神話部発足の原動力・佐野史郎さん②〜ラヴクラフト
*記事のヘッダーは読書家のための雑誌BRUTUS(マガジンハウス)の2019年1月号より。本記事は同書を引用、参照しています。
先日、小泉八雲の朗読をする佐野史郎さんについて紹介させて頂きました。
八雲の記述と佐野さんの朗読から考える、いまこの時代に神話を読む楽しさや意義について書いてみました。前記事をまとめると「人々がそれぞれの人生を肯定し謳歌するための神話」と捉えられる、と僕は考えています。そしてこれこそが、note神話部発足の原動力の1つとなったのです。
今回は佐野史郎さんについての第2弾になります。松江に生まれた佐野さんは、幼少期から身近に「封じられた神」や「動かしてはいけない石」がある土地に育ったようです。そんな佐野さんは高校時代に、とある作家と運命の出会い(と言って良いと思います)を果たします。それがH.P.ラヴクラフトでした。クトゥルー神話という創作神話と、非常に関連が深い作家です。
写真はBRUTUSの特集より。
「この世は、クトゥルー神話」と、なんとも刺激的な見出しの横に2人の男性が立っています。右側が佐野史郎さん、左側は文芸評論家の東雅夫さん。東さんはホラー小説に精通されており『クトゥルー神話大辞典』を著した方です。
クトゥルー神話って?という方へ。
海外文学ジャンルの1つで、異次元から到来した異形の姿を持つ神々が現代にも眠っていて復活の時を狙っている、という壮大な世界観を基に書かれたフィクションです。ラヴクラフトはクトゥルー神話の創始者にあたります。彼の1920-30年代の小説が雛形となりました。それらは生前には全く評価をされなかったものだったのですが、ラヴクラフトの作品を好んだ作家たちが彼の世界観を受け継いで文芸創作を続け、後に広く知られることとなりました。
佐野さんと東さんは生粋のラヴクラフト、クトゥルー神話のファンなのです。ちなみにこういうクラスターの人々を「ラヴクラフティアン」と呼ぶそうです。知りませんでした。
せっかくなので、ラヴクラフトの作品をいくつか紹介しようと思います。いずれもクトゥルー神話体系の骨格を担う作品たちです。
・『クトゥルーの呼び声』
私は言語学者である大叔父の死をきっかけにある秘密を垣間見ることになる。浅浮彫りに描かれた謎の文字群と異形の怪物を辿っていくと、神智学者らを嘲笑うかの悪魔崇拝、暗黒神話に行き着いた。既知の異教徒よりも遥かに遠い異域にいる集団が信仰するものは何だったのか? 海に沈んだ巨石都市からの呼び声が、さざなみのように人々の心へ……
・『ダンウィッチの怪』
ダンウィッチという名の郡区に起きた怪事件。牛の惨殺に続いて、次々と村人が姿を消し、家々は廃墟と化していく。現場には悪臭を放つタール状の液体があるのみ。三人の博士が残された奇怪な足跡を追い山を登ってみると、そこには……
この2作品は新潮文庫から南條竹則訳で読むことができます。
・『狂気の山脈にて』
南極大陸に向かった探検隊はそこで古生物の化石を発見する。さらに分隊が未知の山脈に到達し、独自の進化を遂げた大型で奇怪な化石を発見したと連絡が入る。しかし翌朝、分隊からの一切の連絡が途絶えてしまう。真相を知るべく捜索に向かうが、その山間には「テケリ・リ!テケリ・リ!」という異様な鳴き声が響き渡る。
こちらは大瀧啓裕訳を創元推理文庫で。
ラヴクラフトの作品は短〜中編が多いので、お気軽に手に取ってもらえると思います。電子書籍もありますので、GWの楽しみの1つにいかがでしょうか? ただしディストピアの極致とも言える独特な風味と重厚な語り口は、好みが分かれるかもしれません。
さて、佐野さんがBRUTUSの対談で語った「この世は、クトゥルー神話」とはいったいどういう意味でしょうか? これまで話してきた通り、クトゥルー神話にはおどろおどろしい神々が登場し、人類の安全な生活を脅かしていきます。神話にはもちろん現代への警鐘や、人間性への回帰、などといった要素も含まれると思います。でもそれはクトゥルー神話でなくても賄えるものです。
クトゥルー神話の興味深い点は、多くの作家たちがラヴクラフトの作品世界のルールを受け継いだ、という点にあります。彼らの小説のベースは、キリスト教的世界でも、日本的な宗教無関心・神仏習合の世界ではないのです。
異形の姿をした旧支配者たちに人間が脅かされる、という前提のある世界であり、これがラヴクラフトの作ったルールなのです。そのルールの中で作家たちが遊んだりはしゃいだりした果実としてクトゥルー神話が形作られていった、と言えます。
佐野さんはこのように言います。
今ある国家や社会のあり方というのは、それこそTRPG*と一緒で、誰かがある時点から作り上げてきた規則やそれまでの風習ですよね。(中略)僕も生まれてからずっとそのルールを受け入れているわけだけですけど、「ルールは一つだけじゃない」という感覚が子供の頃からあった
*TRPG)
テーブルトークRPGのこと。
人間同士の会話とルールブックに
記載されたルールに従って遊ぶ
“対話型”のロールプレイングゲーム
社会のルールは、無数にある「創作されたルール」の1つに過ぎない。クトゥルー神話に没頭しているときの自分は社会のルールとは別のルールで生きている。もちろんフィクションであるということは認識しながら、ただルールが押し並べて創作である以上、どちらが正しいとは決定できないことを神話が教えてくれている。
これが「この世は、クトゥルー神話」の真意だと考えられます。創作神話の秩序に身を委ねることによって、現実のルールを相対化できるのです。
少々(いや、だいぶ)夢のないことを言いますが、神話とはただの神秘的な幻想物語ではありません。歴史的には「国家の在り方や権威、血統を証明するための創作」という側面がかなり強いものです。それは信仰する者にとっては真実の伝承になるし、信仰のない者にとってはただ創作物となって現れるだけのことです。
宗教や国家、にばかり執着する時代ではなくなりました。加えて社会の多様性も増してきて、「ルールは一つだけじゃない」どころか「ルールは星の数ほどある」と言って良いと思います。
もちろん、それぞれの所属する社会ルールに従属するのは大事なことですし、現代人として見失ってはならないモラルや価値観もあります。しかしそれ以外に、自分なりのルール・秩序・価値体系といったものを作り上げていくことが、強く豊かに生きる秘訣だと僕は思っています。
本を読むとき、文章を書くとき……つまり独りでいる時くらい、自分を取り巻く様々なルールを忘れて、自分の内部にあるルールで自由に過ごしてみませんか?
自分の作り上げた世界に没頭する、熱中する。なかば狂乱的に自分の創作の内部を信仰してみる。
そうしていれば、その世界にハマってくれる読者や創作家が集まってくるかもしれません。
僕は「note神話部」が、参加してくださる皆さんそれぞれが抱える神話的世界の、間に浮かぶマザーシップになればいいと思っています。
生きてきた世界、見聞きしてきた世界、信じている世界観を、ぜひ持ち寄って自由に話していってください。
みんなで見たこともない自由な神話の大地に降り立って、ラヴクラフトの後継者たちのように、一緒に遊んでふざけてみませんか?
というわけで、佐野史郎さんについて2回に分けてお届けしました。
当面の目標は彼の朗読会に足を運ぶことです(果たしていつになるかなぁ)
読んで下さりありがとうございました!
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