ショート小説 | 愛し愛されて生きる家族さっ

8月14日、僕の姉ちゃん、ユミ姉ちゃんが10年ぶりに帰省したんだ。ユミ姉ちゃんはまだ甥っ子ちゃんが小さいと思って『インサイド・ヘッド』のグッズなんか買って来ちゃって。小さくてかわいかったあん子はもうすっかり、ボーボーに脛毛も生えた、残念なアニオタになっていた。おっぱいぶりんってなってる絵を、居間に堂々と飾っていて衝撃を受けたね。本も読まずにゲームの灯りでニキビ面を照らしてさ。だからって押し付けちゃいけないよね。正しさってやつをさ。

この子の母親は何してるのかって?
僕らの一番上の姉ちゃんになるけれど、マリ姉ちゃんっていうんだ。インドでダイヤモンドを買いつけているよっ。マリ姉ちゃんは小沢健二のコンサートがある時だけ、帰国するんだっ。ツアーグッズは買い込むくせに、家には生活費を入れたこともない。毎日、お弁当を作る70才のママに「ありがとう」なんて今まで一度も言ったことがない。
ツンケンドン、バシン!(ドアを閉める音)
ユミ姉ちゃんとマリ姉ちゃんは、もう10年以上口を聞いていない。家族の皆、もう針の穴を探すことを諦めてしまったんだ。

パパは茶の間で〈古き良きアメリカ映画〉を大音量で流しながら、いっつも難しそうな本を読んでいるよ。カラッカラに枯れた骨を腕枕に、松本清張とか吉本隆明とか賢そうに見えるやつ。それでたのしいわけ?って言いたくなるよ。それでパパは、ユミ姉ちゃんに一度でも「体は大丈夫」って聞いた? ユミ姉ちゃんが病気してから、一度でも会いに行ったり、励ましたりした? いんや、一度もしてないねっ。パパは不幸の国の主人公だからさ。

それでもユミ姉ちゃんは「おひさしブリーフ」なんて言っておどける。パパも「おかえり」くらいは言うけれど、それからも黙りこくっちゃって。コミュニケーションを取らないってそんな楽なコトなのかね。愛と愛情は違うけどね。ユミ姉ちゃんもアメリカ映画を見過ぎたにさっ。アメリカっぽい家族愛など期待したって仕方ないね。

翌朝、ユミ姉ちゃんは庭に出て、紫陽花の葉を指で撫でる。子どもの時分、僕が何も考えずに食べた紫陽花の芽。ユミ姉ちゃんはゲーゲー吐く僕に慌ててしまって、電話帳の一番上に載ってた愛子おばさんに電話をかけた。あの時もパパは「お前、あほか」としか言わなかったんだ。パパにとってただの事象でしかなかったのかな。

八月の紫陽花


2階の僕らの勉強部屋は、ずーっと時が止まってる。
僕らはダフトパンクに夢中だったさっ。ちょうど2000年問題で彼らがロボットになった頃さ。音楽こそ革命を起こせるって信じたよ。
ママが「これ全部捨てていい?」と姉ちゃんに聞く。姉ちゃんは即「いいよ」って。「逆になんで今までとっておいたん?」って言った。メルカリに出して相場を調べたり値下げ交渉とかしてる時間なんか、人間、本来ないもんねっ。

昼からは、名前もおぼろげな親戚の墓参りをして、まとめ買いした日本酒を片手に親戚の家を訪ねてまわる。ピンポーン。
愛子おばさんと、オッサンになった従兄弟の有くん、有くんのふたりの息子が出迎えてくれた。
「可愛いねぇ、いくつ?」
「ちゃんちゃい」
「ちゃんじゃないでしょ、にィでしょう」
「いいわねぇ愛子さん、こんなに沢山お孫さんに囲まれてぇ」
「いいものですねぇ、こうやって命が紡がれていくことはねぇ」
ママも愛子おばも、子どもが産めなくなったユミ姉ちゃんの気持ちなんて一ミリも考えないで。親戚構文そのまんまに話をするんだ。

車に戻ってユミ姉ちゃんが言う。
「有くんイケメンパパになってたね。昔は私らちょっとばかにしてたけど」
「ばかに?」
「中3にもなって家族の年賀状に一緒に写ってたんだもの、ママの編んだセーターを着ちゃってさ」
「マザコンでも立派になったならいいわ」
ママが言う。
「うちは子育て失敗したわ」
僕とユミ姉ちゃんは横目で見合わす。
何なん、うちは何時代なん。

だいたいママはミーハーなんだっ。
ペ・ヨンジュン、小泉純一郎、羽生結弦、大谷翔平、紅白、甲子園、こだわりなんかないねん。何でもええねん。ミーハーでいれば、我が家の異常性を見ないでいられる。家族以外の他者の熱と混ざることで、社会性を保てているふりができる。誰もママに水をあげないからさ、エネルギー過多になるにさ。だからママはミーハーであり続けるのさっ。

それからユミ姉ちゃんの運転で、老人ホームへ行く。ばあちゃんは20年も一緒に暮らした僕らのことなんか忘れてしまって、目の前のおまんじゅうに夢中で、飲食禁止って買いてあるのにその場でペロリ、食べよった。ばあちゃんがパパに<愛>をあげていたら? パパがママに<愛>をあげ続けた? パパとママは姉ちゃんに、姉ちゃんは息子に<愛>をちゃんと十分に、余すことなくあげられた?

「自分なら絶対こうはしなかった」って、ユミ姉ちゃんだって思うだろ?でも、そうだよ。僕らの家のカルマは、食い意地張りすぎて食べすぎて腹を下しているところ。欲が多くて、望める以上に手を伸ばしてしまうところ。
仕事だって特段何にもなれなかった。自分の家族も作れなかった。いいんだよ。身の丈に合った狭いプールでもたのしく遊んでいようよ。僕が何度そう言ったって、ママもパパも姉ちゃん達も、平穏な庭で静かに絶望してる。したがっているように見える。

実家ではママが毎朝起こしてくれる。
朝、昼、夕とご飯が出てくる。毎日、洗濯機が回されて、翌朝にはスーツケースの脇に畳まれて置いてある。パパは閉じっぱなし、ママは開けっぱなし、ドアは壊れっぱなし。
「家にいると、どんどんばかになっていく気がするよ」
ユミ姉ちゃんは一週間の滞在予定を早めて、またひとり暮らしの家に帰って行く。

ユミ姉ちゃんは癌にかかっても、ひとり暮らしで何とかやってる。僕が「えらい。がんばって」って言ってもだめよな。学ぶことがなくなったら人は死ぬんだよ。まだまだ学ぶことがある人は長生きするんだよ。姉ちゃん。まだ、勉強することあるだろ。まだ、こっちに来ちゃだめだよ。

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