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教育ってこういう構造だよ!って明らかにしていく方が話が早い

どうもレモンタイム🍋です。

今日はレモンタイムの道迷いの原因の一端かもしれない、組織の構造の話。


トップダウン型の組織は分業意識がはっきりしている。上が大きく選択判断したことを、下が小さく選択判断しながら実現していく。多かれ少なかれ、そのようになっているのではないだろうか。

公教育もトップダウン型組織。なのでそれを取り巻く業界もその色が強くなる。

そうすると下にはあまり自立して考える力というものが求められない。上からすると、自分たちの選択判断をスムーズに実現する力の方を重宝して当然だろう。


ということはこういう流れになる。

上「この教育方策がよいかどうかは、ひとまず置いておいて、取り敢えず実現してみて。」
下「わかりました!」
下「やってみたところ、こんないい事が起きました!さすがです!」
上「そうか、では次なる方策は…(ループ)」


これお気づきでしょうか。責任は誰が取るんだろう。

上の方策でいい事が起きないと、下の実力不足のせいにされるので、下はいい事が起きるまでやるでしょう。それがどんな策だとしても。教育はそれができてしまう。よいか悪いか結果がパッと出ないから。

だから、いい事がなかなか起きないのに、起きたように報告する下の責任?

それともよいかどうかわからないのに、方策を決める上の責任?

いやいや、どちらも仕事の責任を果たしているだけでしょう。


公教育なので30年後の人々が幸せか、社会がどうなっているかわかる頃には、当時の方策に関わった上の人も下の人も、引退したり部署が変わったり、責任をとる立場にいないのでは?

つまり何があっても逃げ切れる公算が大きいという事。

そりゃ、下が自分の頭使って、上の方策の穴を指摘しても相手にされないわけだ。だってそんなこと、上が組織の中で生きるのにあたって大した問題じゃないんだもの。


心ある上司を探すのも悪くないでしょう。でも、SNS全盛の時代、教育ってこういう構造だよ!って明らかにしていく方が早い気がする。

そのために書かないと。書いて整理して分かりやすく伝えられる日が来ますように🍋


ではでは。

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