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科学における『公開討論』の難しさについて考える。

コロナ絡みでは様々な意見の対立が見られる。それは健全なことだ。

そんな中たとえば『直接会ってオープンな場で話(議論)をしよう』と要求し、応じなければ『逃げた』としているのを見たことがある。

そのような挑発は低レベルでしかないのだが、当事者になると客観視できなくなるのだろう。気をつけなければならない。

今回は科学における公開討論の難しさについて素人ながら書いてみたい。


◆会話で議論することの難しさ

会話はコミュニケーションの手段のひとつだ。

伝えたいことや目的により手段の優劣はあるだろうが、科学において直接の会話が優れているとは思えない。

その理由はシンプルに言えば『対象が複雑だから』だ。

一緒に行くメシ屋を決める場合は会話で良いし、意思なり感情を伝えたい場合は直接の会話が優れているのだろう。

科学という分野であれば口で言ったくらいでは何の証明にもならない。ヒトの記憶なんてあてにならないし、感情的になって数字を盛ってしまうことはよくある。


◆科学における議論の方法

さて。

私は『マスク』という分野で多少論文を読めるようになった程度の素人だが、もしマスクについてオープンな場での会話による議論を要求されたら基本的には逃げるだろう。

そのような方法では議論が成り立つ気がしないからだ。

もっとも、相手との齟齬を探るくらいまでは口頭のほうが良い気がする。そのような条件付きであれば良い。

◇◇◇

有意義な議論を目的とした場合、相手の事を知らなければならない。その分野についてどこまで知っているのか。

もし私がマスクについて議論するとして、普通の一般人が相手だとしたら一方的な説明で終わる。しかも、口頭だと情報の精度は低い。

なお、私はガチプロじゃないから気にしないが、ガチプロから一方的に説明して貰うのは本来なら授業料が発生する。

なので『基本的に同業しか相手にしない』という人がいるのはわかる。反証する論文リンクくらい出せば良いのにとは思うが、それを延々と繰り返すのも手間である。

◇◇◇

知識レベルが近い場合なら『会話による議論』が成り立つのかというと、案外そうでもない気がする。

精度の高い議論での行きつく先は論拠と解釈の話になってくるはずだ。であれば、精査する時間が必要になり会話だと大幅に進行が止まる。数時間とか数日とか。

なので、公開で専門的な会話をするとしたら、予め対象とする論文や論点を指定し、精査し終えた後の意見交換の場とするのが有意義ではなかろうか。

それでも準備は必要で相手に労力をかけることになるので、礼儀正しい人はそのような提案(公開の対談)はそうそうしない気がする。

◇◇◇

個人的に直接の会話による議論を避けたい理由として『仲良くなってしまいそう』という不安もある。

仲良くなってしまった場合、間違いを指摘してくれなくなる可能性が出てくるので、バチバチでやり合えるくらいの関係性を保ちたい。マスク関連であればだが。


◆動画コンテンツはわかりにくい

ところで、話は変わるが近年動画コンテンツが人気だ。

スライドの文章を読み上げているだけのようなものでも動画だったりするので、個人的には意味がわからない。

理解の難易度で言えば、動画・音声よりもテキスト+図表のほうが楽だからだ。

テキストなら自分のペースで進められるし、不明なものはその場で調べて考えられる。ドラッグして右クリックして検索とか容易だし、マトモなソースなら必ずリンクが示してある。

まあ、ピッチングフォームとかなら動画のほうが便利だが。

◇◇◇

世間一般では『動画=わかりやすい』という印象かもしれないが、それは大雑把にわかった気分になるだけではないかと思っている。おそらく受け手は精査までしない。面倒だから。

コロナ関連でもそのようなものを見る機会があった。特に1,2分の動画で『素敵な女性が早口で結論だけ矢継ぎ早に言う』みたいなのは印象的だったが、私はそのやり方を不誠実だと思うので印象はとても悪い。(『素敵な女性』に差別的な意図はありません。)

また、『こびナビ』絡みの人がワクチンの情報をラップで伝える動画もあったが、こちらも同様、私のような者に嫌悪感を引き起こす意図があったのだとすると、うまく出来ていた。途中で見るのをやめたが。

◇◇◇

まあつまり、直接的な話し合いや動画という手段は、落ち着いて自ら調べ考えるという行為を抑制するように思う。講演会もそうだ。

『直接会って会話』『動画』『講演会』、これらの手段は感情に訴えかけることを意図しているように思う。

科学という分野で浅い情報しか提供せずこれらが利用されている場合、詐欺に近いと私は思っている。受け手としては気をつけたほうがいいだろう。


◆おわりに

私はコロナ関連で動画を見たりスペースを聞くことはあるが、たいした期待はしていない。ファンサービスのようなものと割り切っている。

発信者は必ずしもプレゼンに慣れてるわけではないので、大体の場合、動画や音声は情報としてクオリティの高いものにならないだろう。

複雑な内容を会話で相手に理解してもらうのは、とても難しい。

やはり『科学における最良のコミュニケーション手段は論文』ということになるのだろうか。

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