他人依存と自己破壊/深夜の鬱屈の掃き溜め(ネガティブ多め)

はしがき

※これは深夜のれもねどが唐突に鬱に襲われ、どうしようもなく眠れなくなってしまったために仕方なく吐き出した言葉の数々です。駄文・重苦しい内容・自語りの猪鹿蝶ですが、どうかあたたかい目でお読みください。

「誰かに必要とされていたい」
私の生きる理由は基本的にこれだけだった。それは生まれた時から今でも変わらないが、最近歳を重ねるごとにその欲求がどんどん強くなっているのを自覚するようになった。
昔から私の行動には常に他人の先導があった。
誘われないと遊びに行けない。話しかけられないと会話ができない。
「自我」の薄い私は、関わりのある他人をある種自分自身のひとつだと思い込む傾向があった。
自ら友達と認識するようになった相手には、その子が不自由なく私との関係を続けられるよう尽くした。誘いに断ったことはなかったし、わからないノリにもなるだけ合わせた。
何かを境に突然関係が崩れるのが怖かったからだ。
ひとりにされるのが怖かった。
私は「友達」という囲いの中で不自由になることを望んだ。外に出て知らない何かと対峙するのを忌避しながら、考えるのを放棄していた。
心と環境の安定を望み、全ての判断を他人に委ねた結果、いつの間にか「何かをしたい」「何かになりたい」という意志を持てなくなっていた。
クリスマスや誕生日に欲しいものが言えない といった些細なことから、中学校に入ると進路相談で志望校を選択できない などと、年を増す毎に症状は悪化していった。
私は何になりたいのか、将来どんな職に就きたいのか。自分自身の全てのことに興味の希薄だった私は、独立した自分が幸せに生きる姿を想像できなかった。
「誰かに必要とされていたい」という思いは「人の役に立たない自分は必要ない」という自己暗示に転化して心の奥底に根を張り、あらゆる欲求を喰らって一生かけても拭えない呪いへと成長を遂げた。
私は自分を大切にしなかった。
自己犠牲が正義だと信じ込むという、ある種の精神疾患を患って、それに気づかないよう自分を洗脳して、傷ついた体を見ないようにしていた。痛みに声を上げるのを無理矢理押さえ込んだ。
最も症状が重かった当時、私は恐らく軽い精神分裂を起こしていた。
普段は問題なく過ごしているのに、ある時突然どうしようもなく複雑で黒い感情が全身を飲み込んで、何も考えられなくなってしまう。目は見えているのに、そこに何があるのか、自分が今何をしている状態なのかわからない。荒んだ心は体をも徐々に蝕んでいった。
ほぼ同時期に、性への意識の変化も現れるようになった。
詳しいことは割愛するが、私はある日を境にいわゆる性別違和を感じるようになり、私の性別はここではないんだ、と日常的に感じるようになった。後に適切なセクシュアリティを見つけ、今はそこに所属しているという考えに落ち着いたが、当時はショックも大きく、私の心はどんどん闇に沈んでいった。
とは言え、この出来事は正直私にとっては救いで、本当の自分を取り戻すきっかけにもなっていた。
それまで着ていた服や髪型に違和感を覚えることで、生まれて初めて「なりたい自分になる」ということ、即ち"自分の意思"を持つようになった。私にとってこの出来事は大きく、心の痛みも多少和らいだ気がした。だから私は自分の性について前向きな意識を向けたいんだ、ということだけは宣言しておく。
今では心も落ち着いて体調が悪化することも少なくはなったが、それでも当時と同じくらい心が荒んでどうしようもない気持ちになる事がある。
その度に、誰かが助けてくれるのを期待してしまう。私の中に誰かの存在を求めてしまう。
心の許せる場所。心地のいい会話。そういうものに身を委ねることでしか平穏を保てなくなる。
「他者への依存」という薬物に縋り、一瞬の快楽を得て満足してしまう私は、今だに他意識の奴隷だったあの頃と変わっていないのだろう。

大切なのは「自分を肯定してあげること」がどれだけできるかにある。
自分の意見、自分の意思、主張、欲求etc...
誰もがその全てを受け入れて、肯定できる訳ではない。私は今でも自分の思いや考えが嫌いだと思うし、それによって衝動的にしてしまったことに後悔することだってある。
でも本当の私を知っているのは私だけだし、自分のことを心から理解できるのも自分だけだ。
そこに他人の意思は必要ない。深いところに断りもなく入ってきて、心を踏み荒らすことも許されない。
ひとりでいて心地が良いのは心の中だけなのだから、そこにいる自分くらい大切にしたって罰は当たらないだろう。
私はまだ、大嫌いな自分自身を愛してあげなくてはならない。
いつか幸せに生きるために。

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