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成長の芽を摘むアクション

大人は自分の子どもに対しては特に心配性なのではないでしょうか。いろいろ経験してきたから失敗や損や絶望を予測し子どもにはそんな思いをしてほしくないと思うのは自然なことです。

よく子どもが失敗しそうになった時、大人が子どもに成功体験を積ませたいと必要以上に関わることがあります。
数年前の話です。放課後等デイサービスで工作教室を開きました。電車の絵に色を塗って、ハサミで切って、組み立てるという作業。工作が得意な子はどんどん進めていきます。その中に手先の動きがゆっくり成長中がいました。電車の線の枠からクレヨンがダイナミックにはみ出しています。ハサミで切るのも一苦労。そんな中大人がその子に代わって塗れていない部分を塗り、線に合わせて切り、組み立てました。
大人側かわしたら、折角の工作の時間。綺麗な作品を持ち帰らせてママに見せて欲しいという気持ちで手伝ったそうです。

ただ、それは「子どもが作った作品」なのでしょうか?
「大人が作った作品」に近いのではないでしょうか。

もちろん子どもの発達によってはハサミを使うことが難しい子もいます。手が動かなくて組み立てられない子もいます。全員が全員全ての工程を自分でやれという話ではありません。
その子は自分で最後までやり切れる能力を十分持っている子だったからそのような違和感を感じたのです。ハサミがおぼつかなかったら紙を支えてみる。組み立てる際に斜めになってしまうかもしれない。クレヨンの色が混ざってすごいことになるかもしれない。それでも良いんです。と、私は思います。
その子が一生懸命考えて作った作品であればどんな作品も美しい。そしてそのような経験から「自分でできた」という自信が湧き上がってくるのです。それを「〇〇さんが作ってくれた作品」とその子が思ったら、せっかくの自分で取り組み自分で叶えるチャンスを逃してしまうのです。それはとてももったいない。

良かれと思った大人の行動が、子どもの成長するチャンスを逃してしまっていることがあるという事です。結構あります。ついつい先回りして声をかけてしまう、手助けしてしまう。できたの経験でなくやってくれる経験をたくさん積むといざ「自分で最後までやってごらん」の時が来たときになんだかうまくできなくて怒る、途中でやめてしまう。そんな子に対して「いつもできたでしょ、なんでできないの」なんて言ってしまうのです。

子どもが何かに真剣に取り組んでいる時はチャンスの宝庫です。いかに「できた」「セロハンテープをちぎれなかったけれどハサミで切れた」等子ども自身が一歩進めたと感じる瞬間を作れるかに重きを置いて接していきたいですね。

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