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黒猫を飼いはじめたで書いてみた。フィクションです。人が死にます観覧注意。

黒猫を飼いはじめた。
実りの果実が落下したところ美しい亡霊舞い降りる形而上的な移ろい。

もう秋真っ只中のはずなのに昼間はめちゃくちゃ暑い。秋晴れなんて日とは程遠くどんより曇り空。
俺は何時もの道すがら気だるげに煙草を吸いながら派遣バイトへ向かう。年々物価も上がり仕事も上手くいかず続かない。その日暮らしの毎日に屈折した感情を持つものの鬱憤をぶつけるところもそんな勇気も無く、四面楚歌に感じるこの世の中にやさぐれた目をして歩いている。

行き交いすれ違う人の群れ。あいつらもあいつらも一体何がそんな楽しくて生きてるんだろう。別に死にたいなんてこれっぽっちも思ってないけど。ただ続くこの毎日に俺は限界に近い慨嘆が渦巻いてピタリと歩みを止めてしまおうかなんて頭の中に過るようになってしまっていた。もうすぐ駅だ。
今日も同じ時間に同じ電車に乗り同じ毎日だ。ふと雨がぽつりと顔を濡らす。最悪だ。傘を持ってきてない。空を見あげると、駅前の5階建てのビルの上に人が立っている。5階建てといえどそう高くないビルだ。ハッキリと顔も姿も見える。髪が長く黒いワンピースの女が屋上のフェンスを越えたギリギリのところに立っている。女の目がこっちを見た。彼女はこちらを見るが焦点はあっておらず何処か分からない空を見てるようだ。その目は何も映してないただ空虚。表情は苦しいも悲しいも何も読み取れない。薄く微笑んでいるようにも見えた。瞬時理解する。歩みを止めようとしている。自殺しようとあそこから飛び降りるつもりなんだ。「やめろ」そう叫ぼうとしたが声が出ない。
何故なら彼女はこの世界に自ら見切りをつけて、あそこに居るのだから。見ず知らずの俺が何を言える?彼女の空虚な瞳が俺を認識した。数秒かどのくらいの長さかわからない間俺と彼女の視線は重なる。深い闇が俺を捕らえ、それから彼女は薄く笑ったのだ。そしてこの曇天を背景にしてそこから飛び降りた。首から下げたネックレスについた翡翠石がきらり空中に浮かび、彼女は垂直に落下してゆく。俺はそれをただ見つめるしかできなかった。いや、目が逸らせなかった。

道行く人の誰一人気が付いてない。ぶつかるかも、いやそもそもそこまで高くない死ねるか?運が悪ければ後遺症が残って死ねないかも、現実的な考えも必要なかった。

彼女は死んだ。

その刹那俺の目に激痛が走った。
落下の拍子につけてたネックレス翡翠の石が地面を跳ね眼球にぶつかったのだ。クソッ痛え。片目が開けれない。だが死んだ彼女に責め恨む気も起きない。
俺の目の前にあるのは頭部からはおびただしい血液が流れているもあれだけの高さから落ちたにも関わらず肉体は不思議なほど損傷しておらずもしたらと近寄るが息はしていなかった。首がこちらを向いている。驚愕と恐怖と同時に息を呑む。清々しいほどに彼女は、彼女の死体は綺麗だった。

そこから俺は病院、警察、誰か知らない彼女の親族から事情聴取をされ見たままただ飛び降りたその様子だけを伝えた。そして損害賠償金としてしばらく目が治るまでの治療費と生活費、いくらかの額の慰謝料が入ってきた。皮肉なものだ。

そろそろ目も治って普通に仕事も出来る頃になって最後に病院に行った日、彼女の両親がそこに居て謝罪してきた。
「ご迷惑をおかけして申し上げありませんでした、あの子は昔から周りと上手く馴染めず何度か自殺未遂をしてて…何を考えてるかよくわからない子だった。あの日も公園に行くと家をでてそれで…」
「はぁ…この度はご冥福をお祈り申し上げます。それでは失礼します。」

そうしていつも通りの毎日に戻る。タバコを取り出し知らない死んだ彼女の事を考えている。多分俺と彼女は同類だった。昨日まで知らない女の生きてきた過去を思うだなんておかしい。頭を振り駅前の公園を通る。公園なんて普段は気にもとめないし、入らない。なんとなしに公園の中のベンチに座りぼんやりしてしまう。そこに一匹の黒猫が近寄ってきた。足元まで寄ってきてじっとこちらを見るその目が翡翠色だ。翡翠色した目の猫はにゃーとお腹を空かせているのか俺の足元の周りをうろつく。立ち上がりコンビニでカニカマを買って投げてやるとカニカマにがっつく、俺を警戒がちにちらっと見る猫。翡翠色のやさぐれた目だ。空は曇天でぽつり降り出した雨が猫の毛に落ちた。その奇妙な巡り合わせか偶然か俺は猫を連れて帰ることにした。
意外なほどすんなりと抵抗せず抱き上げさせ、そして黒猫との生活がはじまった。

黒猫と俺の相性は良かった。その日からオセロゲームのように黒の目は白い目にだんだん変わっていく。その日暮らしに変わりはなかったが帰るとはやく餌をくれと黒猫は何時も玄関で待っている。それが可愛かった。硬い毛も柔らかくなり季節も変わり寒い冬がきたら毛布に潜り込んで猫湯たんぽと一緒に眠る。やさぐれた目はあどけない目に変わり翡翠色のなかに俺が映っている。俺の目もどこか以前と違うように見えた。猫の寝床とか買ってやろうかな、あれだけ続かなかった仕事も猫の餌代やらなんやらで何とか続けれるようになり、家には猫のグッズが増えてゆく。食器も100均で黒猫のものを選んだり、服には無断着だが黒猫プリントのTシャツやリュックに黒猫のキーホルダーをつけるようになるまでに云うなら黒猫を溺愛していた。

そんな生活がまた変わった。
続けていた派遣バイト先で彼女が出来たのだ。きっかけは俺の付けてた黒猫のキーホルダーだ。
「猫好きなんですか?」
「あっいや黒猫飼ってて」
「わたしも猫好きなんですよ」
別に付き合うのが初めてとかではないにしろ俺はこの黒猫がもたらしてくれたであろう小さな幸せに浮かれていた、黒猫をより一層可愛がった。程なく彼女は職場も同じだということもありごく自然に俺のマンションに住むようになった。しかし猫が好きだと言った彼女は黒猫と相性が悪かった。

ふたりで映画や買い物に出たり外出することが増え黒猫は玄関で待つことをしなくなった。心配になり寝床に丸まってる猫を撫でてやるとにゃっと短く鳴いた。明らかに元気がなくなっているように感じる。
「彼女は眠いんじゃない?猫はよく寝るって言うし」と我感せず、だ。彼女とは猫がきっかけで仲良くなったけれど猫が好きだっていうふうには見えなかった。だけど一緒に居て楽しくないわけじゃないし、かわいいと思う。ある日彼女と仕事から2人で帰宅すると100円均一で買った猫のマグカップが割れていたのだ。「絶対黒猫の仕業だよ」彼女が言う。仕方ない。最近外出も多くなったし拗ねてるのかもしれない。猫のペーストのおやつをあげに行くと俺のベットで丸くなって寝ていた。その日は黒猫と一緒に眠った。人間の体温と猫の体温どちらが温かいか、俺には猫の体温が心地よかった。

クリスマスが近づいた頃街は色鮮やかなクリスマスツリーやライトで華やいでいる。今日は彼女の希望でクリスマスマーケットに行ってそこで割れたマグカップの代わりを彼女が買っていた。それは花の絵柄のマグカップ。段々と彼女の買ってきた食器や衣類や日用品が増えてそれから、そのかわり、黒猫の置物が壊れたりあげく黒猫ティーシヤツもボロボロに引っ掻いたように床に落ちていた。どういうことだろうか。こんなことこの黒猫がしてるとは考えにくいと思う反面、絶対にそうじゃないとも言い切れない。翡翠色の目を見てお前がやったのか?と尋ねるもにゃあとあどけない返事を返す。そもそも黒猫のものだけを壊していくなんて猫にそんな知能があるはず無い。
彼女は気味悪がった。「ねぇその黒猫譲渡したら?私が一緒に暮らして2ヶ月も経つのに懐いてくれないし…いろんなもの壊してさ…どうしてこの子拾ったの?新しい子猫見に行こうよ」
俺はこの黒猫を拾ったあの日そして死んだ彼女の事を思いだす。思い出すじゃない、こいつを拾った日から忘れることはなかった。
この黒猫の目に彼女と自分の影を重ねてたんだ。
「悪いけど手放すことはしない。様子をみよう。なるべく外出も少なくしてみよう」
「なにそれ!わたしより黒猫が大切なの?信じられない。」

はじめての喧嘩だがその間も猫はキャットタワーで眠っていた。真夜中ふと目が覚める、俺の部屋には黒猫が傍らに眠っている。彼女が居ない。トイレだろうか。
目が冷めてしまったので灯りをつけてなんとなしに部屋を見渡す。黒猫の時計、置物、パソコンの猫型マウス、全部壊れて彼女が買ってきた新しいものに変わった部屋。特にインテリアにも持ち物にも拘らないがなんとなくチグハグな部屋。違和感。
彼女が「あれ起きてたの?」と猫の餌を器にミルクを入れて持ってきた。
「わたし嫌われてるからせめて仲良くなろうって黒ちゃんにミルク持ってきた」
彼女は黒猫の前にミルクを置いている。黒猫は拾ったときからミルクが好きだったからすぐに起きて匂いを嗅いで舐めようとしたその様子を灯りの下で立ったまま彼女は凝視している。器が何時もの猫用と違う事に気がついた。白い背の高い器じゃなく黒いお皿だ。黒猫が黒のお皿に口を寄せる。はっと頭の中にオセロの目が一気に黒に変わる映像が浮かぶその同時に俺は黒猫を抱き寄せる。拍子にミルクが溢れてカーペットに染み込むと。白いミルクがくろく変色している。毒だ。
「お前、猫を殺そうとした?おかしいぞ。まさか今まで壊れたものも全部お前が?」
「私を疑ってるの?酷い!でも黒猫がいなくなれば良いって思った。だって私彼女なのにその黒猫の方が大切にされてた。人間より猫を可愛がるなんてあんたのほうがおかしいじゃない!?」

その夜を最後に彼女は派遣もやめて家に来ることは無くなった。

確かにおれはおかしいのかもしれない。人間の彼女よりこの黒猫を特別に思うなんて。

今日も同じ毎日で駅までの道すがらタバコを吸いながら歩く。あのときの俺のやさぐれた目と死んだ彼女の冷笑の中の深い闇と黒猫の翡翠色の目。それを忘れることができないのは囚えられているからか。彼女の死が魅せたそれが俺に生を与えている。

帰ると玄関で黒猫が何処までも魅惑的ににゃあんと鳴いた。

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