ソックス、ドラッグス、ロックンロール物語
わたしを殺さないで
幼馴染のユミと喫茶モーニング。
久々に会ったユミの足元がこんもり、ぱんぱんに膨れ上がっていて思わずつい凝視してしまう。
「何枚履いてるの」
「10枚」
ユミはズボンの裾をまくり上げる。こりゃちっともセクシーじゃない。靴だって男性用のビルケンシュトックをベルト最大にゆるめて履いている。かつて赤文字系ファッションを決め込んでいたユミはどこに行ってしまわれたか。
「あったかいの?」
「1枚よりずっとね」
ユミはなぜか勝ち誇ったかのように、私のミニスカートにブーツを履いた足元を懐かしげに眺め返した。
ユミは、「実はね・・・」と勿体ぶって、外側に履いている靴下を一枚だけ下ろした。
「内側は、靴下じゃないの」
ギョッとした。ユミの足はエジプトで掘り起こされたミイラみたいに、包帯が何重にも重なって巻かれていたのだ。
「これ、包帯健康法といって」
「包帯健康法?」
「うん、天然繊維でできた包帯を足に巻いて、毎日過ごすって健康法なの」
「へぇ」
「巻く順は決まっていて、絹、コットン、絹、ウールの順で、天然繊維を身につけることで、体から毒が出るっていうしくみだよ」
「ふうん」
なぜ絹、コットン、絹、ウールの順番だと体から毒が出るのか説明が足りないと思いつつ、興味がないので流そうとした。
「灯里は冷え性、大丈夫?」
「冬はさすがに冷えるけど」
「実はね、今日プレゼントで持ってきた」
ユミは色とりどりの包帯4巻セットをテーブルに拡げた。
「絹、コットン、絹、ウールのロール順で巻いてね。寝る時もずっとだよ」
「えぇっ、寝る時も?」
「24時間、365日、夏の間も」
「蒸れないの?」
「気になったことない」
「私、靴下とか履いたまま寝るの苦手なんだけど」
「じゃあ、夜は脱いでいいよ」
「毎日、巻き替えるの?」
「毎日洗濯するのは1巻目と外側のカバーソックスだけ、あとは週一」
「臭そう・・・」
「臭くないから!」
包帯健康法上級者は、この四枚に加えてさらに絹、ウール、絹、ウールの順で包帯を巻いていくのだという。そして最後に、色とりどりのカバーソックス。ユミは、スニーカーもギュウギュウに入らなくなり、靴もすべてツーサイズ上の物に買い替えなければならなかったという。
「お金かかるね」
「体のためだもん」
ユミは指かきの間をごしごしと擦った。
「痒いの?」
「アトピーにも効くんだって」
「そうなんだ」
「身体のわるい部分に、穴があくんだよ」
「それ、ただの摩擦じゃないの?」
「外側は大丈夫なのに、内側に巻いた部分に穴が空いたりするの」
「それ、コットンより、絹のほうが弱いからでは?」
ユミは包帯健康法を、奇跡体験アンビリーバボーのように語った。うつが治った人がいるだの、癌を克服した人がいるだの。スマホで検索すると
「包帯健康法は、足が圧迫されて逆に血行不良になるって。汗で逆に体が冷えてしまうって。AIさんが」
「AIの言うことでしょ。体のことってまだまだ解明されてないことばかりだよ」
「そりゃそうだけど」
「包帯健康法やるなら半身浴も忘れずにね」
「お風呂好きじゃないんだよな」
「毎日一時間はぬるま湯に入ってね。じゃなと毒が出ないよ」
「色々、ルールが多いな…」
せっかく貰ったのだしものは試し、私も包帯健康法とやらをやってみることにした。ユミの言う通り、絹とコットンの肌触りは確かにさらっとしつつなめらかで、重ねるとふかふかして気持ちが良かった。早速、一枚目の包帯が足りなくなり、Amazonで包帯5ロール買い足した。この冬はブーツとハイヒールはしばらくおあずけだな。洗濯物はみるみる膨れ上がり、靴下を干すため今度はアルミラックも買い足さなければならなかった。
ユミがハマる気持ちも少し分かった。楽天の専門ショップを眺めていると、あれもこれも欲しくなるのだ。腹巻き、はらぱん、もこもこレギンス、レッグウォーマー、ハンドウォーマー。肌に触れるインナーは、天然素材で縫い目がないものに。パジャマやシーツまで柔らかい繊維のものに揃えたくて堪らない衝動に駆られた。化粧品もオーガニックにした方がいいと聞いて、会社帰りにコスメキッチンに寄ると激しい物欲のお化けとなった。一応、2、3日は逡巡しても指先ひとつで願いは叶えられ、箪笥の中が侵食されていった。私は、私の中の「初期投資でこれだけお金を払ったんだから効かないなんて認めたくない」という気持ちを認めた。
そこで実験した。
包帯を10枚履いて毎日を過ごして、朝晩、体温計と血圧を測った。今度は、裸足になって一ヶ月過ごした。それから毎日朝晩、体温計と血圧を測って見比べた。
「何も変わってないじゃん」
私はユミに、LINEした。
「体温全然上がんないんだけど」
「体温を上げるためにやってるんじゃないよ。上半身と下半身の温度差のムラをなくすためにやるんだってば」
「それなら運動した方がいいんじゃ?」
「それはそう」と、能天気なスタンプだけが返ってきた。
週末には、包帯健康法専門ショップに連れて行かれた。その界隈ではインフルエンサーらしい、カリスマ店長の麦っこさんが対応をしてくれた。ユミは麦っこにアトピーの拡がった両腕を捲って見せた。
「めんげんですねぇ」
麦っこは「辛いよね、お気持ちわかりますよ」とこれでもかというくらい眉毛を下げた。
「私、子どもの頃からずっとアトピーに悩んでいて。母親に”痒いけど掻いてはだめ”ってずっと言われ続けてきたんです。でも、痒くて痒くてどうしようもなくて」
突然ユミが泣き出したのでギョッとした。同情され一目置いてもらおうとする魂胆が見え見えだった。麦っこは、カッと目を見開いて、
「掻いていいんだよ!」ユミの手を掴んだ。
「掻いて掻いて、掻きまくって、毒を出し切るの。そしたらいつか絶対に良くなります!私たちができる限り伴奏しますから」
私は『人の、目からうろこが落ちる瞬間を見た』と思った。加えて麦っこは『自分を疑わなくていい』という甘い言葉と共に『私の言うことをさえ聞いていればいい』と言った。ユミは、医療従事者でも何でもない麦っこの言葉を受け入れた。
ユミは麦っこの言われるがままに、ステロイド薬を断ち、新商品の包帯を爆買いし、痒ければ躊躇うことなく掻いて掻いて掻きむしった。
「ねえ、アトピー拡がってない?」
「だから、めんげん、なんだって」
「毒を出して出し切ったら良くなるんだって。麦っこさんが」
ユミは、いっそう包帯健康法にハマっていた。あれから麦っこさんがメンターのようになり、手取り足取りアドバイスをし始めていた。白湯や布ナプキンも始めた。
「ねぇ、布ナプキンって子宮を温めない、むしろ雑菌がついて良くないって書いてあるよ」
「ネットでしょ?」
「ネットだよ」
「それはその人達が信じた世界で、私には私の信じた世界があるんだよ」と語気を強めた。
私がネットで調べた情報で「竹酢水がいいらしいよ」とか「十味敗毒湯って漢方があるよ」と伝えても、受け入れてはもらえなかった。
「麦っこさんに、包帯健康法をやっている間、他の健康法をやるなんてて信じられないって言われたから」
着ている服も麦っこ風、煮しめたみたいなうつぶし色のトップスに、にび色のボトムを組み合わせていった。麦っこにお勧めされたグッズ、お勧めされた音楽。もう漕ぎ出した船なのだ。今度は麦っこに薦められた水を飲み、素粒水のシャワーヘッド取り付けた。もはやユミはここまで続けてきたんだから絶対に間違いはないと頑なに、辞められなくなっているのではないか。
私は「包帯健康法やめるわ」と言った。
半身浴も寒すぎた。熱めのお湯に5分入った方がよっぽど身体は温まった。
「せっかくプレゼントしてくれたのに、ごめんね」
「まだ『毒』が出ていないのに」とユミは不服そうだった。
「私は包帯やっても、何も変わんなかったよ」
ネット広告に転がる『私はこれで人生変われました』的ストーリーって、本当実際どうなんだろうか。信者が信者であるがゆえに話を盛る、弱者の心理ではなかろうか。
「ユミだって、効いてないじゃん」
「だからこれは、めんげん、好転反応」
ユミのアトピーは、両腕から首周りまで拡がっていた。長年付き合っていた恋人とも別れ、派遣の契約も切れそうだという。
「悪いことばかりが起こったり、悪夢とかも好転反応らしいけど」
「そんなこと言ったって、実際ユミの体をボロボロにしてるわけじゃん」
「麦っこさんが、これを乗り越えたらきっと治るって言ってたし」
「自分の体で確かめたの?これ、効果があるって言える?」
「だから温度計とか数値で分かるものじゃないんだってば」
血まみれで腕を掻きながら、ユミは言った。
「ユミ、病院行こうよ」
「もー、灯里は病院信者で困る」
信者はどっちだよ。
「私は、気持ちいいから続けているんだよ」
言っていることが、支離滅裂だった。
ねぇ、なんでこれがなんだが正しいってことになってるの?
ユミが求人情報の画面を机に置いた。
「麦っこさんがいる会社に行くことにした」と言った。そこには創業者と思われる人物写真にファンシーな吹き出しが付き「私が持っている知識をすべてお伝えします!」とコピーライティングされていた。働き手の募集であるにも拘らず『研修費用10万が必須条件』と書かれていた。ユミはもう、こういうのを見ても「胡散臭い」と思わなくなっちゃったんだ。
「あんたまさか払ったの?」
ユミが黙ってうつむいたので、後ろめたくも既に払った後だと分かった。
「福利厚生は?」
「ない」
給料の記載もない。
「そういうの、ない世界だから」
何だよそれ。健康を売っているくせに、健康保険も健康診断もないなんて。朝から晩まで、都合のいいように働かされるのが目に浮かんだ。
「だって麦っこさんと働けるんだよ?!」
「それって、ユミの(私への)優越感が満たされるからだろ?!」と思ったけれど言わなかった。
何だよ、麦っこ麦っこ麦っこって。手短なカリスマにしっぽ振ってんじゃねえよって。言えばよかった。
私はもう、ユミとこれ以上話すのが、いやになった。ユミが、優越感に浸りながら、自分の欠乏感に直視しようとしていないから。
ユミはあっちの世界に行かれてしまわれた。言うなれば、その会社は砂の三角形で出来ている。ユミの上には麦っこが、麦っこの上にはその上が、その上にはさらに上が、有名人が、創業者が。どこの会社もそうやって出来ているけれど、社会的責任も果たさず、人を人としても扱わず、それでいてまあるい平等な世界を気取っているからタチが悪い。
賞賛されたい人たちと、お近付きになりたい人たちの絶妙なマッチングで、互いの欠乏感を補い合っている。
ユミからは、時々ひとり暮らしが初めてのユミから連絡が来たけれど、最近の私はものすごく怒りっぽくて
「ねぇねぇ、ひとり暮らしでお風呂掃除って毎日してる?」
「ねぇねぇ、バスタオル何日おきに変えてる?」と聞かれても、「自分で考えろ!」と本気で怒ってしまい、返信はしなかった。それからきっと「あのコとは連絡をとるな」とか囲い込みを行うために言われたのだろう、しばらくLINEもいいねも来なかった。
半年もしないうちに、ユミは貯金をすっからかんにして、地元に帰ってきた。ユミの肌はちっとも良くなっておらず、アトピーは上半身からさらに全身に拡がり、ざらざらに荒廃していた。
毎朝、白湯を飲んで、瞑想して、包帯巻いて、爽やかな朝ですか。アロマだ、オイルだ、何とか運動だ、かんとか入浴法だ、すぐ目新しいオススメに飛びついて、軽薄で軟弱で。それでそれで? 体ちっとも良くなってないじゃない? 自分の意見も判断力も失くして、自分の言葉で喋れなくなっちゃって。そんなの、自分の体を労っている風で、痛めつけてるってもんだよ。クソッ、しょんぼりしてんじゃねえよ。
「病院、まだ行ってないの?」
「うん、ステロイド塗ったら、また『毒』が溜まるって言われているから」
「毒?どっちが毒だよ」思わず声に出た。
こんなになるまで放っておいて、病院には行かず代替療法だけやっている。
「包帯健康法だけで治して革命を起こそうよって、社長にも言われていたし。情報誌にも取り上げてもらったし。それに、これまでお店で包帯健康法だけを勧めてきたお客様にしめしがつかないでしょう」
胃の中をメラメラと赤いとぐろが駆け巡るのを感じた。
「テキトーなことばっか言いやがって!」
偽善的なコミュニティに怒りが爆発した。これじゃどっかの全体主義国家みたいだ。『上』の者は、たくさんの制限を設けてがんじがらめにして、正しいことだと信じこませて。『下』の者は王様を讃えて何も感じなくなって、正しいことだと信じて他の誰かを殺す。
私は、ユミの腕を取った。
「ユミ、病院行くよ」
ユミはかぶりを振った。
「あのね、あの人たちは、結局自分のことしか考えていないの。ユミ、あんた。麦っこに身体をおもちゃにされたんだよ。麦っこが、麦っこの会社が、本当に人々を治したいって思っていたら、他の治療法はやるなとか言わないから。自分の健康法の実績作って、自分の顔立てられたいだけじゃん」
「知った風なこと言わないでよ」
「知らないよ」
「それに私いま健康保険証ない」
「健康を売ってる会社なのに、健康保険も出さないとか、健康診断もないとか、それがおかしいって、なぜ分からないんだ」
おまけに、十割負担の治療費さえも払えないと言うから「貸すから、返してね」と言って、皮膚科へ連れて行った。
「出したんだから、塗ってね」
その夜ユミは包帯をするすると解いて、身体中にできた天体についにステロイド薬を塗っていった。
「絶望してる時間なんてないんだよ」
「そもそも、私、アトピーを治したくて、それだけで始めたのに。依存して抜けられなくて、体はさらに悪くなってお金も散財して、普通の治療も受けられないって、おかしいよね」
「うん、おかしいし全然笑えない」
「とにかく今まで何だったのかって、浅はかだったよね、私。そのブーメランが今この辺りにね、刺さってる」
ユミは心臓のあたりをさすった。
「でも私、感謝してるんだ。この経験のおかげで私変われたと思うし…」
「嘘。こんなにボロボロになってまでそんなこと・・・思えるわけなくない?」
「えっ」
「愛とか欺瞞だったじゃん」
「うん」
「ユミまで嘘、言わないでよ」
「麦っこと働いてみてどうだった?」
「麦っこさんは賞賛されたい、持て囃されたいでいっぱいの人だった。私も同じような欠乏感だった」
「阿鼻叫喚で褒める人しか生き残れないね」
「私への感謝が足りないって言われたよ」
「罪悪感抱かせてくるやつ」
「もうちょっと頭が良ければよかった」
「原因弄りコントを続けるならどうぞ。また坩堝から抜けなくなるよ」
「このコント、抜けたい」
「抜ければ。抜けるって今決めれば」
「うん、そうする」
「ユミは、こんななるまでして王様の正体が知りたかったの」
「そういう部分もあるかもね。経験したい、怖いものも見たくて堪らない心理って人にはあるよね」
「ちょっと考えたら、真実の医療とか健康法とか、何億通りのこの細胞を目の前にしたら一編通りであるわけないのに」
「私って『効果がある』って思い込みたい人たちの、言うことをまんま信じていたんだな」
「信者の信者だ」
そしてユミはまた新たな『推し』を見つけるのだろう。性懲りも無く『自分よりも天才』な誰かに手を叩き続けるのだろう。
「肌よくなるかな。もう何をやるのがいいのか分からなくなっちゃった」
「ウェットに何か誰かにハマらなくってもさぁ、もっとドライでいいんじゃない?自分の肌に有益なものだけ、採用していけば」
「どこの本にも載っていない、トライアンドエラーするしかないのか」
「美容院だってここは行く行かないとか分かるじゃん。臭くなったらバスタオルは洗えばいいとか、別に毎日浴槽磨かなくてもいいとか、ギリギリの大丈夫ラインが分かっていくわけじゃん。誰かのオススメを聞いて、誰かに言われたことが基準になって、猿の蚤取り続けてたら、本当に自分の判断が消滅していくんだよ」
「自分の人生にとっていいことをしよう」
「時間もお金も有限だし」
「自分がやる健康法は、自分で考える・・・」
近所に中華レストランができたので、ふたりで食べに行く予約を入れた。この日のユミは網の靴下にマーチンのフィッシャーマンサンダルを組み合わせていた。ユミは最近トレイルランニングを始めたと言う。ユミも少し極端なのだ。兎に角、何を食べて何を着て誰と話すかは自分で決める。自らが発熱する方法を選んだのだ。
私は、きっと言ってやりたかった。私をこんな目に遭わせたのは「あなた」だって。周りは、何ひとつ問題なんて起きていないと、私を見ては目をそらす。まるで今時の幼稚園の「トゲトゲことばを使ってはいけません、ふわふわことばを使いましょう」という檻の中に入れられているみたいだ。
※『包帯健康法」このような健康法は、実在しません。