スクールカウンセラーに頼った話
◆PТAでストレスまみれになる保護者たち
子供が公立の中学校に通っていた頃のこと。学校に配置されている「スクールカウンセラー」さんを保護者である私が利用したことがあります。
何を相談したかというと、PТAで同じ係になったある保護者から受けたストレスのことです(Pで始まる3語を書くのもいやだ)。
きちんと事前に欠席の連絡をしていた会でした。会が終わった時、その保護者からゴミみたいに嫌なメールが私の元に届きました。がんばって一応詫びの返事をしましたが、なぜこんな文面を送りつけてくるのか怒りと悲しみで死にそうでした。
死ぬかと思いました。
◆「ちょっとした嫌がらせ」の卑劣さ
相手の方は「ちょっと言ってやれ」程度かもしれません。明らかに上に立っています。同じ仲間でありながら、勘違いしたきつい口調。
それに、人っ子一人いない裏道でツバを吐くみたいに、他の人がいる前では言えないことを「密室を確保した上で言う」。
卑劣です。蕁麻疹がでそうなくらい嫌いです。
「まあそういうのあるよね。ちょっと嫌味言う人」と多くの人は思うかも?たしかに少し怒ってなんとか終わりにできる程度のことかもしれません。でもその時の私は違っていました。
◆それまでの私
2年くらい前。私はずーっと積もり積もっていたストレスから鬱の状態になって、ついに仕事を辞めたんです。
辞めたあとは少しずつでも回復させたくて家にいました。カウンセルや診療所を探したりもしたけど、受診料がかかるのを気に病んで医療機関には行けず。
その頃は学校のボランティア活動も一切やれなかった。「任意」の手伝いの人間関係の怖さも想像できたし、途中でギブアップして迷惑かけるのは避けたい。手伝いたい気持ちはあったけど、今は200パーセント無理!と感じていました。
「手伝えますか?」と書かれたプリントに「手伝えません」に丸印をして提出していました。文字通り「手伝えません」です。泣く泣く、心を込めて丸印をつけました。
◆それでもしつこく問い質された
ところが、後から「役員できませんか?」と電話がきました。1度では終わらず、子供同士が電話で話しているところに先方の親が割って入ってきて「お母さんに代わって」と言ったらしく、私が代わると「できませんか?」と聞いてきた。
ゾッとして一気に鬱になった。申し訳ない気持ちもあるが自分にははっきりわかっている。無理だということが。
「仕事をしている方もやってますよ」と言われる。
そしてついにこの一言「できない理由はなんですか?」
全身から悲鳴が出た。こんな辛いことがあるだろうか?(今書いてても涙が)
「あ。でもあんまり言っちゃうといけないんだわね……」とその人は言って、質問を引っ込めるようにして電話を切った。
強制するのはまずいのだ。前例があって誰かが申し立てたのかもしれない。とにかく質問はやめてくれた。私も「理由を言う必要はない」と答えるつもりだった。
◆そして今回の「嫌がらせ」に直面した
そんなことがあって、月日が流れ、鬱状態から少しずつ脱していくことができました。
2年。頭痛で寝込んだり、涙ばかり出る症状はなくなりました。本来前向きな自分の性質が戻りつつあって「前向きにやっていこー!」と思えるようになりました。自己治療だから何とも言えませんが。
子供が進学した中学で、新しい保護者も多く集まっている環境で、私は自分のできる範囲で学校関係のお手伝いをしてみたいと思ったのです。
「以前できなかった分少しなら。私にもできるかもしれない」この思いは、まだ土から出たての新芽みたいに弱いもの。でもそれで自信が少しついて、楽しい気持ちにもなれたら、、、。
希望を託している部分があったのかもしれません。「少し」「社会の」役に立つ。この私が???やれたらうれしい。やってみよう。
かなり恐る恐るだったのです。そんなに無理しなければよかったのでしょうか? 結果あのいやなメールでコテンパンに破壊させられたのですから。
メールを送ってきたその人は以前こんなことを言っていました。
「役員どうします?やらなきゃ後ろ指さされるらしいですよ」と。
後ろ指さされるのが怖くてやるならそれでもいい。でも自分の意志で決めたなら「あいつを懲らしめてやろう」的な発想は絶対に生まれない。
◆「少しのいじめ」が招きかねない事態について考えてみた
簡単にまとめてみました。
①悪「ちょっといじめてやろう!といじめる」
↓
受ける側
「心身とも良好で、ストレス耐性も通常程度に強くある人」
★やり過ごせる。悪をとっちめたり、ケンカになったりする可能性がある。
②悪「ちょっといじめてやろう!といじめる」
↓
受ける側
「心身が極度に疲れている。生きるのがやっと」
★最悪の事態になりかねない。ふっと無気力になって命を落とす危険がある。
③悪「ちょっといじめてやろう!といじめる」
↓
受ける側
「心身の疲労からやっと回復中。希望を持って次のステップへ挑戦しようとした」
★最悪の事態になりかねない。希望は踏みにじられる。急激に鬱状態に戻りかねない。命を落とす危険性・相手へ攻撃する危険性、両方ある。
◆結論「ちょっとした嫌がらせはすべきではない」
①②③全てろくな事態を招かない。
悪の側は相手がどんな状態か見分けがつかない。特に②③は内側にそっと隠されている性質のもの。秘匿性がありとても繊細でパーソナルな問題。
「ちょっとぐらいいいだろう」と信じきっていることこそ悪。
「こんなんで心が折れるわけがない!」
「なにもやってないよ。過剰反応するなよ」
「冗談だよ。悪気はない」
憂さ晴らしだったのかもしれません。だから悪の側と言っても、その人もまた心の病んだよくない状態にあるのかもしれない。人を攻撃する前に、自分の心の不調に気づいてほしい。
自分の心の不調にも気づくのも意外に難しい。他人が元気なのか弱っているのかも実はわかりにくい。だから無意味な嫌がらせはするな、ということになる。人にはほどほどに感じよく接する。自分が反撃されないためにも。
街中に出てみると「ほどよく無関心」で「ほどよく感じいい」人がかなりいるとわかる。でもひとたびボランティア(半ば強制の任意)の場に入ると、監視カメラもない裏道に悪臭が満ち満ちていたりする。
そんな裏道で心を病んではいけない。命を落としてはいけない。
私はどうしたかという話に戻ると、スクールカウンセラー制度の利用をさせてもらいました。強い緊急性を感じて、きつすぎて、翌日担任の先生に電話をしました。
つづきは今度書こうと思います。
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