第3回文芸実践会・短歌:テーマ「砂」 | 活動報告
第3回目となる今回はなんと、京都芸術大学・通信で「短歌と俳句」の講師を担当していらっしゃる中沢直人先生をゲストとしてお迎えしました。
事前に提出された14首を皆で批評し、最後に本人が作品の意図について説明をします。今回のテーマは「砂」で、詠み込み必須です。
音の渦、まばゆい笑顔はおまじない きみは磁石、わたしは砂鉄
田村:下の句がおもしろい。きみに吸い寄せられる、惹かれているように思ったので恋愛の歌か。「きみは磁石」は6音で字足らずだが、読点が一音文の間になっている。初句と二句の間の読点については推敲の余地があるかも。
秋:最初は恋愛の歌かと思ったが、自分を表すには「砂鉄」というのが有象無象な印象がある。もしかしたらアイドル短歌では。「音の渦」が歌や演奏で「砂鉄」が観客と思ったらイメージが鮮明に湧いた。
中沢先生:コンサートの歌だろう。「音の渦」なのである程度人数がいるPOPSやロックか。「まばゆい笑顔はおまじない」の表現がよく、「砂鉄」という収め方もよい。素直な気持ちを歌った素直でいい歌。(作者意図を聞いて)「まばゆい」のほうがインパクトがあって鮮明にイメージが伝わる。
作者:川辺せい
アイドル短歌。漢字とひらがな、読点にこだわって、柔らかな印象を出したかった。砂鉄は1個の磁石にわっと集団で引き寄せられる有象無象を表現。下の句の音数を収めるのに苦戦した。「まばゆい」と「まぶしい」で最後までとても迷った。
鈴の音と駆ける背中はどこ行くの はじけた砂を拾い集めて
じぇーん:猫を思い浮かべた。「駆ける」から子猫か。神社などの砂利があるところだろうか。昔はよく猫を外飼いしていたので、懐かしい良き時代を思い出した。「はじけた砂を」に自由な軽やかさを感じた。
Elle:飼ったばかりの子猫が首輪の鈴を鳴らしながら、あっち行ったりこっち行ったり、その背中を追いかける飼い主の姿が目に浮かんだ。「はじけた」という動詞をひらがなにした意図があったら聞きたい。
中沢先生:猫かなと思ったが、小学生がランドセルに鈴をつけているとも読める。音数が整っていて、作り慣れている印象。もし猫なら、もう少し猫っぽさを出しても読者にとって補助線になるかも。
作者:うい
猫と飼い主の歌。猫はトイレが終わった後に走り回るので、猫砂が飛び散る。そのままどこいくの、と追いかける姿。「はじけた」はひらがなの方が柔らかな印象になるので、猫と一緒にいる心穏やかさが伝わったらと思った。
水混ぜ砂混ぜ青い背を 踏み締めふみ越えあたしは行くの。
月見里:なにかの決意を感じる。砂浜や波打ち際を想像し、歩きにくい道を進む女性の決意かと思ったが、同時に地震や津波も連想した。「ふみ越え」のひらがなの意図を聞きたい。
川辺:「あたしは」「行くの」キャラクター性が浮かびやすかった。「青い背」は自分の青春時代を超えていくよう。文末の句点が決意を感じてよい。上の句が445だがリズム感よく読める歌。
中沢先生:今回の中でも屈指の難しい歌。震災を詠んだ可能性も考えた。すべて漢字にすると重すぎるため「ふみ越え」にひらがなの違和感は感じなかった。短歌は字余りのほうが許容範囲が広いので、「わだかまる」「透明な」「透き通る」などを初句に足しても。
作者:是酔 芙蓉
父親と自分のことを詠んだ。「水混ぜ砂混ぜ」はセメントを混ぜるブルーカラー・肉体労働者の父の姿(「青い背」)。大学に進学しないと言ったら父親に怒られ、踏み越えてほしいのかなと思った日のことを詠んだ決意の歌。「ふみ」は自分の名前を入れている。
砂色の目をしたあのこ窓の向こう わたしの顔もきみは知らない
みずたま:「砂色の目」は明るく灰色がかった黄色なので、目が見えない子か。下の句で余計にそうかと思った。「あのこ」「わたし」「きみ」人を指すときにひらがなを使っていて、優しさや寂しさが際立っている。
凰陽:海外の人か。知らない土地で出会った知らない人のことを詠んでいる印象を受けた。
中沢先生:みずたまさんの評に説得力がある。小説的な世界が1首に入った綺麗な歌。短歌は読者の読みに委ねられ、そこから世界が広がっていく。
作者:どこか
可愛がっていた野良猫が白内障で、隣の家の塀にいたので餌を窓から投げていた。ある日いなくなってしまい、餌を食べてくれていた自分のことは分からない猫に対する、寂しさと愛情を詠んだ。
小(ち)さき手の白き海砂よ
さらさらと
握れば形見の真珠を思ふ
是酔:「小さき手」は赤ちゃんを想像した。「白き海砂」は星砂で沖縄の星砂は珊瑚の死骸なので「形見の真珠」とかけているか。「さらさらと握れば」は握りしめても隙間から漏れているのだろうか。ストーリーを聞きたい。
うい:綺麗で素敵な歌。砂浜で子供が砂遊びをしている微笑ましい歌かなと思ったら最後に形見の真珠という言葉が出てきて、どこか切ない感じで終わる。一字空けではなく改行なのが斬新だったので、意図が知りたい。
中沢先生:「小さき手の白き海砂よ」をどう読むのかで変わる。人物像は若い女性か。女性が働き始めたときに砂を握ってみて今はもういない人を思っているのかも。読みを確定させたければ情報を増やしてもよい。詩的な雰囲気が広がる素敵な歌。(作者意図を聞いて)本歌取りは本歌の一部を取り出して完全に作り変えるもの。これは本歌を知らなくても楽しめ、本歌取りとして成功しているかと思う。
作者:秋
石川啄木「一握の砂」より本歌取り。元の歌は砂を寂しいものと捉えているが、自分は明るく価値あるものとして詠んだ。海岸に小さな子ども連れの家族がいて、その子が無邪気に白い砂を握っている様子。母親の形見の真珠の首飾りと子どもが握る白い砂で、命の繋がりのようなものを表現したかった。本歌取りとして成功しているか疑問。
すなあらしまきこまれるきみのひめい そしてめのまえがまっくらになった
めとせら:全部ひらがなで珍しい。子供目線の歌か。怖い単語が並ぶので戦争などを歌っているのではないか。爆撃に巻き込まれて声を上げることしかできない子供が、目が見えなくなってしまう悲しい場面を想像した。
みずたま:全部ひらがななので、ゆっくりじわじわとくる恐怖を感じた。ひらがなはゆっくりと読ませるために使うと聞いたので、読み手の読む速度をゆっくりにさせている。テレビの砂嵐や貞子を想像した。
中沢先生:深刻な事態をひらがなで如実に伝えていて巧み。砂漠地帯の戦争や震災などいろんな読み方ができ、切羽詰まったイメージを持つ。作者の実体験ではなく、深刻な事態にあった方になり代わって読んでいるのか。ひらがなのインパクト、じわじわ近づく狂気を感じる。
作者:Elle
ポケモン短歌。敵味方関係なくダメージを与える「すなあらし」という技で「きみのひめい」は味方のポケモンが倒れた時の鳴き声。プレイヤーが考えなしに使用した結果、味方のポケモンが倒れてゲームオーバーになり「めのまえがまっくらになった」というセリフが流れる場面を詠んだ。元ネタがわからなくても何かしらの悲壮感や暗さを感じ取ってもらえたら。初期のゲームはすべてひらがなのため、ゲーム感を出すためにひらがなにした。
会いたさと遠さの冬は砂時計みたいに左肺が重いよ
川辺:「遠さの冬」「左肺が重い」テクニックが詰め込まれている。句またがりしているので、なめらかに最後まで読める。どこで区切って読むかで印象が変わるので、とても巧み。心臓があるから「左肺」なのか。
どこか:難しい歌。砂時計は終わっても教えてくれないので、だれかに会える楽しみか。待ち遠しさみたいなものを感じる。その冬を耐えて、何かを待っているような印象。「左肺が重い」の意味を聞きたい。
中沢先生:勝負に来ている歌。句またがりを2つ入れている。「砂時計」で一度区切って読んでしまうもの。「会いたさと遠さの冬は砂時計」だけでも素敵だが、読み進めると下に繋がっており、「砂時計みたいに左肺が重いよ」という仕掛けがありとても巧み。心臓がある左側、心という意味でも。相手への想いの濃厚さが伝わるいい歌。
作者:田村穂隆
「肺」も「砂時計」も上下左右で対になっており、砂時計は片側から片側へいくものなので左右書かれているほうが具体的かと。「左」にしたのは音数の問題でもあるが、歌がより面白くなるように読んでいただけてよかった。
鳴き砂を 並んで歩くキミとボク 音は次第に消えていく
藤:浜辺を2人で歩いていく姿をイメージした。物理的に音が消えていく意味と、鳴き砂から2人の会話に興味が移ったという意味か。ロマンチックな歌。最後が5音の意図を聞きたい。
田村:「消えていく」の部分は2音足りない欠落感が単語と響き合っている。「鳴き砂を」の後のスペースが意味ありげに感じた。「鳴き砂」「並んで」の「な」の響きがよかった。
中沢先生:とても好きな歌。普段現代詩を書いているような雰囲気が漂う。リズムを整えることを候補に入れても。「次第に」を結句に送ると7になる。「音」は「いとしさ」「ささやき」などでもよいかも。「鳴き砂を」の後のスペースはなくても。
作者:凰陽 晶
一字空けや最後5音は無意識。「鳴き砂」は京都丹後にもあって幼いころからずっと行っており、年の重なりを表現したかった。小さいころはただはしゃいでいたが、年を重ねて愛情を重ねていく様子を歌いたかった。欠落感に関しては意図していなかったので、勉強したい。
三分の長さを変えれる砂時計 上に下にと自由自在に
月見里:内容がわかりやすいが、いろんな解釈ができる。三分を意識することが少なく、その長さを変えたいと思うことがないのでユニークな短歌だと思った。「三分」と「散文」をかけているのか。
凰陽:子供の無邪気さを感じた。いろいろに向きを変えて、時間を変えられる! と無邪気に言っているイメージ。
中沢先生:実際に「自由自在」という参考書があるため、資格試験などの勉強をしている場面か。制限時間を引き延ばしたいという勉強関係のシーンをイメージした。目の付け所が面白い歌。
作者:じぇーん
子どものころ、まさに「自由自在」という参考書を制限時間三分でやっていたとき、年代物の自宅の砂時計をこっそり途中でひっくり返しては時間を延ばしていた様子を詠んだもの。「散文」は意図していなかったので頂きたい。
アンバーに透ける砂糖に沈む匙ひと粒たりとも掬わざる毒
うい:幻想的で綺麗なので好き。お砂糖を入れた紅茶の歌か。色を表す言葉は多いが、アンバーを選ぶのがよかった。下の句の「毒」は砂糖のことかと思ったが、難しかったので解説が欲しい。
Elle:紅茶もしくはコーヒーに砂糖が溶ける比喩表現か。一度飲み物に溶けることで砂糖が見えなくなる=掬うことができなくなったことを表現したのか。ただの砂糖ではなく、日常生活には多くの毒(砂糖)が紛れ込んでいるという意図かと思った。
中沢先生:アンバーは琥珀色なので紅茶か。砂糖は体にとって摂りすぎはよくないため、メッセージが綺麗な形で提示されておりいい歌。「毒」は言葉が強すぎる可能性も。整っていてわかりやすく、いい歌だった。(作者意図を聞いて)2〜3首作ったり詞書をつけたりなどで説明は可能だが、十分面白かった。
作者:みずたま
紅茶に砂糖=毒になるのでは、と作った後に思った。「毒」は本当の「毒」を意図している。以前にドラマで見た、シュガーポットの上だけに毒を仕込むというトリックから着想を得て歌を作った。
競うごとく砂浴びをする雀見ゆ不記載は誰のミスなのですか
めとせら:可愛らしい上の句から下の句で意味がぐっと変わる。公文書の改竄や捏造など政治的な意味を問うものか。作者意図が知りたい。
じぇーん:体についているものをこう取る「砂浴び」だが、「競うごとく」なので自分じゃない誰かの悪さを強調していくような、昨今の会計問題などの政治問題を詠んだ歌か。
田村:「砂浴び」が汚れを落とすためのものなので、不記載の責任を下の人に押し付けて政治家自身はみそぎをした気持ちになってるのでは、みたいな揶揄の意図もあるかもしれないと感じた。
作者:中沢先生
歌の意図は評の通り。
手をにぎる砂場のトンネル向こうの子
これが恋だと知らなくていい
どこか:幼稚園くらいの子が砂場で初恋をしている情景を思い浮かべた。親がそれを見て、いつか手を離れていく我が子の成長を祝福しながらも寂しく思うシーンをイメージした。
藤:1行目と2行目で人物が変わるか、時間経過があるのかと感じた。初恋や片思いの歌でもありそう。
先生:詩を作り慣れている雰囲気。短歌的には「向こうの子」は「ほのぐらく」などすることも多い。「これが恋だと知らなくていい」を行を変えてはっきりと強く提示している。心の中に残ってるものが、呼び覚まされるようなところがあってよい歌。「向こうの子」も行を変えても。
作者:めとせら
好きな歌の中に砂場のトンネルの描写があり、関連づいた歌を作りたかった。好きという感情であってもその時は深く考えずにただ、相手と遊んでいた子供のころを回顧する歌。前半と後半で目線が変わるのは意識した部分。
砂利道を鳴らして歩く足もとは地球の底をさらえるような
Elle:地球という大きな星を、私たちの足が少しずつ削っていく壮大なイメージが脳にすぐ浮かんでとても面白く、かつ考えさせてくれる短歌。作者の方はもしかすると登山が好きで、砂利道を歩く機会が多いのかも。
秋:上の句と下の句で視点が大きく切り替わるのがとても面白い。世界の底が砂利である水槽をイメージした。
中沢先生:面白い歌。イメージを膨らませていく、発想がジャンプする距離が魅力的。「砂利道を」は少し言葉がねじれているので、「玉砂利を」などのほうが無難かもしれないと感じた。「足もとは」に作者の想いが詰まっていて個性が際立っている。
作者:藤
神社の砂利道のイメージだったので、「玉砂利を」のほうがよいと思った。砂利道を歩く時、その下がどうなっているのか気になって足で掘ってしまう。地面の一番下ってどこなんだろう、という発想から作った。
吹きつける雨風砂(あめかぜすな)に足取られ 手取られわらう初陽(しょよう)の砂丘
是酔:鳥取砂丘に旅行にいったときの歌か。天気が悪いけれどこもらず観光をして案の定、顔をあげられない状態で転ぶので「手取られ」は「手間取る」と「手をとる」をかけているのでは。「手取られ」は恋人か友達がいて手を取って立ち上がらせてくれたのを想像し、ほっこり温かい気持ちになった。
田村:ちょっと恵まれない天候の中で朝日を待ってるのか。「雨風砂」は読点をいれて「雨、風、砂」とすると畳み掛ける感じが出て、ルビが不要になるので検討しても。
中沢先生:恋人や家族の心の交流を歌う、美しいよい歌。「初陽の砂丘」という言葉も美しい。「手取られ」は言わなくても伝わるので、「あなたと」などでも。一字空けもなくてもよい。
作者:月見里のぞむ
年末年始に家族で出かけ、天気雨と強風に足を取られ大笑いした鳥取砂丘を詠んだ。「足を取られる雨の砂丘のような困難な道を歩んできたが、あなたの手を取ってようやく幸せになれそう」という意味になるが、「わらう」を「ひらがな」にして読者に「笑う」「哂う」「嗤う」の解釈を委ねた。「苦労して準備してきたたくらみごとを成し遂げた」とも解釈できる。その際は「手取られ」が「手をつなぐ」から「手間取る」に変わる。
感想
ゲストの中沢先生より一言
おまけ
皆さんの未提出短歌を公開!
じぇーんさんの砂時計のエッセイ
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