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1. 鸚鵡の従者【花の矢をくれたひと/連載小説】
前話・prologueはコチラから
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1. 鸚鵡の従者
愛神カーマ(またの名を悪魔マーラ)は気がつくと大空の高きところを駆けていた。
下を覗くと雲の波が随分と遠くに見える。雲のなきところもまた霞んでいて、その先に海があるのか大地があるのかよく分からなかった。一方で彼と太陽との間に邪魔するものは何もない。遮られない陽の光はカーマの緑色の肌を直に焦がしてくるようだった。
釈迦族の王子の解脱を妨げようとした、その時の記憶が脳裏を過ぎる。いったいどのようにしてあの場を離れ、なぜ今こうして空を飛んでいるのだろうか。
カーマはそこで気付いた。無数の羽に覆われた大きな大きな背に己が騎乗していることに。巨大な鳥だ。緑色の躯体をしていて、真白い首の先には赤い鶏冠が見える。後ろを振り返ると、色とりどりの淡色の尾が風に伸びてはためいていた。
「やあ、目を覚めされましたな、ご主人」
その声は触れた背を通じて直接カーマの体に響いてきた。
「君はなんだ? いったい俺をどこへ連れて行くんだ?」
「なんと! 私のことまで忘れてしまわれたか。……悲しゅうございます」
巨鳥が項を垂れると、鶏冠がピンと天に向かって聳り立つ。それはカーマにはどことなく見覚えのある光景だった。
「まあ仕方ありませんな。奥方さまのことまで忘れてしまわれたのですから。私めのような末席の召使いのことなど覚えていなくて当然でございます。私のことは『シュカ』とお呼びください。我が鸚鵡の一族には高名なグナサーガラのような者もおりますが、残念ながら私に名はありません」
「śuka(シュカ)」とは古代インドの言語で「鸚鵡(オウム)」のことだ。カーマを乗せている鳥は巨大な鸚鵡だったのだ。しかし高名だと言われた鸚鵡の名をカーマは知らなかった。
「分かったシュカ、君のことを忘れてしまっていてすまない」
「いえいえ、こうしてまたご主人を背に乗せてインドの空を翔べるだけで、私は嬉しくて嬉しくて、三列風切が開きそうな思いとはまさにこの事でございます」
いったいどんな慣用表現だ、とカーマは胸の内でひとりごちた。
インドの空……そうだ、この空だ。聖地ウッジャイニー、花の都パータリプトラ、デカン高原の集落。人のあるところならどこにだって赴いた。
カーマはインド亜大陸を駆け回っていた頃の感覚を思い出した。いつだってこの空を通っていた。己はかつて確かにシュカの背に乗り、鶏冠の先に広がる空をぼんやりと眺めていた。
そして……いつも物思いに耽っていたような気がする。そう感じるのは、いま目の前に広がる空が果てしなく青一色だからか。カーマは妙な喪失感に心を占領され始めていた。
黙りこくる主人の姿を見かねたシュカは翼を一度大きく羽ばたかせた。
「さきほどの2つ目の質問への回答がまだでございました。ご主人、しっかりとつかまっていて下さいませ! これから時空を突破して天界の東方、戦神インドラの隠れ処へひとっ飛びします」
そう告げると、鸚鵡は空翔ける速度を一挙に上げた。なぜそのような地に向かうのか、カーマに問う余裕はなかった。
激しい風の衝撃が押し寄せ、水蒸気の礫が顔に当たり痛みが走る。カーマはたまらずシュカの後ろ首に顔をうずめ、吹き飛ばされないように必死に胴を腕で抱え込んだ。
「イタタタタ、痛い! ご主人、羽を毟らないでください! でもこの感覚もまた懐かしくて、私は嬉しゅうございます〜!!」
羽と大気との摩擦が激しく火花を散らし、そこにシュカの歓喜の雄叫びが加勢すると、時空に巨大な穴が開いた。神1人と鳥1羽、ひしめくエネルギーに飲み込まれるように飛び込んでいった。
愛神を乗せた鸚鵡が向かうのは、インド最古期に神々の世界を席巻したインドラ神の元だ。
そこではいったいどんな物語が待ち受けているのだろうか?
── to be continued──
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〔簡単な解説とご注意〕
鸚鵡はインドの説話や詩の中にしばしば登場しますが、たいていお喋りな動物として描かれます。
詩『アマルシャタカ』で鸚鵡は、夫婦喧嘩のセリフを覚えて近隣住民に暴露します。説話集『鸚鵡七十話』は、夫が出張中に妻が浮気をしないように毎夜物語を聞かせるといった枠物語になっています。人間に近しいペットとして、コミカルな語り部として、文学の中で愛されていたようです。
「神さまの従者の鸚鵡がもしお喋りだったら?」という想像から、シュカのキャラクターが生まれました。忠誠心は人一倍なのに、ちょっと慇懃無礼でウザい爺やのような鸚鵡。
下の絵は前にも載せたものですが、愛神カーマと鸚鵡を描いたものです。カーマは絶世の美男だったそうなので、この絵よりもイケメンを想像しながら物語を書いています。笑
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*なお本作は何らかの宗教的信条を伝えたり誘導するために書かれたものではありません。あくまでエンターテインメントの1つとしてお読み頂くようお願い申し上げます。
*解説中の画像はいずれもパブリックドメインのものを使用しています
〔参考文献〕
・松山俊太郎『インドのエロス 詩の語る愛欲の世界』白順社
・田中於莵弥訳『鸚鵡七十話 インド風流譚』平凡社
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![矢口れんと](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168307582/profile_f974674ed30fcd31f90c73517e95704f.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)