲か琥珀みたいに、かすかに朱漆が透けている。この赤は、どれくらいの深さにあるんだろう? 手の中にスッポリ収まるサイズなのに、黒漆は深い闇のようで、朱漆が無限の遠くにあるかのように見える。
要は茶入れという道具にすぎないはずなのに、怖くてこんなの開けられない。いや、こんな掌の中の夜みたいな塊を開けると、明るく緑色に輝く茶が現れて、闇の代わりに香りが立つ、そこに驚きがある……ということ、なのかな?
ホント、こういうものは実際に使わないと分からんな。お抹茶を頂くのはいつも立礼席で、茶入れの口開けなんて見た事がない。折があれば点てる所を見せてもらおうか。
しかしこのレベルの名物って、実際に茶席で使うのかしら?
もちろん、最初の持ち主である千利休は、何度も使ってただろう。それに、この美術館に収蔵されて美術品となる前は、いくら特別と言えどあくまで茶道具だったわけだから、初釜だの歳暮だの、機会を見て出してはいたのかな。
千利休 竹茶杓・銘「両樋」。
利休ゆかりの品は、茶杓もあった。
遺作である『涙の茶杓』は徳川美術館で見たけど、こういう、ブイブイ言わせてた頃の茶杓は初めて見た。
涙の茶杓は、もうこと切れそうな細さ、薄さ、色味も暗く感じたけれど、ここのはまだまだ太くて厚い。生き生きしていて、植えたらまた葉っぱが生えそうだ。
……たぶん気のせいだけど。
『涙の茶杓』を見たのも、もう何年前だよってくらいの昔だもの、自分の記憶力じゃ、色も形も覚えちゃいないはずなのに。確かな記憶は、竹筒に窓が開けてあった事くらいだ。
今、この元気だった頃の茶杓を見て、記憶の中のイメージが描き変えられたんだろう。
こういう妙な気分を体験するのも、ミュージアム巡りの一興である。
野々村仁清「色絵吉野山図茶壷」
その作品を一つでも持っていれば美術館の格が上がる、という作家は色々いる。陶、特に京焼であれば、野々村仁清はその代表。それが四作品も展示されている。
十八口一揃の茶入れの他、吉野山図の茶壷、法螺貝の香炉、白鷺の香炉。色絵と造形という、仁清の魅力はココ! という見せどころを、ガッチリ押さえた展示。
吉野山図の茶壷、というのはつまり桜の絵付。背景がずっしりした黒ということは、コレは夜桜なのかしら? しかし肩から口にかけては、絵巻物の雲のように金が蒔いてある。胴に満開の桜は、これは釉を盛り上げたのかな? 花弁の一枚一枚が立体に表現されている。それを支えるように、ふうわりとした緑がたなびいているのは枝葉か。さらにその隙間を埋めるように、金色の靄が沈めてある。よく見ると細かい草花が描かれていて、これは吉野の山の下草なのか。
金色の雲が浮いていて、下草も黄金色に照らされているということは、背景が黒でもこれは昼の景色かもしれない。蒔絵の漆器だって、地が黒漆なら黒背景でも昼間の情景だからなあ。
このあたりの解釈は、他の茶道具との組み合わせや、掛物や生ける花なんかで、その茶事をどう演出するかで決まって来るんだろう。
最終的には、亭主や客も含めた茶席が完成形であって、茶道具はどんな名品であろうとも、それだけでは未完成な一部分にすぎない。
とはいえ、自分は茶人じゃないので、仁清の陶はそれだけで、もう、もう、ああもう、となってしまってよいのだ。
野々村仁清「色絵法螺貝香炉」
ねえこの法螺貝の香炉、何がどうなってんの?
陶磁器というのは、粘土で作る。粘土はフニャフニャなモノである。しかもだ、焼き物を焼くというのは要するに、粘土の粒子を一旦溶かすという事。
なのに……どうしてこんな細かくリアルな細工ができるんですか?
型取ってんじゃないかってくらい、造形がゴリゴリの写実だ。でも、型じゃあこんな、伸びやかな生々しさは出ないだろうし。波が寄せるたびに、覆いかぶさっては貝殻のデコボコを洗う、波の流れが見えるようだ。
造形はそんなリアルなのに、なんでこんな色付けにするんだろう? 赤、緑、紺、貝殻の色じゃない色が、細かい凹凸にちりばめられている。アントニオ・ガウディがそのオブジェを覆ったあのモザイクみたい。あるいは、スーラの点描? いや、こんな離れた色相の色を度胸任せにバチバチ組み合わせるのは、シニャックに近いかな。
これもなあ……美術館の明るいケースの中じゃなくて、色調を抑えた茶室の、薄暗い床に置かれたら、さて、どれほど眩く煌めくか、想像もつかない。
野々村仁清「銹絵白鷺香炉」
白鷺の香炉。極細筆先でツンと突いたような瞳。嘴、足、冠、羽はデフォルメされて、よく見なきゃ分からないくらいに薄く浅く細く。
それで、いやがおうにも強調されるのは、その形態。
シルエットは台所のお玉が柄を垂直に立ててるみたい。
ゴルフのドライバーヘッドみたいな胴がポンと座っていて、キュウッとすぼまった先が、細く鋭く、垂直にスパーッと伸びる。その伸びよう、弓弦のような力のこもり具合、緊張感。白磁の肌が、ますます白く見える。
おそらく、暗い茶室の床にあれば、そこだけ光が鋭く差し込んでいるように見えるのだろう。
極力細部を排除して、単純なフォルムを突き詰めた、法螺貝とはまるで正反対のコンセプトの造形。
ブランクーシもびっくり。俺もびっくり。
なんで仁清は、こんなに自由なんだろう?
国宝・曜変天目茶碗(建窯)
その他、青磁の砧花入れとか、三島俵型花入れとか、三嶋芋頭水注しとか、香合も面白いのが色々。どれも良い品だけど、語るとしたら、徳川美術館か愛知県陶磁美術館か、木村定三コレクションとか、あのへんを切り口にしたい。
というわけで今回の展覧会のクライマックス。
国宝である。曜変天目茶碗。
油滴天目との違いを考える。星の数がちょっと少ないかな?
外側は全く星がなく、黒い釉が分厚く乗って、トロトロと絹のように垂れた裾が、もうすこして高台にかかりそうだ。
いや、コレ黒と言っていいのかな? 青い?
目に見えているのは、確かに黒のはずなのに、一度吸い込まれた光が、はるか遠い深奥から戻って来て、染み出しているかのような、青白い光を感じる。
内側を覗き込めば、そんな闇の中で右往左往してる光の様子がうかがえるようだ。青かったり白かったり、チカチカと瞬いている。
これでお茶飲むの? 触るだけでも、異世界に連れていかれそうなんだけど。というか、お茶を飲むのに、どうしてこんな色と輝きのモノを作っちゃったですかね。
どう考えても、食欲とか飲む欲を誘う色合いじゃねえんだけど。口に入れるモノの器とは思えないよなあ。
……まさか、それが狙いなのかな。
コレを使うような茶席というのは、単にお茶を飲む、という行為ではない。全く次元の違う行為、ともすれば儀式や神事に倣うような、そんな指向の行為。
だから、とても食器とは言えない、こんな器が必要だった。
だから、茶席を茶席として成立させる要素の象徴として、この曜変茶碗が必要だった。
だから、茶事が茶事でありつづけるために、茶道を茶道とあらしめ続けるために、これは国宝でなければならない。
……そういうことなのか?
アレコレ考えていたら、同行の友人に小突かれて、何とか現実に戻ることができた。同行者がいてよかった。あっち側に行っちゃうとこだった。
友人は、建築は気に入ったらしいけれど、やっぱり茶道具には興味が湧かないようだった。まあ、その方が良いか。
底なしで、どうやって勉強すればよいのかすら分からない。奥が深いのにも程があるよな。
次の美術館は、たぶん退屈しないから、となだめつつ、昼飯に向かうオッサン二人なのであった。
現状報告(主に #note の更新)及び
— レオナール・フグ田🐚 (@LeonardFouguta) January 5, 2025
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