『マスクのコクランレビュー』を読む。【個人の感想編】
どうもこんにちは。
マスクオタクです。
直近2回の記事で『コクランレビュー』について書きましたが、前回の【マスク肯定編】は、しんどいものがありました。
書きながら『誰からも求められていないのに…なんでこんなことを…』と何度か頭をよぎりましたが、他に書いている人もいなそうだったので私くらいは、と思った次第です。
記事を書き終えて色々と思ったことがありますので、今回の記事で軽くまとめておこうと思います。
SNS等では『権威であるコクランがマスクの無意味さを決定づけた!』という論調が多数見られました。
良い研究内容であれば結論がどうであれ異議は無かったですし、【肯定編】のような記事を書く必要性を感じなかったはずです。
ただやはり、個人的には『決定づけた!』というようなものではありませんでした。
あの内容で『全体としてマスクに効果が無いという風潮』が形作られるとしたら、それは残念なことです。
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私はマスクに効果があって欲しいと思っています。
それは単純な理由からで、感染症に対する個人として可能な防御手段は絶対にあったほうが良いからです。これは誰もがそう思うことでしょう。
そして、これまでのデータや事実から『マスクの効果は、着ける物と着ける者次第』と考えています。
これはマスクに限らず、何でもそうだと私は考えています。
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極論ですが、たとえば『バットはホームランを打てるか?』を、すべての属性の一般人によるRCTで検証すれば『バットはホームランを打てない』という結果になるんじゃないかと思います。でも、バットはホームランを打てる道具です。
マスクはそれほど訓練が必要なものだとは思えないですが、『どのような物が優れたもので、どのように使えば効果が出るのか』という知識と経験は必要だと思っています。
そして、現在普及しているマスクや使い方を見る限り、ほとんどはそのような意識で運用されていないように、私には思えます。
マスクは決して『(不織布)マスクであれば何であれ誰がどんなふうに使っても最良の効果を発揮する』というようなものではありません。
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『そういうのも含めて結果的にマスクは感染を防がないことが証明されたんだから一緒じゃん』というのは、おそらく正しいのでしょう。
しかし、そのような見方で『マスクは無意味』と結論付けるのは違うと私は思っています。それは道具の問題ではなく運用の問題かもしれないからです。
そして、その選択は、もしかしたら今後来るかもしれない致死性の高い感染症の流行に対する(有効かもしれない)防御手段を自ら放棄することに繋がります。
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私は前回の記事で『N95マスクの効果は否定できない』と書きました。
これまで見てきた論文の総合した印象では『N95マスクは明らかに効果がある』と確信していますが、それでも、実際のところはわかりません。
十分なサンプル数で『試されていない』というのが正しいかと思います。
私がコクランに期待したのは、そのような検証でした。
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なぜマスクは着用者の感染者数に有意差をもたらさないのか?
効果が無いというなら、その理由が知りたいのです。
それは結果的にマスクの改善点や運用の問題点を知ることになるからです。
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マスクは進化しています。
採用された論文では10年以上前のものもあったと思いますが、10年前の一般的なマスクと最新の優れたマスクでは性能が異なるはずです。(少なくとも、私が知っている限りでは。)
マスクの課題は明らかに『着用時の隙間を減らし、そのうえで、快適に高い濾過性能を持つこと』です。
その方向性での改善が進むためにも『マスクが感染を防がない理由』や『健康被害』について優れた分析が欲しかったと思います。
もし仮にN95マスクかそれに近いものに効果が認められたとしても、全員が常に着けるという選択はありえないでしょう。
感染症のリスク、個々の自由、弱者への配慮、健全な社会、それらを勘案して決めることであり、容易なことではありません。
もしマスクに効果が無いなら答えは簡単です。
今回のコクランレビューは、そのシンプルな答えを選んだということでしょう。私はそう考えています。