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土地の人格|『神と黒蟹県』に寄せて-2

「蝸牛饅頭っていうのがあってね。あ、ご存じない? 餡子がこし餡なんです。そこからして黒蟹のほかの自治体とは違う」

『神と黒蟹県』

まちの擬人化群像劇

県民性、という言葉に疑念をずっと持っている。都道府県の括りでもおおまかな同郷意識は付与できるのだろうけど、実際に住む人々のアイデンティティは、もう少しミクロな市町村や、県内でも海側、内陸部といったエリアの括りに宿っているように思う。福島出身なんですか!と二人が意気投合したとしても、浜通りと会津と分かれば土地の特性も郷土食も異なって、距離を詰めるスピードがほんのり減速するように。

「落雁派ときんつば派のことですよ。落雁は紫苑市、きんつばは灯籠寺市。どちらかの陣営に入って生涯反目しあうのがなんというかその、黒蟹人の宿命なんですが、薬師村は蝸牛饅頭のおかげで不毛な争いとは無縁です」
「なるほど」
黒蟹人の宿命などと当たり前のように言われても、なるほどとしか相槌のうちようがないのである。

『神と黒蟹県』

「(中略)紫苑市はどうなんですか?」
「じきにわかると思うけど、灯籠寺とは昔からの遺恨で仲が悪いし」
「お城と県庁の関係ですか」
「そうそう。あと紫苑市は鷹狩町とも合併するかどうかでさんざんもめたんだよね。本当はどうかわからないけど国体のとき黒蟹電鉄を鷹狩リゾートまで延伸する計画もそれで駄目になったとか」
「えげつないですね」
「紫苑市はわりとそういうことするのよ。だけど鷹狩町はリゾート開発で成功してお金もあるし、自分達のこと東京だと思ってるからちょっと、見下してるっていうか」
「東京と鷹狩、全然違いますよね」
「違うんだけどね。紫苑とはDNAが違うなんていうひともいる」
「ばかばかしい」

『神と黒蟹県』

隣り合う市と市が犬猿の仲だとか、エリアに性格を付して擬人化し、架空の人格どうしで親睦したり喧嘩したりする。地域を細かく切り分けて行う自治の副産物として、どうしても生まれる政治上の軋轢は悲しいものだが、ものものしい断絶に見える対立もクローズアップしていくと、その内部は同じような人間が無数に寄り集まっているだけである。土地の人格とはすなわち、マクロで見た時に初めて輪郭が捉えられる、スイミーのような可愛らしい集合体の幻影なのかもしれない。

よそ者の情報格差

「まあくだらないことだよねえ、落雁ときんつばで敵対したり、こし餡とつぶ餡でお互いを否定しあったりする。人間は心が狭いよなあ。車間距離とか動物の飼い方とか、なんだって喧嘩の種になるんだ」

『神と黒蟹県』

「黒蟹県の県民性っていうのはなんとなく知ってるんですが、薬師村の人はどうなんですか」と尋ねると、大日向氏は顔をくしゃくしゃにして笑いながら言った。
「人なんて変わんないよ。だって人は人だからね」

『神と黒蟹県』

くだらないと言いながら県民の宿命を大真面目に語ったかと思えば、人は人、と雑に結論付ける。じゃあここまでの話はなんだったのか、とよそ者は突っ込みたくなる。地域の外から来た者は、ローカルを理解し馴染むために、必死に情報を集めているのだ。しかし内部の人は、己の地元を相対化して語ろうとはしない。内部に居るかぎり、その必要がないからだ。

無関心でいられるのは地元の人だからだ。無頓着といった方が正しいかもしれない。よそ者はここがどこでどんな場所なのか、他の土地とどこが違うのかを気にせずにはいられない。関心を持たなくても平気で暮らしていける力が育っていないから情報で埋めようとする。

『神と黒蟹県』

結局、人と人

しかし、どこであろうとも、住んでみれば、根本的には何も違わないと分かってくる。知らない街というのは、一度も入ったことのなかったスーパーマーケットのようなものだ。

『神と黒蟹県』

そうして懸命に頭で考えて行動しても、詰まるところは大日向氏の言うとおり、人は人。九州男児だとか津軽のじょっぱりだとか、現代においてそんな標語は血液型占い程度の軽い話のタネである。自治体で配られた移住者マニュアルを穴が空くまで読み込むより、隣近所に菓子折りを持って訪ね回った方が話は早い。

ちなみに私は自分の故郷、埼玉県に対してなんの感情も抱けないことを少しコンプレックスに思っている。好きでも嫌いでもなく、それ以前に県全体のことを何ら知らないし知ろうとしていない、という無関心に端を発している。出身者でありながら、心理的によそ者なのだ。三ヶ日凡のこの言葉には、自分の感情の理由を言い当てられた気がしてどきっとした。所詮、人は人で、土地は土地。いつだって向き合う側に帰属する課題なのだ。

もちろん町に対しての好き嫌いというものはある。でも、好き嫌いの原因の殆どはその土地ではなく、自分自身の故郷との接し方や、恥の感情からくるものだと凡は思っている。

『神と黒蟹県』

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