明日が人生最後の日だったら私は…
「明日死ぬかもよ?人生最後の日に笑って死ねる27の質問」
ひすいこうたろう
何気なくkindleで購入した一冊。
今まで「明日に死ぬかもしれない」なんて感がることなく過ごしてきた。
この本を見つけたときも、
「まあ明日死ぬと考えたとしても何か大きく変わることはないだろう」
と思っていた。
それが読み終わった途端、今後自分の生き方を大きく変える一冊になる気がした。
そして両親に「ありがとう!」と走って言いたくなる、そんな本でした。
ぜひ読んでほしいです。
印象に残った文章について自分の気持ちをまとめます。
まず声に出して読んでみた。
ただ読むだけと声に出すのでは全然違うかった。
声に出すと、時々言葉が突っかかるような、声に出したくないような
文章がいくつかあった。
それは自分が無意識に「そう思ってはいけない」と
思ってしまっている言葉だった。
もう一度声に出して読んでみると少しずつ引っかかっていた言葉がするすると受け入れられるようになった。
言葉に出す大切さを知った。
普段家族や恋人にイライラをぶつけたり、自分の感情の都合でつい態度を悪くしてしまったり…
でも、明日その人が死んでしまったらもう話すことも会うこともできない。
その人を感じることが出来ない。
そう考えると、1回1回の合う時間、話す時間をちゃんと大切にしようと感じた。
東日本大震災で家も家族も亡くした人が言った言葉。
最愛の人をなくしても、落ち込んでやけになるのではなく、前を向いている。辛いけど、心が完全につぶれる前に一歩進もうとしている。
何もかもなくなっても動ける。
人間は強いんだって感じた。
私は自分が今の現状をすべて失っても、前に向けるだろうか。
ハッとさせられた。見えるものや小さなことには必死になるけど、
根底の一番大切な「自分の心」には目を向けないんだって。
いままで本心を隠してきた。
社会の目にとらわれていた。
こうあるべきだと固定観念が強くなっていた。
でも本当に自分が望んでいる生き方、過ごし方、心地いいって何だろう。
ワクワクという感情が一番生きていると感じられた。
一般的にいいといわれる会社ではなく、自分が決めてワクワクした会社に転職した。インスタ映えするカフェではなく、ワクワクするようなメニューのある定食屋さんに行った。流行りの服ではなく、着ることを想像してワクワクする服を買った。
ワクワクは自分の行動力を上げて、失敗しても他人のせいにしなかった。
むしろそれもいい経験で不快にならなかった。
もし明日自分が死んだら何もできなくなる。
せっかくの自分の人生なんだから、やりたいことは全部やる。
それくらいの気持ちで動いてみよう。
まず、ずっとやりたかったコンプレックスを解消する
両顎の整形。
ダイエットもしてきれいなスタイルになりたい(笑)
そしてもう一回イラストを描きたい。イラストレーターになりたかった夢があったのに。絵が下手だからそれはできないと勝手に決めてしまった。
でも描いてみよう。下手でもいい。
一度でいいから大草原の真ん中で何も考えず寝たい。
北海道の草原に行こうかな。
オーロラを見たい。バリ島に行ってリゾートを存分に楽しみたい。
自分のイラストや世界観のある商品を作って人に買ってもらいたい・・・
沢山出てくる~したいは全部一旦行動するときめて、そのために貯金をしたり、ローンを組んでみよう。誰も一緒に行けなさそうなら一人でも行こう。
先に予定を決めちゃえばいいんだ。
決めてしまえば、もうするしかないんだから死ぬ気で準備もする。
そうやって先延ばしにしないで、やると決めちゃおう。
今から身体を動かして、一歩やってみることに決めた。
著者は犬の散歩を夜8時から朝4時までしたそう!
予想以上の長時間でまさに「とことん」だなあと。
犬の散歩にそんな時間をかけたらその日はもう何もできないし、
何のメリットもないんじゃないか、普通はそんな風に思って
つい行動をやめてしまいそうだけど、
意味のないようなことに一生懸命取り組むと、
そんな自分を、次第に好きになれるそう。
すごくいいなあって思った。
私は死ぬ気で何に取り組もうかな。
どれだけ寝れるかを挑戦する…
どれだけ好きなパンだけ食べて暮らせるかに挑戦する…
だめだ、これくらいしか思いつかない(笑)
喜ばれると確かにうれしくなる。誰かが喜んでくれるために何ができるだろう、って考える。
この感情をもっと大事にしよう。
ありえない=有り難しこそ自分の命なんだ。それくらい自分のことを大切にしないといけないんだ。いつも目には見えない自分の命を大切にできていなかった。死のうと思ったことが何度もあった。自殺の方法を何度も考えたこともあった。でもそれはいつも「自分をまもるため、つらい今の現状から逃げるため」でしかなかったんだと思う。自分がいる意味なんて大それたことは言わないけど、簡単に命を投げ出すのはやめようと思うことが出来た。
質量の話というか、スピリチュアルの話というか、信じがたい話だけど、
モノにも「思い」分の重さがあると考えるだけで大切にできる。
それぞれのものに役割があるから自分にも自分なりの「思い」「役割」を見つけていきたい。
どれだけ辛い日々があっても、悲しい経験をしても、それも自分の糧になる。そして、淡々と過ぎる、普段つまらないと言ってしまうような日々こそが本当に幸せなのかなと。変化が必要とか、成功しないと幸せじゃないとか、そんなことはない。普通の中の小さな喜びにもっと目を向けてあげよう。
現実を受け入れて、手を抜かない。これって本当につらい時こそ逃げたくなるけど、逃げて死んだら何が残るのだろう。そう考えて一旦立ち止まってみる。それだけ考えた挙句、やはり死を選ぶのならいいと思う。
肩の荷が下りる、というときは緊張や極度の責任感から解放されたとき。借金で首が回らない、という表現があるのも文字通り感情と体がつながっているから。
ちゃんと感情を無視しないで、嫌な感情こそ「今感じているんだ」って向き合ってあげることが大切。
いつか死ぬ。だったら自分を偽らず、沢山失敗して、認めてあげて、ありのままに自分と向き合って生きていこうと感じた。
わかる!同じことをぐるぐると考えているな、自分って何度思ったことか。
小さな不安や過去の小さなトラウマ、経験に振り回されている時間ってもったいない気がしてきた。
でも明日死ぬとしたら?
そんな不安バカバカしくなってどうでもよくなるだろう。
本当、いつ死ぬかわからないんだから90%の未来の不安なんて考えるだけ無駄だな。
彼と付き合ってしばらくすると、一緒に過ごす時間も当たり前になってしまって、他のことを考えながら相手と過ごしてしまう。でも彼が明日死んでしまったらと考えると、いまこの瞬間ひとつひとつを大切にすべきだと実感した。
恋人にかかわらず、家族との時間も大切な友達との時間も1秒1秒大切にしていこう。
そう考えるだけで普段の毎日を大切に生きたいと感じた。
他人の価値観に踊らされ、自分の本当の夢ではない夢に惑わされて、その結果自分に見ていない本心でない夢を追って叶わないということがある。
本当に自分がやりたいことは何だろう。自分はどう生きたいのだろう。
最近はSNSを見る時間が多く、キラキラしている人や成功している(ように見せている可能性もある)人を見て比較してしまう対象がそこら中に転がっている。そんな環境で自分の軸をもって生きている人ってどれくらいいるのだろうか。
私はSNSや他人、社会に踊らされるような生き方はしたくない。
自分自身を見つめて、自分本来の雰囲気や性格を受け入れてその方向を成長させて生きていこう。ちぐはぐな人生はやめよう。
本当は、どうしたいの?今の人生、他人のレールに乗っかっていない?
常に自分の心に聞いてあげるようにしよう。
感じたらすぐに動こう。
毎日大切に生きよう。
ふわっと終わる日常より、
今日も空がきれいだな、とか本当に食べたいご飯を食べれて幸せだ、とか
小さな喜びもかみしめて生きよう。
少し引っかかった他人の言葉も、なんかもやもやした気持ちも、ちゃんと心で聴いてあげて、吐き出してあげよう。
小さなことだからといってみて見ぬふりをしないであげよう。
そうやってもっと自分を大切に、自分の時間を大切にしよう。
そして大切な人との時間はきちんと向き合って過ごそう。
たった1冊の本でこれからの自分の生き方をかえられそうだ!
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