見出し画像

「頑張る」ことができなくなったけどなんだかんだ幸せ

Lenoです。なんだか眠れないので、久しぶりにnoteを開きました。

今、私は自分語りがしたくてたまらないのです。おそらく、自分の気持ちや考えを整理したいんだと思います。なので今回は私の今までの心情の変化について話していきたいなと思います。

私は大学入学(2018)の頃から自分の価値観や人格が急速に変化していると感じています。怖いくらいに。

大学生になる前の私は、端的に言うと完璧主義者でした。
なんでも100%で取り組んで、100%の結果を残そうとしていました。
もちろんそれは悪いことではなく、むしろ自分のアピールポイントだったと思います。
そして、大学に入学。私は変わらず完璧主義を貫いていました。
その時期から私はどんどん精神がおかしくなりました。
100%取り組んでも100%の結果、50%の結果すらも出せなくなりました。方法を変えたり、時間を前以上にかけても一向に改善されない。
時間が経つにつれ、結果が残せない自分に嫌気がさし、自分のことがものすごく嫌いになりました。なぜもっと頑張れない。なぜ結果を残せない。出来損ないの私はみんなよりも頑張らないといけないのに。こんな人間が生きてていいはずない、とさえ思っていました。(かなり追い込んでました…昔の自分抱きしめたい)常に休んでも取れないような疲れ、からだの重みを感じていました。
そこから私は見事に精神を病み、大学を辞めることになりました。
このときに得た教訓としては、
「人間、限界が存在する」
「無理なもんは無理」

自分の救済措置として大学を辞めた私ですが、ここからもっと心の闇が広がっていきます。(キングダムハーツの話じゃないですよ)
大学を辞めたての私は「退学」という名の「逃げ」という選択をした自分を責めました。そりゃあとても。自分自身には人権ないと思ってましたから。私には食事をする資格なんてない、好きなことをする資格なんてない、きれいになる資格なんてない、誰かと話す資格なんてない…つらかった。
加えて自分のこの弱さを受け止めてくれる人がいなくてよりつらかった。家族には「いつまでも暗い顔しないで。精神科行きたいんだったら勝手に一人で精神科に行きな」と怒られました。このときの言動を機に家族にはもうどれだけ辛くても二度と相談しないと心に決めました。メンタルが強い人に吐露しても受け入れてくれないので。
この時期は本当に生きているのがつらかったです。「死にたい」じゃなくて
「生きたくない」っていう感じでした。

そんなことを腹に抱えながら私は通信制の大学に入ることになりました。
今私はその大学の4年生なのですが、入ってよかったなと思います。
理由としてはたくさんあるのですが、一番の理由は「色んな人達を見れたこと」です。通信制大学なので様々な人がたくさん通ってらっしゃるんですよ。皆さん職業や年齢も全然違くて。「通信制大学なんだからそうでしょ」と感じると思うんですけど、私は実際にそれを自分の目で確認をして新鮮な気持ちかつすごくびっくりしました。きっと心のどこかではみんな同じような生き方するんでしょって思ってたからびっくりしたんだと思います。実際に色んな生き方があるんだって確認できたのが私の中での大きな収穫です。そこから面白いことに、その生き方の多様性に気づいた途端、すっごい気持ちが楽になって、「もう好き勝手に生きてやろう」って思えるようになりました。本当に霧が晴れるようにすっきりしたんですよ。不思議。

前までの私は社会(周囲の環境含め)によってなんとなく形づけられた生き方に固執してて、そこから外れたらゲームオーバー、終。っていう風に考えてたんだと思います。でも、実際人生はそんなに単純じゃないし、簡単に終わらない。挫折したらそれで終わりじゃなく、続きがある。挫折をしてもその先自分次第でいいことたくさん経験できる。
世間的にはすごくシンプルなことかもしれないけど、私の中では大学中退をしてよかったことの1つになるくらいには大発見なのです。これに気づけただけで逃げてよかったじゃんって思えるのです。

好き勝手生きてやる!と決めてから、私は「頑張る」ができなくなりました。頑張るのが嫌いになったんでしょうね、私。それか元から嫌いだったかの2択。
最初はそんな自分が嫌だったのですが、「頑張る」ができなくなったことで好きなことにのみ没頭できるようになりました。今はそんな自分も悪くないなって思います。むしろ好き、かも?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?