眠るように生きている。
自分の中の普通に生きている人間だった。
なんとなく中学受験をしていて、なんとなく塾に通って。
成績に悩むことなく、落ちそうな不安もなく志望校に受かりました。
相対的に成績が優秀だったため
このまま生きるうちに大学に受かって手に職をつけるんだろうなあと思ってました。
だから当時は全てが上手くいっていると感じてた。
自分の意思があるようでなかったから。
振り返れば全然そんなことはなかった。
全て勉強が上手くいってるから、頭が良いからという周りからの第一印象で自分をごまかしてた。
本当は怖かった。孤独を感じてた。
幼少期からずっと、自分の落ち着き具合が嫌だった。
4才でアメリカで母国語が異なる者同士で集団生活をした時。
日本に帰って幼稚園でおままごとをした時。
どこでも周りに合わせて、様子を見て、気を配って。
自分の意見を残しつつ場をよくする立ち回りをする役割だと無意識に思ってた。
小学校低学年、学校より家の勉強が難しいと気づいた時。
小学校高学年、自分は周りと違う学校に進学するとわかった時。
私は同じ会話の土俵に立てていないのではと思った。
もちろん流行りのゲームやテレビは知らなかったから、
集団ではぎこちない話題を選んでたと思う。
その上1対1だとバランスが取れなくて。
クラスメイトからは全体に1人はいる真面目なやつって思われてたかもね。
でも、あいつすげえなー!って言われることもあったから嬉しかったけど。
なんだろう、どうにもこう、俯瞰して集団に属している感じが子供らしくなくて変な気分だった。
その悩みは中学受験に成功したら消えると思ってた。
学校では何にも代え難い友達に恵まれた。この学校じゃなきゃ出会えなかった友達のことが大好きだ。
そしてわかったのが、悩みの根本は自分にあること。
理由。こればっかりは複雑すぎて言い切れないし考えるのも嫌なので省きます。
ですが自分らしさを作ってきた1つの揺るぎない特徴があって。
一言でいえないけど、
無意識に情報を取り込んで処理する速度と範囲が半端ない、かな。
今思えばこれは小学生の頃に証明されてて。
速読系の習い事を塾で週に30分やっていましたが、一度立方体の数を数えたり数字を順番に押すミニゲームをやれば大体学年の最上位に入ってた。
当時は純粋に楽しんでいてそこそこ得意な息抜きだと思ってましたが
感覚過敏に苦しみ始めてからはちょっと怖く感じています。
正真正銘の生まれつきですから。
直近でも車校の運転適正検査が頭に入りすぎて目眩を起こました。パッと見た一列を同時に処理しようとする。というか若干してて書き間違えないか怖かった。
だから自分に合っている問いはクラクラするほど頭が回ってしまう。
それとは別に普段からものすごい量の情報を捌きながら息をしているので
目の前の思考(言葉での思考)が身に入らないです。
勉強も、noteも。だからnoteは言語で考えて文字にする練習。
+α感覚過敏です。まあまあキツイな。
なんか、学年が上がるごとに自ら思考を止めないとどんどん情報と感覚に溺れるようになってる。
だから考えない。感じない。
考えるまでもなく、感じるまでもなく答えが出るから。
そこで文字で考えると拗らせちゃうから。
だから今は、眠るように生きています。
目を開けるのも億劫。
あっ、〇〇だ。って心が言語化したらもうおしまい。
バックグラウンドで動いてる思考とかけ離れてる。そのまま言語で考えると頭とすれ違ってフリーズする。
どの感覚もこんな感じ。
これ、誇張してるんじゃないかって自分で疑ってしまう。
でも本当だと思う。本気で疑ってるから本当に思える。
自分がこういう感覚で生きているから。
それを見失わないでほしいから。
見失ったらまたギアが外れるから。
書き留めてみた。
とりあえず、目の前の物理のレポートを解きたいな。
ふう。久しぶりに思うがままに書いた。
たまには訳わかんない気持ちも発散しないと。
人それぞれ生きづらさがあると思うから
この人(私)もなんか悩んでるっぽいし程々に生きよ〜って。
そんな感じに捉えてください。
見栄を張らなくてもあなたはかっこいいから。
じゃあまたね!