「向かう生き方」と「避ける生き方」
初めましてきつねコードと言います。
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今日はエッセイ的な内容をとりとめなく。
人生の中で「自分探し」をしたことが誰もが一度はあるかもしれない。
「私って何がしたいんだろう?」
「何が得意なんだろう、何が向いているんだろう」
「やりたいことが見つからないんだけど、どうしたら・・」
こういう人は、若者でも、あるいは大人でも意外と多いのかもしれない。
自分探しの旅に出る、なんて表現も当たり前のように使われている。
今回は、この”自分探し”という言葉にかけて、
人の生き方について考えてみたいと思う。
二つの局面を持っている人間
人間の性向には、大きく二つの態度があるように思う。
前者が「保守的」
後者が「批判的」とか「革新的」などと言った言葉に置き換えられるだろうか。
なにもこれらは、別々の人のことを指して言っているわけではない。
同じ一人の人間の中にも、多かれ少なかれ必ずこの二つの局面を合わせ持っている。
その二つのバランスは人によってもだいぶ違うようだが、心の奥底には必ず二者が潜んでいる。
一般的には、「保守的」が勝っている人の方が多いように思う。
普通に安心して生きていきたい。自分の子にもそうなって欲しい。
人は根源的に安心していたい生き物だからかもしれない。
例えば日本では、「高校→大学→大企業」のようにゴールデンルートとも言える、誰もがそこへ進めば”間違いない”と思う共通の意識がある。
「どこどこ大学へ入学しました。」
「どこどこ企業へ就職しました。」
「へ〜、素晴らしいですね。優秀ですね〜」
といった巷でよく聞く会話がそれを物語っている。
これは進路の場合だけに限らず、あらゆる世界でも通ずることだ。
どんな世界にも基準や王道なるものが存在する。
「普通」であること。
「常識」に沿うこと。
「正解」から外れないこと。
ひとたび、そこから外れていこうとすれば、人間社会は否応なしにその人間をゴールデンルートに押し戻そうとする圧力が働く。
それは家族かもしれないし、先生かもしれないし、世間かもしれない。
あるいは、自分自身かもしれない。
中には、それでも軋轢や葛藤と闘いながら、自分の人間力を信じて自由を貫いていく人間もいる。
最初は受け入れられず不遇の時代を経験する場合も多いが、批判的な姿勢を貫徹していくような者は、いずれ時代の寵児と呼ばれたりもする。
絵画のゴッホ。
ファッションのココ・シャネル。
経営のスティーブ・ジョブズ。
最初はみな飛び出すところから始めた。
誰にも見向きされなかろうと、
周りから叩かれようと、
自分の価値観、自分の信念を貫いた。
そういう者たちが、実際に世界を変え、時代を創っていく。
これはおそらく、どんな世界であっても共通していることだと思う。
自分を試す生き方
筆者は映画が好きでよく見ているのだが、
ジブリ「耳をすませば」の中にこんなセリフがある。お気に入りのシーンだ。
主人公のしずくは、
数週間図書館や自分の部屋にこもっては”何か”にかじりつきになっていた。
そのせいでテストの点数を100番も落っことした。
家族はあまりに心配して、しずくにそのワケを聞いた。
しずくがやっていたのは、自分を試すということだった。
夢に向かって突き進もうとする同級生、天沢セイジ。そんな彼をしずくはそばで見ていた。
そして、セイジくんのおじさんに言われた言葉があった。
「しずくさん、君は光る原石なんだ」
雫は押しつぶされそうな不安と希望の入り混じった気持ちに対峙して、
自分の才能を試そうとしていたのだった。
わずか数週間で「小説」を1冊自分ひとりで描きあげた。
それを聞いた父親は、しずくにこんな言葉をかける。
深い。深すぎる。
しかも、雫たちが住んでいるのは団地だ。部屋も狭くてごちゃごちゃ。
いわゆる「余裕」のある家庭ではないとみた。
お父さんは一介のサラリーマン。その父親がこれを言うか。
ジブリ作品は時に、重い描写が散りばめられているので感動する。
向かう生き方と避ける生き方
さて、「耳をすませば」からも分かるように
やはり、人には二つの生き方があるようだ。
良し悪しの問題ではない。
生き方は主観によって成り立つものだから、優劣をつけて評価するのはおかしい。
言っておくが、生きること自体が基本的に苦難の連続であるから、どちらの生き方も大変だ。
だから、単にこれは選択の問題である。
向かう生き方を選ぶ、しずくやセイジくんは、これから荒波の中を突き進んでいくことになるだろう。
しかし、こういう人間はものすごく強かったりする。
きっともともと強かったわけではない。
人間は、自分のやりたいことや、進むべき道が定まると、一気に生命の輝きやエネルギーが増す性質を持っているように思う。
荒波に揉まれる中で、弱い人間でもだんだんと強くなる。
しずくのお父さんが言うように、
向かう生き方は大変だ。人と違う道は、予測できない困難が伴う。
ここで、話を一気に現実に引き戻すが、
これからの数十年間は、この向かう生き方と避ける生き方の相克で苦しむ若者(若者だけじゃないかもしれない)が一気に増えていくと筆者は予想している。
その理由はもちろん、時代背景にある。
もし未来の人間がタイムマシンを作ったとして、
1990年と2040年に行った時の、その違いには驚愕するだろう。
この50年で世の中はそれだけ変わる。
過去における50年と、現代における50年では全くわけが違う。
おそらく我々は、ちょうど歴史の転換期にいるはずなのだ。
これからを生きる者は、(良い意味で)心しておいた方が良い。
技術の進歩は否応なしに人の生き方に影響を及ぼすから、
我々の生き方は相当多様になってくる。
これからももっとそうなっていくのは間違いない。
また、子を持つ親もそれを十分に認識しておいた方が良いと思う。
琴線に触れる体験を得よう
ところで、
「あなたの人生において本当にやりたいことはなんですか?」
という問いかけに対して即答できる人は少ないと思う。
「やりたいことが見つからない。好きなことが見つからない。」
こういう人は多いが、やりたいことはそう簡単には見つからない。
だから、焦る必要は全くない。
しかし、
ただ待っているだけの人にはいつまで経っても”その時”は来ない。
データを取ったわけではないので正確には分からないが、
肌感覚では世の中の人は、大体こんな風に大別できるかと思う。
①自分と深く向き合うことはせずに、目の前にある道を進む人:5割
②自分のやりたいことを考えるも、今ある道から外に一歩踏み出さない人:3割
③踏み出してみるも、あと一歩の所でやめる人:1.5割
④信じた道を最後まで突き進む人:0.5割
ご想像の通り、①は多く、④の人は極端に少ない。
割合で言えば④が少ないから、一般に「成功者」と言われる人はほとんどそこにいるはずだ。
受け身で待っているだけの人は一生「避ける生き方」になる。
「避ける生き方」から「向かう生き方」に転換するには、今ここから変わりたいと願うことが必要となるわけだが、これはただ気づくか気づかないかの問題だけであるように思う。
著名な結果を残す人というのは、若い頃に何か心の琴線に触れる体験をしていることが多い。
以前アナザースカイに出ていた映画監督の行定勲さんは、小さい頃に映画の撮影現場をたまたま見て、その魅力に取り憑かれたと話していた。
2017年に「ナラタージュ」を作った監督さんだ。
琴線に触れて、気づいた瞬間があったのだ。
他にも、あるテレビでこんな企画があった。
日本でダンスをしている小学生の少年が、youtubeでいつも見ている憧れの世界的なダンサーに一人旅で会いにいく、という企画だった。
不安と期待をつのらせる中、一人冒険に出て、実際に世界的なダンサーに会った少年は、その瞬間がかけがえのない経験になっただろう。
英語はわからないので言葉は通じないが、そんなの関係ない。
その”凄み”を、全身で感じているはずだ。
きっとこの少年は、この後もダンスの道を突き進み、数十年後に世界的な結果を残す可能性も十分にあり得る。
時代変化が生き方に影響を及ぼす
このダンス少年の例こそまさに現代を表している。
私たちは、1996年に広まったインターネット技術と、更にyoutubeという新しいサービスのおかげで無料で、しかも場所に関係なく情報にアクセスすることができる。
そのおかげで、少年は世界的なダンサーのことを身近に想える。
さらに、彼のダンス動画を見て、大きな目標にして、日々自分の技を磨いているわけだ。
つまり、「情報アクセスへの自由化」が背景にはある。
そして、飛行機の発明と、航空会社の熾烈な競争のおかげでヒトの移動のコストが大幅に下がり、今の私たちは、数時間で世界中を移動することができる。
そのおかげで、少年が世界的ダンサーに会いにいくことだってできたわけだ。
つまり、「移動範囲の拡張」と「移動コストの削減」も背景にある。
こうして、年齢も、住む場所も、言葉も全く違うのに、ダンスというたった一つの共通点によって人の心と人の心が繋がったわけである。
今を生きる私たちにとってはごく当たり前かもしれないが、昔はこんなことは考えられなかった。ものすごくハードルの高いことだった。
このように、技術の進化は人の生活を変えていく。
そして、今の技術の進化のスピードは凄まじい速度で進んでいる。
情報・知・人・場所へのアクセスの自由。
これからも人の行動の「選択肢の幅」はどんどん広がっていく。間違いなくそうなる。
そんな時代背景があるからこそ、
筆者は「向かう生き方」に挑戦する人を応援していきたいと思っている。
②今ここから抜け出して、新しい自分になりたい
そう自分で気づいたら、半分はもう解決したようなものである。
あとは、少年のように琴線に触れるような経験を得るべく冒険に出ればいい。
琴線に触れるものがあったら、突き詰めてやってみたらいい。
興味を持っても、気になることがあっても、なにかと理由をつけてほとんどの人が行動を起こさない。
やらない理由を見つけるのは、とても簡単だ。いくらでも頭をよぎる。
1ステップ進んで行動を起こしたとしても、ほとんどの人が途中でやめてしまう。
逆に言えば、それさえ乗り越えれば信じる道を貫いていくことはできるのだ。
興味を持ったらやってみる。アタリだったら最後までやりきる。そう難しい話ではない。
人生は1回しかないのだ。
その1回をどうするか、選ぶのは自分だ。
選択肢は、(あなたが思っている以上に)実はたくさんある。
自分と深く向き合い納得のいくものが摑み取れれば、命がパッと開いていくような感覚がきっと得られる。
僕はそう思っているし、自分もそんな人生を生きていきたいなと思っている。