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【心の病】私はウサギ?それともオオカミ?


こんにちは、うなぎと申します
本日は、私の記事を開いて頂き、ありがとうございます

最近とあるnoterさんの記事を読んでいて、ふと気がついた事があるので
今回は、その事を記事にさせて頂きました


◼️うなぎのイメージ

ウサギ  →   寂しがり屋さん
オオカミ →   孤高の存在

彼らの一般的なイメージは、だいたいこんな感じだと思います(うなぎ調べ😅)
あしたのジョーの主題歌の歌詞にも「俺と来るやつは狼だ」とあります
しかし、オオカミは高い社会性を持つ動物ですし
ウサギには、独立心が強い個体も居るそうです(うなぎ調べ🥶)

ウサギとオオカミに与えられたイメージの力を借りて、記事を書いてみました

◼️振り返りをしてみる #1


まず私は、強い孤独感が要因の一つで心の病を患いました


同期入社は一杯居たのですが、私が配属された部門は同期が数人で
その少ない同期も、2/3ほど別の課に配属です
何やかんやあって、私と同じ仕事をする同期は1人も居ない状態になりました
「同じ釜の飯を食う」という事が無かったわけですね

最初は「いや、私しかこの仕事出来ないの凄いじゃん🎶
と、今からは考えられないポジティブ思考でした モチベも凄かったです

しかし、会社の集合研修で「✨🤣✨わいわいwww✨🤣✨」楽しそうに話す
他の部門の大勢の同期を見て、思ってしまったのです

「あれ、ぼっちじゃん......」と

学校と違い救いのある点は、集合研修が仕事である事です
グループワークで、1人あぶれる事がありません
そして、仕事の建前がある分、私には人と話すハードルがグッと下がります

仕事をしている間は大丈夫でした

仕事に殺されたんだが、生かされたんだか、よう分からんのがうなぎ人生です

もしかすると、他の人から見たら、私は一匹狼に見えたのかも知れません
しかし実態は、上手に仲間の輪に入れずに一匹ウロウロする野良犬でした

ジョーを思い返してみると、段平のおっちゃんを初めとして
彼の周りには大勢の仲間たちがいます
力石徹という、何者にも代え難いライバルも居ました
ボクシングは自分の全てを打ち込める唯一無二の存在です

あんなに強い彼ですら、支えてくれる人が大勢居たのだから、私は砕けて当然
だって私の人生は、どう考えても凡俗ですし、どう考えても私はモブだからです

(まぁ、不朽の名作の主人公と自分を比べるのは不毛な事だとも思います🤣)

◼️振り返りをしてみる #2


分析のために、もう少し私の人生を振り返ってみます

まず、高校時代の私は「その辺の石ころ🪨です
居るのか居ないのか分からないし、居たら居たで「どうでもいい」

これが高校時代の私です
空気と表現しなかったのは、空気が普段は意識しないけど必要な物だからです

その辺の石ころは意識しようがしまいが、基本的に不要と判断される物です
(クレヨンしんちゃんのボーちゃんみたいな変わり者から見たら違うかも)

後に、お伊勢さんへ連れて行ってくれる友達とは
大学のオープンキャンパスで出会いました
遠い所から来ていたので、当然、私とは違う高校に通っていました

入学後再会して、親友になりました
そして、他に友達も出来て、高校時代とは900度くらい違う生活ができました
特に卒業研究をする大学4年生は人生のピークです
私の周りに仲間が居た人生で唯一の時期です

私たちの面倒を見てくれた教授は、小学校に無償の出張授業をしていました
子供達に簡単な実験を通して、科学を教えていたのです
「これは、就活の履歴書に書けるかも」と、お手伝いすることに決めました
親友に、研究室の仲間も参加するし、と なかなかに狡猾だぞ、私🦊

当時の私は、人間関係が怖いのでバイトした事がなく、履歴書が薄かったのです
自業自得だぞ、私😤

小学校への出張授業は無事に終える事が出来ました
先生が「給食食べて行きませんか〜😊?」と仰ったので、ご馳走になりました
確かケチャップライスだったと思いますが、給食は凄まじく懐かしかったです

親友が「こいつ、ポッチャマ好きなんだぞ😎」と子供達に言ったので
「えっ、ポッチャマ?」「ポッチャマ好きなの?」「ポッチャマ!」となって
「う、うん。ポッチャマ好きだよ😅」と答えたのも何だか懐かしい

昼休み一杯、学校に居る事になったので、子供達とバスケしました
体育館の匂いは、どこの小学校も大体同じなのが不思議です

親友と、研究室の仲間たちは子供達と仲良くバスケしていたのですが
私は、それには入らずに、その様子を眺めていました

「私は、中に入らなくてもいい、私はここで眺めていられるだけで十分」

そう思ったのです

今の私が考えるに、当時の私が「一緒にバスケできる人間」ならば
会社の集合研修で「✨🤣✨わいわいwww✨🤣✨」する同期と
コミュニケーションを取れたかも知れません
私には、人の輪から、2歩も3歩も下がってしまう癖があるのだと思います
お酒の席も、大勢で騒ぐよりも、1人で静かに飲むのが好きですし🍶
今は、1人プロントでノンアルを頼んでポテトを食べると癒されます🍟

◼️今の私は?


10数年前、羽田空港第1ターミナルの展望デッキで撮影


金ピカ時代の私と暗黒時代の私を比較してみましたが
書いていて思ったのは、私が非常にめんどくさい人間だと言う事です
心の根っこに、孤独を愛する傾向と忌避する傾向が同居しています

ウサギかオオカミか?それとも野良犬か?
よく考えたら、彼らには該当しません
こんなにめんどくさい動物は私が思うに一つだけです
そう、人間ですね

今の私は、人の輪に入れなくても良いと思っています
心の病と向き合う内に、そう考える様になりました
病が治ったと仮定して、こう考えてみました

  1. 私は、大学時代のような「人の輪」の中で、これから生きたいのか?

  2. 私は、独り身を極めるのか?

  3. 私は、人と自分との距離を、適度に保って生きたいのか?

私の答えは「3」です
人の輪の中で幸せに笑う私は、アルバムに綴じました

私は、心の病と向き合いながら
適度な人との距離を模索する生き方を選びました
元々持っていた性格と、病の性質が合わさったのかも知れませんが
大学の頃の私のような生き方は、不可能だと思うのです

ただ、悲観する事はなくて、色々と経験したから
自分について理解が深まったのだと、捉えています

それこそ、街の占い師さんに手相と四柱推命(たぶん)で占ってもらった時に
「アンタ、木多すぎ!年1あるかどうかだわ🤣」と言われています
木が多すぎる人は、我がメチャメチャ強いらしいです🌳

思い当たる節が一杯あるのと「年1あるかないか」という
自分のレア度にびっくりして「そりゃ凄い😆」と逆に喜んだりしました
自分の苦しさを理解できるのは自分しかいないと考えて
心の病に向き合ってきたので、「アンタ、木多すぎ!」は、ドンピシャですね

我が強いなら、強いなりに人から2歩、3歩ひいて生きても大丈夫なのでは?
記事を書きながら、そんなことを考えています

noteでは、私と同じく「心の病」に苦しむ方の記事に
少しずつ「スキ」を押して、ひっそりと共感していけたらとも思っています

まぁ、そう言いつつ20日後には抑うつが復活してダウンしているかもですが🥶


ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました
失礼いたします

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