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イヤホンを外してみたら


ずっとイヤホンをして自分の世界に閉じこもっていた

病気の症状で小さな物音が怖かったせいもあるが、何かとイヤホンをして耳を塞ぐ機会が多かった私。
好きな音楽を聴きながら想像の世界をぐるぐるなんてことが日常茶飯時。
思えば現実逃避に近い感じだったと思う。
自分だけの安全な世界に逃げ込んでいる感じ。
それが片頭痛という一見ネガティブなきっかけではあったが、イヤホンを数日外さざるを得なくなった。

久々に聞いた気がする数々の音

鳥の鳴き声、雨の音、町の人の声、お祭りの練習の音、近くの学校から聞こえてくる活気ある声、水道の水が流れる音、包丁で野菜を切る音、お鍋が沸騰する音。
気づけばいつもは気にも留めていない音にたくさん気づいていた。
そしてそれがすごく尊いものになぜだか感じた。
その音たちを聞きながら過ごす方がなんだか地に足がついているような、今ここを生きている実感が得られるような気がした。
そして癒しや感謝、町の活気なんかも感じられた。それがシンプルに幸せだなって思えた。
イヤホンってなんか不自然なことしてるかも。
思えば当たり前のことに気づいた。
加えて幸せを感じる機会を逃しているかもとも思った。

私は自然とともに地に足をつけて生きていきたい

このイヤホンのことがあって、自然の音の心地よさを再確認した私。
今は自然とともに生きる、自然の一部として生きるが私の中でしっくりくるテーマとしてきていて、イヤホンは極力やめようと思い実行している。
今までは町を歩く時もイヤホンをしていたけど、もっと周りの音を楽しもうと思った。ウォーキングのときの音楽もやめよう。
その方がより自然を感じられて癒される気がするから。
音楽を聴きながら考え事をする癖がついていた私は、イヤホンをやめることで今ここにいられる時間が増えた。
マインドフルネスができるとやはり心地よい。
食事中のテレビやスマホをやめたらよりご飯の味に集中できる感じに似てる気がする。

今ある世界に感謝して1日を生きる

過去に色々と病気や逆境を経験してきた中で、私は生きているというより生かされている気がしている。
今日も朝目が覚めたのなら、今日もやるべきこと、使命があるんだと思っている。
今の私にとってそれはこのnoteでの発信や家族と友人と過ごすこと、行ったコンビニで店員さんにありがとうを届けることかもしれない。
もしくは家でゆっくり過ごしながらエネルギーを蓄えてこれからに備えることかもしれない。
純粋にこの世界を楽しむことかもしれない。
何にせよ今日もこの世界で過ごせることに感謝している。
どうせこの世界にいるならそのすべてを楽しみたいと思う。
そのために少しだけイヤホンを外してみよう。
世界が新しい見え方をしてくるだろう。

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