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生きていなくてもいいやというお話。

誰かが亡くなったというニュースが、聞きたくないニュースが定期的に流れてくる。もちろんニュースになるからには芸能人・有名人のそれが多いが、一般人でも自分で自分の命を絶ってしまう人数が年間2万人近くいることを考えると1日で平均約55人は自ら死を選んでいることになる。もちろん色々な背景があり、悩みがあるのだろう。ワイドショーなどでは亡くなられた方の周囲の方にインタビューをしたり、その原因を探ったりして、「自殺をするような子には見えなかった」という証言を得ては、何がその人を追い詰めたのかあーでもない、こーでもないと時間を使う。正直ちょっと違和感。当事者ではないので察する事も、ましてや邪推したくはないので、ここでは、私自身の思っていることを書いておきたい。


何がある人に命を絶つ決断をさせるのか。

人に依るのだろうが、特に決まった理由はないと思う。

なにか思い詰めるようなことでもあったのか。

これ。と決められるほど単純にはできていないと思う。


行動を起こしてしまう前に相談してほしかったというコメントをよく見かけるが、自殺前に誰かに相談したかというアンケートでは、誰かに相談した割合が2割程度しかいなかったという情報もちらっと目にした。それもそうだ。迷っているからこそ相談するのであって、決断してしまったら誰かに相談する必要もない。しかも実際に行動を起こす人はそもそも誰かの意見を聞くわけではなく、一人で行動してしまうほど行動力がある人なのだろう。

話かわって自分自身に問うてみた。自殺をしたいか→特にそこまでの衝動はない。将来に希望は持っているか→これはちゃんと希望をもって生きているし、やりたいこともある。長生きしたいか→どちらでもよい。

世の中一般でみたら、今自分がおかれている状況はかなり恵まれている方だと思う。仕事もちゃんとあるし、人間関係も悪くない。生きているだけでストレスはあるので、そりゃストレスフリーって言ったらウソだけど、思いつめるほどかというと全くそうではない。期待された分頑張ろうと思えるけど、何に対しても執着がなく、それは「生」に関しても当てはまる。1カ月後まで仕事、趣味、友人との遊びの予定が入っていて楽しみなこともいっぱいあるけど、突然すべてがなくなっても多分地縛霊になることはない…はず。

だから生きているといい事あるよとか、希望をもって生きてほしいとか、あまり刺さらないのです。いい事あるのも知っているし、希望も持っているから。でも執着がないので簡単にそれらを捨てられる気がする。ちなみに自分で出した結論は、結婚など自分以外で大切なものができたときに悲しませたくないという理由で生きることに執着が生まれる気がしている。

全然まとまりのない文章になりましたが、同じような感覚の方、いないでしょうか。なんとなく、世の中「生」が正義という風潮に違和感を憶える方、いないでしょうか。お考えを是非お聞かせください。



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