2024.11.10 準備の日

はぁ~。
疲れた。なんか何にもしてないのに疲れた。

誰かが『疲れたって言葉は、取り憑かれたが元になってるから言わないほうがいい。』って言ってたけど、

でもね、疲れたんだ。

私の仕事は、基本土日祝休みだけど
たまに土曜日出勤の日がある。

昨日今日は休みだったけど
今は父親のことで何かしら予定が入る。

冬にやりたくなかった大掃除ってのも
じゃ秋にやろー!って計画してたのに
全然できてない。やる気も残ってない。

こんな事言うと
お父さんが傷つくかもしれないな…
でも仕方ないのかもしれない。

誰が悪いわけでもなく
みんな平等に最後は来る。
この世に生まれた瞬間から約束されてたこと。

だけど人生ってのが
あまりに楽しくて愉快で爽快で、
たまにちょっとおもしろいものだから
みんな忘れてる。

それでふと気がつくと
あ!そうだった。
そうだよね、忘れてたー(テヘペロ)
って、気が付くんだ。

ただそれだけのこと。

人生は長いと思ってたらあっという間で
あっという間だから一日一日の今を大切に
生きようってよく言われてるんだよね、きっと。

でもほんとに
目的持って
逆算して
生きていく意識持たないと

ただただ、時間に流されて
生きていってしまう。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

この言葉、なぜか昔から好きで。
ちょっと意味は違うけど
『後悔ない人生を送って』
って言われてるような気がしてた。

父が不意なケガをしてから
一年と2ヶ月。

入院先の病院から意識障害のせん妄という
聞いたこともないような診断を受け
家族みんな不安と動揺で
あたふたしてた。

みんなの名前も覚えてたり忘れてたり
話してても途中で噛み合わなくなったり…
退院してからは自宅でみんなで介護のような
生活が始まったけれど

食事もトイレもお風呂も
一人じゃできなくて

必ず誰かのお世話が必要だった。
急に怒りだして罵倒して母と喧嘩のように
なってしまったり
誰かの疲れがピークになると
家の中が張り詰めた空気になってた。

家事と介護をほぼほぼ毎日休まず
してくれてた妹たち。
定期的に病院にも父を連れて行ってくれたし
デイサービスをお願いすることになった時も
必死で色んなところを探して比較してくれてた。

私は働きながら家にお金を入れて
手伝うことくらいしかできなかった。

でもどこかで外で働かず
父のケアと家の事
(洗濯・食事・買物・掃除・病院など)
を中心にしてくれてた彼女たちを羨んでた。

働きもしないで。って。
どこかで比較して
悔しくて
ズルく思えて
苦しかった。

お父さんのことも家の事も
全部やってくれてるじゃん!
ありがたいじゃん。感謝しなきゃじゃん。
頭ではわかってる。でも『つもり』だった。

そんな気持ちが溢れた日
大きな口喧嘩を妹とした。

デイサービスに持っていく
お風呂あとの洋服と下着の準備を
してバッグに入れてて。と妹に頼まれた私。
でもどこにバッグがあるのかも
どの服とどの下着を入れればいいのかも
わからなかった。

私のしてるつもりの介護も
まったくやってなかったに等しく
この時まで、私はやってあげてる。と
どこか上から目線の立場でいたけれど
実際は、なんの力にもなってなくて
無力な役立たずの長女でしかなかった。

服と下着とバッグのありかがわからないことへの
気恥ずかしさと
なんで教えてくれないの?
という逆ギレ的な感情が
入り混じり

私『どこにあるの?!』
と、つっけんどんに大きな声で尋ねた。

妹『はっ?なんでわからんのー!』 
妹も疲れのピークだったんだろう。

介護と家事で疲れ切ってるのに
なんで何にもしない(手伝わない) 
あなたのことまで
世話しなきゃいけないの?
と言わんばかりに。
今となっては
この時の妹の気持ちが想像できるけれど

この時私は、まったく理解もできず
気がついたら怒りと感情に任せて
すごい剣幕で泣き叫んでいた。

私『私だって頑張ってるんだよ!
〇〇(妹)はいつになったら働くの?!
いい加減家にお金入れてよ。
家の事するのがそんなに偉い?
私だって毎日仕事してるんだからね!』

まるで毎日家庭を守る専業主婦と家庭をかえりみないサラリーマンの旦那さんとのすれ違いに起こるような喧嘩のようだった。

妹『は?私は今家事と介護してるから働けんじゃん。』

私『そんなのみんなで話し合って決めればいいじゃん!』

ここからはもう記憶にありません。
泣いて、怒りで、知らず知らずに溜まっていた心の奥から溢れた気持ちが止まらず、、、
長女なのに何もしてなくて
できなくて妹より劣ってて
そんな自分が惨めで、情けないのもわかってるのに
言わずにはいられなくて、それも恥ずかしくて
悔しくて。。。

あとから
仕事をしていてこの時その場にいなかった母は
その日の夜、妹が一人泣いていて寝ていなかったことを不思議そうに、なんかあった?と私に尋ねてきた時、本当に悪いことをしたと心が痛みました。 

次の日
私『〇〇、ごめんね』
と一言だけ、精一杯の一言を伝えました。
感情を込めずにサラッと言ったので、
たぶん冷たく聞こえたと思います。

妹はフンッと鼻で笑って去っていきましたが、
言えて良かったなと思いました。

人は一瞬一瞬、今という時間しか生きられないから
だから後からあれこれ思っても
絶対もとの時間には戻れません。

ありがとう。も
ごめんね。も
伝えたいタイミングは
逃しちゃいけないんだなって。
学びました。

そんな介護生活も
終止符を終え
病院に入院することになり
入院中、父の免疫力が下がったことによる
肺炎2回目、尿の感染症、コロナ、等々、、、

様々な波が打ち寄せては引いてを
繰り返し
ついに危篤の連絡が
先日入りました。

家族で代わりばんこで看病を続け
何とか持ち直してくれたけれど
やっぱりあの日も近づいてきていることは
確か。

誰もが覚悟するお別れのその日。 
 
考えたくもないけれど、
ちゃんと心の準備もして
きちんと気持ちを作って
みんな心残りのないように
感謝でお別れできるように。
 
そう家族で話し合い
昨日今日と
さよならするところを見て回り
式場の形式や予算、流れなど
細かく教えていただきました。

帰りの車から見る
外の街を歩く人、みんなみんな
一人一人、最後のその日がくるだなんて。

当たり前のこと
そう言ったらそれだけなのかもしれない。
でも私は驚きでいっぱいでした。

親に家族に職場に上司に友達に
甘えきった人生だった頭を 
ハンマーでカーンと殴られた気持ちで
初めて見る光景のように世界が違って
見えました。

こうやって、人って人を想う気持ちを
知って自分を作っていくんだな。。。

私は最後の日をどんな形で
迎えるんだろう。

いや、どんな風に迎えたいんだろう。
病院のベットの上?
施設の中?
自宅?
愛した人のそばで?
南の島の楽園で?

皆さまは
人生の最終章は思い描けていますか?

私は今晩は
幸せいっぱいな最後の日を
イメージして
休みたいと思います。

おやすみなさいませ。
2024.11.10.夜中23:21

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