「禅の響 -ZEN no OTO- | 回向 」青く赤く
心は穏やかなままで過ごす事は出来ない。
生きる事は荒々しい。
それが活力であり、一つの道標でもある。
日々、一日の終わりに、今日はどれだけ苦しんだか自問自答する。
生きる荒々しさの先に初めて安らぎを知る事ができる。
もし、あなたが安らぎを必要としているのであれば、
より一層苛まれる事だ。
コロナ禍になり、より一層思う事は、生に執着する事です。まだ出来る事があると歯を食いしばりながら生きる。誰かのせいにも、誰にどう思われるのでもなく、しっかりと自分の足で生きていく事。
僕もこの一年、随分葛藤しています。答えのない迷路にいるような。常にこれでいいのかと思っていますし、一日の苦しみが次に持ち越したりして。それでも頑張れるのは、家族であったり、友人であったりの優しさがあるからなのだと実感しています。そして、その先に必ず出口がある事も知っています。大事なのは逃げない事と、外に答えを求めな過ぎない事。
禅の響の解説を読み返すと、随分偉そうな事を言っているなと思う事が多く、恥ずかしくなりますが、それは自分自身を鼓舞するためで、実際には、とても臆病ですし、石橋を叩いて渡るタイプです。
つい先日、45歳の誕生日を迎えました。大学院を修了してから20年が経ちました。随分長く尺八を続けてきたものですけど、でも結局、音楽や音に求めている事は、あの時と一つも変わらず、理由をつけてしていない事が、まだ沢山あるだけです。歳をとれば、やりやすくなる事もあり、これからは、もっと全力で音楽に打ち込もうと思っています。毎日、あれやこれや思い行動に移していても、夜寝る時は臆病なもので、まだ足りていない事があると思い、とても怖く眠れなくなります。
僕の安らぎは、まだ遠いところにあるようです。
僕の煉山の煉の字は、努力を怠る事なく、青く、赤く、練り上げ、燃えたぎる精神を誓うために付けた名前です。どうか、10年、20年先もそうでありますように。そう思う今日この頃。
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