せっかく書いた記事「な~んか公開できない」のはどうしてだろう
◆すごーく時間かけたのにゼロ
12月11日に半日かけて「noteの記事」を書きました。
あとは一晩寝かせて
翌日さっと読んで「公開」しよう
……と思っていたのに
翌日読み直したら
またかなり時間をかけて
文章の書き直しをしてしまいました
それから一週間経過した、
と思ったら勘違いで、二週間経過していました
ただ経過したのではなく、
「あの記事どうしようか」と考えてました
再度、記事の見直しにトライしました
前半からうまくいかない
何時間もかけるも、、、
中止(ああバカだなぁ~涙)
何かがひっかかって
「公開設定」ボタンが押せない
なんか押せない
頭でわかることじゃなくて
(なんかいやだな…)
この感じ!
◆公開ボタン押せない「この感じ」は何?(仮説)
【1】苦手なトピック、センシティブなことに多少触れていた。
人によってはなんてことない話でも、私個人には実は「ちょっときついかなぁ」という感覚(自分でも気づかないときがある)
⇒この部分はうまく削って抽象化しよう
⇒この題材は今はよそう!とあきらめる
【2】「公開」自体にためらいを感じるということがある。
そもそもの話ですが、公開するのは個人の日記とまったくちがって、見えない読み手に「読んでみてください」とさらすこと。実際に読む人がゼロ人でも100人でも心持ちは同じ。
意識の片隅の「さらしている感」は、人間がもつ秘匿性をやはり少し刺激する。そこを乗り越えて公開している。
自分の考えや思いを、他人にも理解してもらいたいと言語化していく訓練は有益でたのしいことでもある。でもそちら側へ出ていく"おそれ"に無感覚になってはいけない。
⇒「公開」に躊躇する感受性はあたりまえ。それでいいと認識しておく。
【3】時間をかけると深みにはまる。
どう表現すればより伝わるだろうか?と考えて書くのはいいが、「より伝わる」の「より」は無限地獄で、気をつけないと足が抜けなくなる。
私の場合こういうとき完璧主義のくせが発動しがち
⇒全てきっちり伝えよう!なんて目指すなよ、自分。
⇒書き直すときまでの下書きで~す!なら楽になるかも
◆まとめ
・ひとによって「センシティブな(感じやすい)題材」はそれぞれあるはず。自分の心が疲れない傷つかない程度に表現していけばいいと思うことにしよう。
・書いた文章の中身がまるごと本当にわかるのは本人だけだ。完璧主義を捨てて、「伝わらなかったらすいません」。
・「今後また書き直すこともある。今はスケッチするように書きとめておこう」というスタンスもあり。
・気を楽にしよう(無理に気を楽にするのもやめよう)。そして「なんかやだな~」という感じがしたら手を止めていい。
◆思ったこと
想像力を働かせたら見えてきた
膨大な時間をかけて記事を書いたのに公開せず闇に葬った人って、たくさんたくさんいるんだろうってこと。
破り捨てたノート
下書きのままのブログの記事
文字、文字、文字
言うのをやめた言葉、思い
表すのをやめた表現、行動とかも
そういうダークマター(暗黒物質)みたいなものたちが世界を支えてるのだろう。
か。