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フユシャクと星のきおく

フユシャク。
それは初冬に現れる、
儚い蛾たちの総称だ。

ウスモンフユシャク(Inurois fumosa)のオスが木の幹に隠れていた。2023年撮影

彼らがあらわれるのは、
10月の終わりから12月のはじめまで。

なぜこんな寒い季節にと思うかもしれないが、この季節に成虫になり、子孫を残すことを彼らは進化の過程で選んだというか、厳しい種間競争の果てにそうなったのである。

生物学的用語では、これを『ニッチ』という。

よく、そんな生き方を選んだもんだ。

昆虫をみていると、
多様な生き様に本当に驚かされる。

それでいうと僕は、なんでも器用に撮れはするけど、器用貧乏。生き物が好きで、森歩きがしたくて写真家を名乗っているから、「〇〇の写真家」というキャッチコピーのようなものを嫌う。

そもそも僕が、
カメラを得意だと全く思っていないのだ。

カメラは、
光を捉えるものであるが、
必ずしも「良い光を撮れ」ということではない。

どんな条件でも、
写真は写真。光は光。
そうでしょう?

そんな捻くれた事を思っていたのだけど、
先日訪問した道東で、11月にもかかわらず、
サンピラーのような夕陽を観たとき、

光は美しいと、久々に思った。

カメラはじめたての高校生の頃は、『光』を追いかけていたし、『瞬間』に飢えていた。それがいつの日か、どうだろう。

今や、カメラ任せで良い写真が撮れる時代になりつつある。


ウスモンフユシャク(Inurois fumosa)の交尾。
2023年撮影

「尚更、良い写真なんてどうでも良い。
僕もそうだし、世間も、目が肥えている。」


「良い写真が当たり前の時代になったことは、勝負事の嫌いな僕にとって、むしろありがたいことなのかもしれない…」

この葛藤には終わりがないから、特に撮ることを止める事はないのだが、今年も、やりたいことを消化しきれぬまま、一年が終わろうとしている。

フユシャクの死骸たち

今年も札幌のフユシャクのオスたちは、
ほぼ生涯を終えた。

フユシャクのメスには翅がないので、彼らはみなオスだということがわかる。

彼らはメスのフェロモンに誘引されて、交尾をしようと集まるらしいのだけど、ここまでわかりやすく沢山水面に死骸が落ちている場所は、この森の中でもここだけだった。

彼らが一体どんな経緯で息絶えたのか、
それはわからない。

だけど彼らが死に浮いている姿をみて、綺麗だと思った。枯葉色だから、森を歩いていても案外気がつく人は少ないだろう。

まるで、夜空に光る恒星のようだ。

雪の上を歩くクロテンフユシャク(Inurois membranaria)オス。2023年撮影


森は、ちゃんと輝いていた。

不確かで、不確実な世界。
そして毎年、季節は廻っている。

わからないのどこかに、
星の記憶をみていた。

そして僕はカメラ越しにしっかりと
『光』を重ねていたのだった。

『日に生きる』と書いて、星と詠む。

今日も地球上で、星は輝いている。

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