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作詞の策士
私が一生付いていく覚悟のあるギターヒーローならぬワードヒーローは、山田亮一と田淵智也である。
山田亮一は書いて弾いて歌う捻くれミュージシャンとしての畏敬であり、
田淵智也は作詞作曲マンに加えてプロデュースマンとしての才気に慄く。
田淵自身がプレイするバンドでありながら、同時にプロデュースドバイ田淵なバンドであるのがUNISONだ。ギターボーカルの斎藤に歌わせる音域と音階と言葉のパズルの妙は、演奏者の特徴を最も近くで理解する彼が、第三者の眼差しを持って最良の演出を算段する営みである(と想像する)。ソングライター自身が歌う楽曲とこの点で一線を画す。どちらが優劣ではなく、バンド形態においては珍しいのではないかと思うのと、その距離感でしか演出できない「あざとさ」をひしひしと感じて、それが良いのだ。
あざとさのちょうど対極に在るのがBUMP OF CHICKENだと最近久々に聴いて思った。愚直で飾らない嘘のなさ。自分の中の純粋なものがまだ生きているのかを確認するためのリトマス紙として、大人になって以降も度々助けに現れてくれる。かつてBUMPを心棒してきた者にとって、年月を経てふたたびこの音楽に触れる時、自己の一貫性を確認するような感覚になるのではないか。聴いていたあの頃の自分と同じ自分が今ここに居るんだよな、そうなんだよなと、随分遠くまで来てしまったことに恐ろしくなる度に、過去と現在を照合してつなぎ留めてくれる旗としての存在。メロディフラッグ。
UNISONの音楽が虚構だと言いたい訳じゃない。策士な作詞作曲家のいたずらを音楽に膨らませて遊んできた、そんな三人が気付けば20年目、という軽やかさがたまらないという話。一方、どの歌詞にも共通する、同調を徹底的に疑い「お前はどうしたい?」と個へ問いかける姿勢は一貫してブレない。音楽では遊びまくり、発するメッセージの根っこは愚直。そこが田淵智也のことを信じられるポイントなのだと書きながら今解った。
作者のしたたかな思惑が、演者の笑っちゃうほど上手い技術と解釈で昇華されていく。中でも作詞作曲家と歌い手、二人の間に見え隠れするいたずらな視線、その共犯感に萌えてしまう。急に言語化を諦めて萌えとか言い始めてしまうのは、ファンとして対象と適切な距離を取り損ねているのだろう。好きなものを分析して論じようとするのは愛おしくて困難で歯がゆい。