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『FRONTIERS その先に見える世界』「日本人とは何者なのか」
2021年(令和3年)10月14日、石川テレビの『石川さんLiveNewsイット』で「日本人の顔のルーツに新説:縄文人・弥生人+古墳人」が放映され、金沢大学助教・覚張隆史(がくはり・たかし)が出演した。
2021年(令和3年)10月15日、YouTube「石川テレビ公式チャンネル」で「日本人の顔のルーツに新説、金沢大の研究チームが発見 縄文人+弥生人+「古墳人」」(5分34秒)が公開された。
2021年(令和3年)10月23日、『FNNプライムオンライン』で、石川発「のっぺり薄い顔…新たな日本人のルーツ「古墳人」発見 現代人の半数に及ぶ影響」が公開された。
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2022年(令和4年)2月5日、木村淳(きむら・じゅん、1979年~)、小野林太郎(1975年~)編『図説 世界の水中遺跡:水底に眠る「時の証人」を求めて』(グラフィック社、本体2,500円)が刊行された。
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第1章 古代地中海(後期青銅器時代ウルブルン沈没船―古代ギリシア・キレニア沈没船(トルコ・キプロス)、トーニス・ヘラクレイオン遺跡/アレクサンドリア港海底宮殿(エジプト) ほか)
第2章 先史~有史の水没遺跡(粟津湖底遺跡(日本)、ユカタン半島水中洞窟(メキシコ) ほか)
第3章 海上シルクルートとアジア海上商業時代の水中遺跡(ビリトゥン沈没船(インドネシア)、チャウタン沈没船(ベトナム) ほか)
第4章 大航海の歴史と失われた帆船(海域覇者の船ヴァイキングシップ(デンマーク)、メアリーローズ(イギリス) ほか)
第5章 近代海戦と水中文化遺産(USSエモンズと日本軍特攻機(日本)、パラオに沈んだ日本船(パラオ共和国) ほか)
2022年(令和4年)6月10日、YouTubeチャンネル「History Genome &Culture」で、太田博樹教授(東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻)出演の「縄文人ゲノムから見た東ユーラシア人類集団の形成史」(46分)が公開された。
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2023年(令和5年)10月3日、斎藤成也(1957年~)監修・著、山田康弘(1967年~)、太田博樹(1968年~)、内藤健(1978年~)、神澤秀明(かんざわ・ひであき、1984年~)、菅裕(1972年~)著『ゲノムでたどる古代の日本列島』(東京書籍、本体1,700円)が刊行された。
0章 日本列島のはじまり 斎藤成也(国立遺伝学研究所 名誉教授・特任教授)
1章 縄文時代を「掘る」:どうやって考古学者になり、なぜ墓をテーマに研究することになったか 山田康弘(東京都立大学 人文社会学部教授)
コラム 伊川津貝塚の母子DNA解析 太田博樹(東京大学大学院 理学系研究科生物科学専攻教授)
2章 お酒に弱い遺伝子とウンチの化石のゲノムから何がわかるか 太田博樹(東京大学大学院 理学系研究科生物科学専攻教授)
3章 アズキはどこで生まれたのか:植物遺伝学で読み解く縄文時代の食文化 内藤 健(農研機構 遺伝資源研究センター上級研究員)
コラム ウルシの過去・現在・未来 菅裕(県立広島大学 生物資源科学部教授)
4章 日本列島人はどこから来たのか 神澤秀明(国立科学博物館 人類研究部研究主幹)
「日本人とは何者なのか」
2023年(令和5年)12月4日、『NHK国際ニュースナビ』で「“最初の日本人” その「親戚」がタイの密林にいた」が公開された。
2023年(令和5年)12月6日、夜9時~10時、NHKのBSチャンネルで、『FRONTIERS その先に見える世界』#1、福原暢介、小山佑介ディレクター、大坪太郎、片山宏昭(1977年~)プロデューサー「日本人とは何者なのか」が放映された。
語りは47歳のオダギリジョー(1976年2月16日~)だ。
68歳の国立科学博物館館長・篠田謙一(1955年10月20日~)(自然人類学)が出演した。
Chapter 1 ”最初の日本人”の正体
東海大学助教・松前ひろみ(集団遺伝学)が出演した。
国立科学博物館研究主幹・神澤秀昭(分子人類学)が出演した。
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東京都立大学大学院教授・山田康弘(先史考古学)が出演した。
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タイ、パッタルンにあるカオバンタット野生生物保護区(เขตรักษาพันธุ์สัตว์ป่าเขาบรรทัด)のパナチャート・プムヌアン氏が出演した。
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東京大学教授・太田博樹(分子人類進化学)が出演した。
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Chapter 2 今も残る”縄文DNA”の謎
金沢大学助教・覚張隆史(考古分子生物学)が出演した。
解析の結果、1000人ほどの集団で縄文人の祖先集団ていうのは成立したということが分かってきました。
その、たった1000人の縄文時代の祖先集団から現代の1億人以上の日本の人たちの遺伝的な特徴のひとつが、受け継がれて、今もなお、意味をなしいているというところが、非常に生物学的におもしろいですし、感動しましたね。
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東海大学准教授・木村淳(水中考古学)が出演した。
東京都立大学大学院教授・山田康弘(先史考古学)
縄文時代っていうのは三内丸山遺跡ですとか、非常に大きな遺跡があります。
そういうところでは、おそらくは数十人、数百人の単位で、人が住んでいた可能性がある。
狩猟採集漁撈の文化の段階で、あれだけ大きな集落をつくって、しかも長期間にわたって定住している。
そういう文化ってですね、世界中探してもほとんどないんですよ。
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Chapter 3 激動の時代 ”新たなDNA”の謎
鳥取県地域社会振興部文化財局・濱田竜彦(1969年~)(日本考古学)が出演した。
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金沢大学助教・覚張隆史(考古分子生物学)
古墳時代に現代日本人の特徴が形成されていったんではないかという「三重構造モデル」というものを提唱して、それが重要なんじゃないかと考えているという状況です。
謎の「第3の遺伝的な特徴」というものが非常に大きい割合で入っている。
ゲノムの特徴、比率で6割ほどになってくるので、割合からすると、かなりの数じゃないかなあというふうに考えています。
特定の人たちが、技術を持った人たちが来て、たとえば、そのまま帰ってしまうみたいな話ではなくて、一般の人たちも来て、日本列島の現地の人たちと融合していったっていう内容になりますが、規模としてはかなりの大きさだったんじゃないかなあというふうに考えています。
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弥生時代は北東アジアの地域にいる集団の遺伝的特徴が強く受け継がれていて、そちらの集団から人が入ってきたっていうのが分かってきました。
次に古墳時代については、東アジアの集団が入ってきて、北東アジア集団とは異なる集団が日本列島に入ってきたということが分かってきました。
異なる混血のイベントが起こったっていうふうに考えています。
これは非常に広い地域の大陸集団と遺伝的に類似しているので、さまざまな地域の集団が古墳時代に日本列島に入ってきて混血したんじゃないか。それがそれぞれ融合してきて、後世の人につながっていくという動きになります。
結局、いろんな地域の東アジアの集団が、本当に多様な地域から日本列島に入ってきているっていう事実、これが重要で。
いや、怖いと思いますよ。なんて言いますかね、いろんな人が入ってきて、たぶん言語が通じないとか日常茶飯事だったとは思いますね。
どういうふうに皆さんコミュニケーションをしていたのかなって。ちょっと想像できないですけどね。
国立科学博物館館長・篠田謙一(自然人類学)
日本人の今の幅に比べれば、はるかに大きな多様性があったわけなんですよね。
それが中世ぐらいまで、きっと続いていたはずです。
それを考えるとですね、日本列島の中を見ていって、ずいぶん、おそらく姿形だけではなくて文化も違えば、言葉も違うみたいな人たちがいる世界がずっと続いていたんだろうというふうに思います。
東京大学教授・太田博樹(分子人類進化学)
そういうふうに考えていくと、日本列島という地域に現在住んでいる人たちのゲノムというのは、ものすごいいろんな地域の、ものすごくたくさんの祖先から受け継いでいるっていうことがいえると思うんですね。
それを考えると非常に壮大で、ユーラシア大陸全体が祖先のプールみたいな状態をイメージすることになるわけなんです。
で、そう考えるとですね、「みんな親戚じゃん」ていうと変ですけれども、僕らが子どもの頃からお墓参りに行っていたのとは、ちょっと違う祖先観なんじゃないかというふうに思うんです。