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ベトナム旅行記
こんにちは。
昨年の年末にベトナム旅行に行ってきましたので、旅行記としてまとめました。
ベトナムへ
今回はベトナムの格安航空ベトジェットを利用した。当初の予定から4、5時間ほど遅れた出発となる。どうやらベトナムの空港で機材トラブルがあったみたいだ。さすが格安航空、でも想像はしてた。
13時半ごろ成田空港に到着、とりあえずチェックインを済ませる。
出発までかなり時間があったのでドトールで時間をつぶす。
昼食として寿司屋に入る。成田空港の寿司屋は回るが高い。安い皿と間違えて600円の高い皿を3回くらい取ってしまった。平然とした顔で食べる。
出発時刻2時間くらい前になり、また腹が減ったので、成田空港の食堂で高いラーメンを食べた。
普通のラーメンの3倍くらいした。
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高かったので、汁まで全部飲み干した。これで数日間日本食とはおさらばだ。
出発は、当初の予定、4時半からは大幅に遅れ9時半になってしまう。もうこの時点でだいぶ疲れが感じられた。
飛行機の離陸はいつも慣れない、無駄に高い想像力にこの時ばかりは嫌気がさす。
ここからハノイまで6.5時間、機内は半分くらいベトナム人である。LCCなので食事の提供もなく、ただひたすら寝るのみ、だが寝れない、疲れているのに全然寝れない。
ミスチルのアルバム「深海」を聴きながら1時間くらいうとうとする。
そうこうしている間に飛行機は高度を下げる。体質的に耳抜きができないので、飛行機用の耳栓を付ける。
Amazonで1000円程度の代物で、試験的に今回の旅行から導入した。効果はテキメンであった。
DKSHジャパン サイレンシア フライトプラス
https://amzn.asia/d/cJFaaue
いつもは離陸後数日は耳の閉塞感があったが、今回はスムーズに耳抜きができた。急激な気圧変化を軽減させるんだろう。
今度の旅の必需品になりそうだ。2024年最後にいい買い物をしたと思った。
現地時間2時ごろハノイのNoi Bai International Airport到着する。とにかく眠い。
荷物は思いのほか早く流れてきた。そもそも乗客が少ないから当たり前である。
今回の旅行ではあまり細かく下調べはしない。2万円ほど換金を済ませ、とりあえずそれっぽい方向に進みタクシーを探す。
東南アジアは特にぼったくりタクシーが多いのでGrubタクシーで配車予約するが、なかなか見つからない。時刻は朝3時タクシー運転手も少ない。
喉が渇いたのでさっき換金したベトナムドンで飲み物を買おうと自動販売機に向かう。
手持ちのお札が自販機に入らず、途方にくれていると日本でベトナム人が話しかけてきた。どうやら日本で働いているらしい、年越しは家族とベトナムで迎えるんだろう。
その彼は私たちに自販機の使い方をレクチャーしてくれるが、お札が認識されないのだからしょうがない。
その旨を伝えると、どの飲み物が欲しいんだいと聞かれ、奢ってくれた。
日本でたくさんの日本人に親切にされたからそのお礼とのことだ。ありがとうベトナムの青年。
彼に買ってもらったレモンティーは凄まじく甘かった。
そんなんこんなで、Grubタクシーがつかまりホテルのあるハノイの旧市街へ移動する。時刻は午前4時、睡魔に襲われながらも初めて見るベトナムの風景に興奮する。
湿度のせいか空気はぼんやりしてて、街灯も少なく暗い印象、早朝なので謎の体操しているお婆さんがいた。ベトナム人の朝は早いらしい。
(タクシーの運転手は、ながらスマホで運転するのでセンターラインの上を走っており怖かった。)
40分ほどでホテルに到着、チェックインを済ませてシャワーを浴び30分くらい寝る。
ホテルの朝食バイキングが6時からなのでそれまで短い時間泥のように眠る。起きてあまり食欲はなかったがとりあえずレストランへ向かう。朝食の会場にはさまざまな国の人たちがいた。メニューも豪華で多国籍、とても一周じゃ全然食べきれない。
フレンチトーストとカチカチのベーコン、いくつか名前のわからない料理を皿に並べ席につこうとするが、最初に誘導された場所にはカップルがいる。
仕方なくその隣の席に座る。
あまり食欲もなかったが胃に詰め込む。
1日目
朝食を食べた後、3時間くらいして起床。思いの外元気である。夕方から眠くなることが容易に想像される。
ホテルの近くにあるホアロー収容所に向かう。
ここはかつての政治犯や革命家たちが収容されていた場所だそう。日本語の音声ガイドのおかげで当時の収容所内部の凄まじさが理解できた。
多分、ベトナム観光初日にここに行く観光客は少ないだろう。
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ホアロー収容所を出るとタクシーの運転手と目が合った。この手の客引きには絶対について行ってはならないのだが、極度の疲労状態にある人間の判断能力は恐ろしい、気づいた時にはホーチミン廟までいくらかと尋ねていた。2万ドン(120円程度)で行けるとのことだ。まあそんなもんかと思いつつ乗車。運転手はよく喋るどうやら弟が日本で6年働いていたそうだ、建設関係の仕事をしていたとか。英語も流暢に話す。仄かな違和感と共にホーチミン廟までの道のりを走る。もちろん東南アジアの交通ルールなどあってないようなものだ。バイクとスレスレの距離をクラクションを鳴らしながら進む。ホーチミン廊に到着、運転手なぜか静かになる。メータには400の数字が並ぶ。40万ドン(2400円くらい)。。。
渋々払うが、これがぼったくりタクシーである、、人生経験代は安くない。
ホーチミン廟へ
入り口には手荷物検査場がありかなり厳重、X線でバッグの中まで調べられる。
ノースリーブや短パンでの入場は禁止されている。
後に並んでいた観光客は短パンでの入場を厳しく断れれていたのが印象的だった。
ホーチミン廟に近づくことも制限されており、中国人観光客と思われる団体が笛を吹かれて注意されていた。ホーチミン廟の建物内部には早朝に入ることができるらしい。
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続いて先ほどの経験を活かしGrubタクシーに乗車、ハノイのトレインストリートへ向かう。ここは線路ギリギリに露店が設置されておりそこで食事を楽しみながら電車を間近で見ることのできるスポットである。
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電車の通過時刻まで1時間程度近くのカフェでお茶をすることにした。散歩しながらカフェを探すこと20分、良さげなカフェに入店。散歩と書いたが、バイクの交通が激しく、とてもゆっくり歩くことなどできない。
カフェでエッグコーヒーとベトナムミルクコーヒーを頼む。20分程度待ってもオーダーが来ない。コーヒーの豆でも買いに行っているのだろうか。待てど暮らせど来ないコーヒー、迫り来る電車の通過時刻。
やっときたコーヒーはぬるく、激甘だった。ベトナムクオリティである。
5分ほどで胃に流し入れ、線路方面へ向かう。
15:20から3分過ぎた頃にギリギリで到着する。ベトナムの電車なんて時刻通りに来るはずがないと鷹を括っていると、5分待っても電車は来ない。
近くのカフェの店員に電車について尋ねるとすでに通り過ぎたとのことだ、あのカフェの店員がコーヒーをもっと早く提供していれば、、
そして我々は体力の回復のため、一度タクシーでホテルへ帰るのであった。
1時間程度休息し、再び街へ繰り出した。今度は旧市街の繁華街へ向かう。
そこまではホテルから徒歩で15分程度であるが、いかんせん東南アジアの交通はルールなど度外視である。我先にと車もバイクも時には自転車もまでが交差していく。歩行者用の横断歩道もあってないようなものである。結局、繁華街までは徒歩で30分程度かかった、東南アジアでの横断は急いではいけない。とにかくゆっくりと歩くのが原則だ。日本での横断のように急いで渡ることは時に死を意味する。ドライバーの反応速度に合わせてゆっくりと歩かなければならないのである。我々が教習所で習った交通ルールなどベトナムでは無価値だ。ちなみに赤信号もベトナムでは注意して通行の意味をなしている。
繁華街ではいくつかのお土産店に寄った。ベトナムでも日本のアニメは流行っているみたいだった。路上で少年が見ていたスマホの画面にはベジータがいた。
そして、我々は夜の繁華街を抜けお腹に優しそうな料理を出してくれそうなレストランへと辿り着いた。レストランの一階は洋服店となっており、PatagoniaやNorth Faceなどのブランド商品が格安で取引されていた。明らかに布の質感が薄く安っぽかったのはベトナムの気候に合わせているためであろう、、、笑
レストランではベトナム産のビールBIA VIETを飲んだ。東南アジアのビールに特有の薄めのテイストに鼻に抜けるアルコール臭は日本のビールのクオリティをより高いものにしてくれたが、個人的には嫌いじゃない味であった。
フライドポテトとビーフ焼きそば、エビチャーハンを食べた。フライドポテトにはこれまでにみたことの無いピンク色のソースが付いていた。甘かったけど意外とイケた。
その後、タクシーで再びホテルへ戻った。シャワーを浴びて歯を磨き、二日分寝た。
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2日目
昨日とほとんど同じ朝食を食べた。なぜか吸い寄せられるようにカリカリのベーコンを取ってしまう。中華まんも美味しかった。生のサーモンがあったが、お腹のことを気にして食べなかった。
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2日目の朝、我々は少し急いでいた。なぜなら当初から予約していたハロン湾ツアーへ参加するためである。(ハロン湾は大小様々の島からなる非常に穏やかな湾で、ベトナムの世界遺産の一つである。)
時刻は8:10、ツアーガイドがホテルに到着まで残り10分である。人はなぜか出発のギリギリになり腹痛に襲われる。スッキリしたのも束の間、ベトナムのトイレは紙を流すことができない。水洗トイレに慣れた日本人にとって、自身の排泄物のついたトイレットペーパーをゴミ箱に捨てるのは抵抗がある。私は生来の潔癖症によりかなりの時間を要して、8:20過ぎにホテルのロビーに到着した。ロビーでは紫色のダウンジャケットを着たベトナム人男性が我々を探していた。男性に導かれ、バンに乗ると車内は日本人のツアー客でほぼ満席だった。車内の冷房はガンガンに効いており、リュックに長袖シャツを入れておいた機転のきく自分に感謝した。バンの出発と共に乗客が冷房の温度に異議を唱え、冷房の温度は適切なものへと調整された。ハノイ中心部からハロン湾まで2時間半程度らしい。流暢な日本語でよく喋るベトナム人のツアーガイドと共に、我々はハロン湾へ向かった。
途中、下道におり、怪しげなサービスエリアでお土産を買った。お土産店の店員は日本語を流暢に話し、ツアー会社と裏で繋がっているんだろうなと思ったが、文句を言う額でもないのでそこでハス茶を買った。
そこから、また1時間程度走り、ハロン湾周辺まで着く。湾の周辺には廃墟と化したホテルや別荘がかなりの数あった。かつて、この周辺に不動産投資したが、市場へのアクセスが悪いことによる誤算でこうなっているとのことだ。
我々はハロン湾から船に乗った。船には30人程度の日本人が日本語を話すベトナム人ツアーガイド3人と乗った。すぐに昼食が出された。テーブルは5人掛けで家族旅行に来ている夫婦とその子供との相席だった。大皿の料理が出されたが、多くの日本人にとっては口に合わないようで、完食しているテーブルはなかった。他国の食文化に触れることは勇気がいるが、ベトナム人になりきってチャレンジするのも旅の醍醐味なんじゃないかなと思った。魚の揚げ物はすごく美味しかったが、少し臭みがあった。蒸したシャコは初めて食べたがカニのような味がした。
ハロン湾の島の一つに鍾乳洞が形成された島があり、我々はそこに辿り着いた。島の船着場には足場が見えないほど船が集まっていた。どうやら船をつけるためにすでに停まっている船の間に船首をねじ込み、無理やり停船するらしい。強引に船を体当たりし別の船との間にスペースを作る。日本人の乗客は皆口をぽかんと開けてその強引さに呆気に取られていた。船首をぶつけること数回鈍い音と共に隣の船のガラスが割れた。隣の船の船員達はキレていた。こちらの船の船員たちは笑っていた。大したことではないらしい。我々日本人に足りないものは楽観的思考であることは言うまでもなかった。ツアーガイドも言っていたが、日本人は真面目すぎるらしい。だが真面目ゆえに戦後華々しい復活を遂げ、先進国へと返り咲いたのは確かだ。
そんなこんなで鍾乳洞に到着した。鍾乳洞は日本で数回見たことがあるが、こんなに広い空間が形成されているものは初めてだった。再び船に乗る。
続いて別の島に移動し、小型ボートもしくはカヤックの体験の時間だ。初心者はボートでの見学を強く推奨された。だからボートに乗ることに決めた。景色は非常に綺麗だった。映画のワンシーンのようだった。帰り道、カヤックに乗る欧米系の女性がボートと衝突して転覆していた。持っていたスマホも海の底に沈んでしまったかもしれない。非常に気の毒である。ボートを選択しておいて本当に良かった。
今度は展望台のある島に向かう。旧ソ連の宇宙飛行士の名前がついた島だったが忘れた。島での自由時間は30分程度、島の山頂の展望台まで往復20分程度、ギリギリのスケジュールの中我々は島の階段を一歩一歩上り始めた。様々な国の人がいた。多国籍な階段だった。展望台に辿り着くと景色は綺麗だった。今日が晴れていて本当に良かった。余談だが我々は晴れ男と晴れ女である。中国人と思われる60歳くらいのおばさんに写真を撮るように頼まれて撮った。写真を撮る際に画角の端にいた男性を邪魔だどけと言わんばかりに押しのけるその仕草からは、日本人には足りない強引さとバイタリティを感じた。写真を撮り終えると我々の写真も撮ってくれた。隣の日本人グループを押し除けていい画角で撮ってくれた。思いっきり逆光だったけど、そんなんことは気にしないみたいだ。この文章を書いている今、その写真はまだ確認していない。
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展望台での束の間の感動を終え、先ほど登った階段を降りる。階段はところどころツルツルしていて、途中で転びそうになった。集合時間まであと5分階段を降りて集合場所まで歩っていると、先ほどの中国人おばさんに遭遇した。なんかすごくテンションが高かった。島の看板とツーショットを撮って欲しいとのことで、快く撮ってあげた。するとまた、我々の写真も撮ってくれた。なぜかハグするまでシャッターを切らず、周りの観光客からの視線が恥ずかしかった。世界基準で明るい、テンションの高いおばさんであった。
再び船に乗り、帰路についた。帰りの夕日はとてもとても綺麗だった。船上で見たあの景色を忘れない。ただ先ほどの事件以降、船の運転手への信頼は揺らいでおり、私はわずかな不安感とともに綺麗な景色を心ゆくまで眺めていた。
船は無事停船場に付き、我々日本人一行は今朝のバンへと乗り込んだ。ここからまた一回の休憩を挟み、ハノイの中心部へと帰る。
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帰りはパーキングエリアに寄った。ここでフォーを食べられるらしい。バンの
中でチキンとビーフどちらにするか聞かれた。まるで小学生の遠足のようだ。食堂に入るとすでに調理されたフォーが準備されていた。テーブルは相席で日本人のカップルと一緒に座った。チキンのフォーは美味しかった。日本でもフォーは食べたことがあるが、本場の方が薄味に調理されている。空腹だったのですぐに食べ終わってしまった。視線を前に移すとカップルの女性はまだ半分くらい残っていた。少しお土産を見て再びバンに乗り込みハノイへ向かった。車内ではほとんどが寝て過ごしていた。私はAppleMusicでベトナムヒットTop100を聴いてベトナム文化を堪能していた。30分くらいするとハノイ郊外に辿り着く、相変わらず交通ルールはあってないようなものだ。そこから数分車は走り、各ホテルに送迎してくれた。我々の宿泊するホテルではバンの半分くらいが降りた。つまり、朝ほかの参加者を我々は待たせてしまっていたのだ。大変申し訳ない。
ホテルに着くと時刻はまだ20:30、我々は夜の街へと繰り出した。街は賑わっていた。その日はベトナムとシンガポールのサッカーの試合が合ったようだ。店の外には剥き出しのテレビが置かれ、観光客も交え観戦している。シュートが決まった時の盛り上がり方は尋常ではない。みんな子供のようだった。
我々は半外の店に入りビールを注文した。隣の韓国人観光客を見ると牛肉とシーフードをマーガリンで炒めた料理を食べ始めたところだった。同じものを注文した。ベトナム風のBBQらしい。ベトナム人の若い店員は丁寧に我々の肉とシーフードを焼いてくれた。マーガリンは多めに溶かして炒めるらしい。レモングラスのソースに炒めたものをつけて食べた。大変美味しかった。レモングラスのソースは買って帰りたいと思った。ただ、大量のマーガリンはできればもう摂取したくはない。
ホテルに帰る途中、街の中でも異様に綺麗なカフェBANNAでラテを買って帰った。店員は英語で親切に対応してくれた。ベトナム人は基本的に親切だ。
ラテの提供が遅かったためGrubタクシーの運転手を混雑した交差点で待たせてしまったが、運転手は嫌な顔ひとつせず(多分)我々をホテルまで送り届けてくれた。
もう曜日の感覚はなかった。服を投げ捨てシャワーを浴びる。ハノイの水は硬水らしい、髪がパサつく。
明日は観光最終日、旅はあっという間である。心地よい疲れと共にベッドに入った。外でけたたましく響くクラクションの音など気にならないのだ。
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3日目
ハノイの朝は曇っていた。12階の部屋から見下ろす街は霞がかかり、遠くまでは見渡せない。
ホテルの朝食会場に向かう。3日目ともなるとビュッフェ形式も慣れたものだ。どこに何が配置されているのかすぐにわかる。例に漏れずカリカリのベーコンを皿にのせる。明日はこのベーコンが恋しくなってくるだろう。他にもいくつかの肉料理と野菜を食べる。そろそろ白米が恋しくなってくる頃でもある。
朝食を終え一休みすると、我々はお土産を買うために旧市街の外れにある「ハノイ商店」という店にタクシーで向かう。ドライバーは親切に狭い路地に入った店の場所を教えてくれた。店内に入ると日本語とベトナム語で歓迎された。商品の説明は日本語でなされており、ところどころ日本の商品も陳列されている。2階には手作りのベトナム伝統の織物やハンカチなどが丁寧に陳列されていた。お客は現地に住む日本人と思しき人、日本人の観光客がほとんどであった。
そこでいくつかのお土産を入手し、我々は店外へと出た。少し歩くとカフェを見つけた。そこでお茶をする。ウーロン茶にクリームが入った飲み物を頼む。例に漏れず激甘だった。ベトナムの店には店員が多い、だいたい2、3人は暇そうにしているのが常である。雇用形態が気になる。我々にお茶を提供してくれた20代前半の青年も提供すると外に出てウロウロしていた。彼は本当にあの店の店員だったのであろうか。
店で少し休み近くにあるLotte Martに向かった。ここは、ブランド店がまとめられたデパートであった。お土産も先ほど買ったので、一通り周りトイレを済ませて出た。店員は暇そうにスマホをいじっていた。日本で同様の振る舞いをしたら多分その日のうちに首を切られるだろう。やはり日本人は勤勉な民族である。
再びホテルに戻ったのち、荷物を置き今度は徒歩でバインミーを食べに向かう。目的地は「BANHMI25」昨日のバスガイドが教えてくれた店である。定価より高いけど、お腹の弱い日本人や観光客にはおすすめらしい。我々は温雑した街を歩き始めた。ベトナムでの道路横断も慣れたものだ。クラクションを鳴らされながら、目的の店に向かう。途中、マッサージ店に立ち寄る。60分のフットマッサージを受けた。フットマッサージ自体は良かったのだが、その後のタイ古式風マッサージは恐怖を感じた。読者の中には東南アジアでマッサージを受けたもしくはこれから受ける方がいるだろうが、首のマッサージは個人的にはおすすめしない。最後のアンケートにはvery goodにチェックしておいた。
ベトナムには正式なマッサージの資格はあるのだろうか。
マッサージを受けた我々は当初の目的であったバインミー店へと向かった。
店の前は観光客で混在していた。そのほとんどが欧米系であったように思える。店員は若いベトナム人女性のみだった。日本で言うところのタピオカ屋のような感じであろうか。店員の一人がメニューを見ていた我々に話しかけてきた。おすすめのMixバインミーを注文した。待つこと10分丁寧な紙箱で提供された。空腹に負け写真は撮り忘れた。とにかく美味かった。日本でも食べたことはあるが、やはりベトナムといえばバインミー、心は激しく揺さぶられていた。もうひとつ食べればよかったと今になって後悔しているくらいには美味かった。
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その後、1日目のリベンジを果たすべくトレインストリートへと向かった。時刻はまだ17時ほどだった。トレインストリートに着くと電車の時刻まで3時間以上ある。我々はカフェに入りアールグレイティーと軽食をとった。
隣に座る欧米系の男女は何かPCで作業をしている。男はよく喋る。ナチョスを注文していたが半分以上残して帰ったのが印象的だった。それと、このカフェの店員は非常に真面目な勤務態度であったことも印象的だった。カフェで2時間ほど過ごした後、トレインストリートに向かった。
トレインストリートの露店でビールを頼んだ。さらに待つこと2時間弱、露店は観光客でほぼ満席となった。露店のベトナム人の店員たちは賑やかに戯れあっている。まるで子供のようだ。
観光客がさらに賑わってきた。そろそろ電車が来るようだ。線路に低い音を響かせて電車はやってきた。思ったよりスピードは早かった。ベトナム最後に良い景色を見ることが出来た。
ホテルに戻りベトナム最後の夜をすごした。
ベトナムでの数日間は非常に刺激的であった。
4日目
5時に起床してタクシーに乗り空港に向かった。
朝に弱い私にとって、5時起きは辛いがゆっくり寝ていると日本に帰れないので気合いで起きた。
30分ほどで準備をし眠い目をこすりながら我々は昨夜予約しておいたタクシーへと乗り込んだ。
ベトナムの朝はまだ暗く、生ぬるい風が吹いていた。昼間の賑やかな街並みとは対照的であったが、このベトナムも嫌いじゃない。
相変わらず謎の体操を踊るおばさんが散見された。
4日目にはホテルの朝食ビュッフェは恋しくなっていた。
30分ほどで空港に到着した。最後のシンカムオン(ありがとうございます)を慣れた口調で放ちターミナルへと向かった。
空港に着くとベトジェットエアのカウンターは長蛇の列をなしていた。
我々は気怠げな表情で列の最後尾につき、ダラダラと雑談をしていた。
腹が減ったので近くのバーガーキングでワッパーを買い、列に並びながら食べた。搭乗時刻ギリギリにチェックインし、すぐにゲートへと向かった。ゲートのスタッフに水を買ってきて良いか尋ねると半ギレで2分やると言われた。近くの売店でやけに高い水を購入し飛行機に乗り込んだ。
機内はほぼ満席だった。通路側に1人男性が座っておりすみませんと日本語で尋ねると、座席の上にしゃがみ道を開けてくれた。私にはこのような身体の柔軟性はない。飛行機は往路とは異なり、時間通りに出発した。
機内ではスパイダーソリティアをして過ごした。文庫本を持ってきていたことなど既に忘れていた。
先の通路側の乗客は最近では珍しいDVDプレーヤーを取り出すと、「小籔千豊のすべらない話」を視聴し始めた。15分くらいすると飽きたのか、総合格闘技PRIDEの映像の視聴を始める。さらにすこしすると、ビニール袋に無造作に入った沢山のDVDから10年以上前のバラエティを鑑賞し始める。
往路は心理的にか思いのほか短く感じられた。我々の乗る飛行機は高度を下げ、着陸の体制をとる。往路でも使用した耳栓を装着し、気圧変化に備える。
飛行機は私の故郷の上空を通過し、無事着陸した。
エピローグ
空港に到着した我々は4日ぶりの日本の空気を肺いっぱいに吸い込むと、スタバでキャラメルマキアートをオーダーし帰路に着いた。
帰り道食べた松屋の牛丼と味噌汁はいつもの三倍旨かった。海外旅行の後はいつも日本食の素晴らしさと奥深さに感銘を受け、大和の国の地に生まれたことに感謝する。
こうして、年末のベトナム旅行は無事幕を閉じたのであった。
海外旅行に行くと、この地球上で言語も文化も違う人々が懸命に生きていることを五感で感じることができる。地球がなんとなく狭く感じられる。
タクシーの運転手もバインミー店の店員も、もう会うことはないだろうが、どうか健康でいて欲しいと願う。