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絶対にやめないと…だけど…

妻の病気は肺疾患が1番重い状態です。
※たばこの事を書こうと思っていましたが確定診断などの経緯などを書いてしまう内容になりました。

昔からたばこを吸っていて調子が悪くなる3ヶ月前に禁煙しました。

しかし調子が悪くなりすぎて体は思うように動かない、時間の流れは止まったかのように1日が過ぎるのが異様に長く感じる程に凄まじい闘病が始まりました。

内容についてはとても長くなるので今回とはまた別の機会で書こうと思います。

たえられないほどの内容が次から次へと襲いかかってきて安らぐ間もなくてやめていたタバコに手が出てしまいました。

最初の内は否定的でしたが僕から見てもどう考えてもこんなものはたえられるものではないという思いが強く数分の平穏がそれで訪れるならというように思い了承しました。

この時はまだ肺疾患など何もわかっていませんでした。

しかし体に良くないのは変わりません。

変わりませんがたえられるものではないと判断しているので仕方ないと無理に思うようにしました。

その後肺疾患が確定したのですがやめてはくれません。

やめるどころかどんどん増えていってしまう時期もありました。

この肺疾患の中には2つ難病があり1つは肺高血圧症、もう1つは間質性肺炎です。

どう考えても即刻やめなければいけません。

やめなければいけないけれど好きで吸ってる、落ち着いて気が紛れるのはこの時だけなど言われるととても強くは言えずに本数減らしてね、今日は吸いすぎだよなどしか言えません。
やめないとだよと言うのは頻繁に伝えています。

肺高血圧症は混合性結合組織病からの合併症で発症しました。

間質性肺炎もですが数年前に膠原病疑いでのステロイド大量パルス療法とエンドキサンパルスの治療を行なっておりこの治療の副作用の可能性も否めません。エンドキサンは弱いとはいえ抗がん剤です。がんに対しての治療ではないので免疫抑制剤と言った方が正しいんでしょうか?抗がん剤と言ったところ医師に怒られてしまった経緯があります。

僕は妻の事がとても心配でよく質問してしまいます。それで担当の先生は何度もイライラしていると思います。

イライラの限界でそう言われただけなのか抗がん剤と言う言い方がおかしいから抗がん剤と言わないでくれますか?
これは免疫抑制剤ですとかこのエンドキサンを行なう行わないを決めるのはあなたではなく病院側が決める事だからやめるやめないの決定権はあなたにはありません。
何も知らない素人がしゃしゃり出てくるなというような表現をされた事もあります。
確かに医学部も出ていませんので知識は低いです。

知識は低いですしネット検索での結果を鵜呑みにしてしまう部分もあるでしょう。

それでも僕は思った事があります。

僕にとっては1人の妻でとても大切な命です。

その大切な妻にこれ以上は少しでもつらい思いはさせたくなくてただただ言われるがままにエンドキサンパルスを何度もし続けるのにはとても抵抗があったからです。

混合性結合組織病からの肺高血圧症、間質性肺炎に対してのエンドキサンパルスの有効事例もですが、今までの治療人数の対象者があまりにも少なく本当に効いているのかどうかも定かではなくとりあえずはやっておこうという流れがあるだけで確固たるものがない治療だという事が日本や世界の論文を読み漁る事でわかりました。
最近の論文ではエンドキサン以外の抗がん剤での有効度が確認された事例なども少しずつ出てきています。

少し話は戻しますがこのエンドキサンは素人の僕からすると抗がん剤という認識になります。
分類としては抗がん剤であり抗がん剤の効果(副作用として免疫抑制の効果が出る)のであって抗がん剤じゃないの?と思ってしまいますしそこにとても強く当たられたのはなんなのか…となりました。
乳がんなどにも使われる昔からある抗がん剤でエンドキサンとネットには出てきます。
この表現は悪いのでしょうか?
このエンドキサンパルスの治療はもちろんがん患者さん専用の点滴のスペースで受けています。
ただイライラさせてしまっていたので素人は黙ってろという威嚇のようなものだっただけなのでしょうか?

僕に決める権利は当然ありません。
妻の病気です。
妻は自分で調べたりなど精神疾患もひどく出来ません。
抗がん剤の副作用なども何も知りません。
言われたままに治療を受ける事しか出来ません。

その分も僕は徹底的に調べ妻を思って妻のかわりに抗がん剤は今日で3回目(数年前の1回は除く)なのですが、抗がん剤をし続ける意味はあるのでしょうか?と相談したくて質問しました。
言われた通りにしたくなく疑問に思って質問しようと思ったのは以下の理由からです。

肺高血圧症と間質性肺炎があるが間質性肺炎に関してはそこまで増悪しておらずかなりの初期段階であること。

混合性結合組織病の内の強皮症に関しては、強皮症のみの患者が肺高血圧症、間質性肺炎に対してのエンドキサンパルスは有効度がとても低い結果になる事がわかっている。

混合性結合組織病からの合併症での肺高血圧症、間質性肺炎に関しては比較的に有効度が高めな事が多い

今回の妻の増悪は混合性結合組織病の3つの疾患の内の強皮症が強く出ている

全身性エリテマトーデス、皮膚筋炎の症状は強く出ておらず熱なども出ておらずCRPも高くない

間質性肺炎の増悪には比較的効果が認められているエンドキサンだが肺高血圧症には曖昧

間質性肺炎がかなり初期で急性増悪もしていないので対象は肺高血圧症に対してのエンドキサンパルスのみと捉えても不思議はない状況

右心不全がある状態で抗がん剤の中でも毒生は弱めとはいえ心毒性が少なからずあること

抗がん剤の影響で白血球などにも回数を繰り返す毎に血液検査での数値がよくない状況になりつつある

抗がん剤を使える限界量は決まっているのであまり効果がないのであれば少しでもここぞという時のためにも確証がなく説明出来ず効果の判定が現在出来ないのであれば停止してほしい。

使えば使うほどに後から副作用がひどくなる可能性も考えられます。

使用する事によって間質性肺炎増悪、悪性リンパ腫など数えだすとキリがありません。

内容が内容なので何も有効度が示されていないじゃないですかなどの押し問答を仕掛けようともしていませんでした。

先生にだってわからない未知の分類なんだなと世界の論文を読み漁りわかったからです。

こんな理由があるので相談したかったんです。
素人だけど誰よりも妻の事を心配しているのは僕です。
したかった質問の前までは誰よりも混合性結合組織病、肺高血圧症、間質性肺炎の事を調べたと思っています。
たくさんいる患者の1人の1つに対しての事例にそう時間を割けない事も理解しています。

全体的な知識はなくてもこの部分だけは勉強しました。

腹を割って話がしたくて正直ここからは効果はわからない、それでも今はこの治療法しかないし有効かなというところまでは来ている、右心不全もありこの治療はリスクも当然あるけれどやらない選択肢よりやる選択肢を選ぶ方が良いので続けてみませんか?

そこまでわかっているのなら停止する判断もありかもしれない。
それが良い方向に動くのかなどはわからない部分が多すぎる問題なので何とも言えないがその考え方も間違いとは言いきれないのが現状なのであなたたちの意見を尊重します。

はっきりと言い切れる根拠を示せない問題なので根拠を求めるのは酷です。
先生の考える答えを聞きたかった。
ただそれだけでした。

その場は叱られるかたちで終わり治療を受け、次回の4回目の前には先生からこれで一旦やめておく?
だけど増悪したらまた始めるからその時は問答無用だよと伝えられました。

先生の言葉が聞けたので一旦やめとこうという判断になり4回目の治療を終えて今は停止中になります。

通常なら5〜6回ほどはするようです。

この問題をいろいろ考え続けていましたが

エンドキサンしない群
エンドキサンした群

希少疾患のため少ない情報しかありませんが統計ではどちらも生命予後があまり変わらないようです。

妻の疾患に対しての感染症からの肺炎は想像を絶するほどに致命的であり調べるのも嫌になるぐらいの内容でした。

生きながらえたとしてもQOLにとても重大な影響を与えます。

確定診断になる前の数年間は全身性エリテマトーデスを疑っていました。

そこから違うのでは?と個人的に疑問を抱き続けてきました。
妻の訴える症状が肺高血圧症や心不全の人が訴える内容と酷似してきていたからです。精神疾患でも同じような症状があり先生は精神疾患からだよと言われ続けていましたが発見しづらく、全身性エリテマトーデスをメインに疑っていたのもあり相当難しい問題だったと思うので発見が遅れた事に関しては誰よりも妻をそばで診ている僕がもっと先生に強く訴えられなかった事が大きいと思っています。
結局僕も先生が精神疾患からでしょうという繰り返される言葉に精神疾患からなのかなぁと思うようにもなりましたし妻もそうでした。

それととてつもなくこの気持ちが発見を遅らせてしまったと思っています。

それはまだ膠原病とすら確定されてもいない中で大切な妻が肺高血圧症なわけがない。
肺高血圧症の前に膠原病と言われてもないし肺高血圧症になった妻を想像もしたくなかったからです。

そう考えるのはネガティブであり精神疾患がきつく出ていて、精神疾患てこんなに体もきついものなのかと考えて、精神疾患からの症状だから苦しいに変わりはないけどそんな病気じゃないと思いたかったからです。

そう思いたいけど日に日に悪くなる。

歩く距離は縮まる。

トイレに行くのもままならないものなのか?さすがに慢性疲労症候群でもない限りこんな事はないんじゃないかと思い次の外来まで待ってられないし精神疾患だと言われたって関係ないと思い救急車を呼びました。

酸素濃度正常

心音正常

肺のバリバリという音も聞こえない

精神疾患持たれてるんですよね?
異常は見当たらないように見えますがと伝えられました。

苦しそうにしているのはわかるけど酸素濃度は正常ですしと。

間質性肺炎が増悪していたら酸素濃度も低く呼吸時の音なども異音がするのでしょう。

僕には間質性肺炎という頭がまずありませんでした。

頭にあったのは肺高血圧症ただ1つです。

先ほど伝えましたが無理やりこれは精神疾患からのつらさだと思うようにしていましたが本心では肺高血圧症を疑っていました。

血圧が正常とも伝えられていましたが肺高血圧症にそこは関係ありません。

酸素濃度も年数が経てば下がっていくのは理解していましたが初期の頃などは酸素濃度があてにならない事も調べてわかっていました。

ご主人の言う肺高血圧症だとしたら海に溺れ続けるような苦しさですよ?

もっと苦しんでてもおかしくはないし酸素濃度もという判断だったんでしょう。

様子見を推奨され正直やはりそうなのか?僕自身そうであってほしいしと悩む時間もありました。

悩みはしましたがどうしても納得出来ずにやり取りが続いてしまいそれなら近くの病院へ一度行きましょうと伝えられました。
土曜日なのも少し躊躇いがあるのも隊員さんを見ればわかります。

かかりつけの病院は大学病院であり家からは少し離れていましたがどうしてもかかりつけの病院にしてほしいとお願いし少し時間がかかりましたが病院側も了承していただき向かう事が出来ました。

流れ的に様子見が強くなりだした時に1人の隊員さんがそれでも心配であれば行くべきだと言ってもらえました。

それがなかったら様子見でさらに遅れてしまったのかもしれません。

病院に着いたもののお願いだから精神疾患からの体調不良だと願い続けました。

だけど検査後におかしな質問をされたりと不安は増すばかりでいつまでも結果は出ません。

妻は疲れていて記憶も定かではない状態です。

そこで告げられた病名は
指定難病混合性結合組織病
指定難病肺動脈性肺高血圧
間質性肺炎
心不全

目の前が真っ暗になりわけがわからなくなりました。

すぐに我を取り戻しその後は部屋を飛び出して泣き喚きました。

妻が次の検査があるからと運ばれて行きました。

そこで先生に当たってしまいました。

なぜいきなり2つの指定難病を告げられなければいけないんだと。

前回までは何もない、ここから2つの指定難病ってどうゆうことなんだと。

もっとはやくに混合性結合組織病の確定診断を出せていたら肺高血圧の疑いを高める検査や観察になったんじゃないかと。

肺高血圧が発覚したので混合性結合組織病という流れは明らかたったからです。

数年前は全身性エリテマトーデスでの疑い入院、全身性エリテマトーデスではなくこれは混合性結合組織病の方が疑いが強いのでは?という質問を何度かした経緯があります。

返答はもちろん何も確定していないので混合性結合組織病も疑っている、けれども何度も言うが膠原病ではない、何かあるかもしれないが精神的なものだと思う方が現実的でもあるという解答が多かったです。

確定診断を出すには様々な項目が必要なのは理解しているのですが膠原病ではないという表現は患者にとって嬉しい言葉でもありますが危険な言葉でもあると思います。

この問題はその他にとても複雑な経緯がありとても困難な問題で難しい判断になるのは仕方なくどうしようもなかったとも言えます。

全国的にどう伝えられるのかはわかりませんが膠原病疑いがあり通院、入院されているという場合は項目に当てはまらないだけで免疫異常を起こしている事に変わりはないんじゃないでしょうか?

とてもつらいのに確定診断されない…
これは項目を満たしていないので仕方ないです。
項目を満たしていないから膠原病名はつかないけれど今後膠原病と確定される要素はあるから気をつけましょうと伝えられている方が早期発見に繋がるんじゃないかと思います。

しんどくてつらくて受診しても膠原病じゃないよと繰り返し返されると行っても返されるし行かないってなってくるのは自然な事だしそういった人々は今度は我慢してしまいます。

そうなるととてもたえられない状態になり行ってみるか救急車で運ばれ入院です。

1度目の確定診断は入院レベルで増悪していない限り確定診断に当てはまりづらい内容にも問題はありますがしんどかったらどんどん来てくださいというような方向へ全体的にならないと本人さんにとっては生死をさまようほどのつらさまでなってからの措置になってしまうんじゃないでしょうか?

西洋医学ではなる前の予防よりなってからの治療がメインです。

東洋医学にはなる前の予防などたくさんあり医師もそこを目指します。

商売的にもなってから手術、治療薬という流れもあるでしょう。

医師は先生でありある意味医師の言うことは絶対だと…特に高齢者の人ほどそう思う傾向が強くあります。

インターネットの普及により自分で調べて何かを言ってくる人が増えだした。

医師からするとやりづらく効率は悪くなるでしょう。

もちろん素人なのでわけのわからない発言や的を得ていない内容を押しつけられる機会も増えてしまいます。

それでも一昔と違い情報社会になっているので昔のような医師の言うことは絶対という考え方から話し合いなぜこの治療なのかという説明の時間などは増やさなければ患者と医師の隙間は広がる一方だと思います。

日本なら特にその傾向は強いかもしれません。

何も言わないだけで情報社会の現在というのは患者側は医師が思っているよりとても調べ疑問を抱いています。

患者本人が調べなくても家族や友人が調べ伝えるので何も知らないと考える方が都合が良すぎるのです。

限られた時間や人手不足な事も重なりとても重労働で大変なんだろうと思っていますし省略も仕方ない部分もあります。今のままではですが。

口頭の説明は出来なくても電子説明書でスマートフォンでアクセスすればなぜこの治療なのかなど、他の選択肢やリスクなど詳細に記載されていれば省ける事も多いのかもしれません。

事務が膨大な仕事量になりますが一度構築してしまえば先生方もとても楽になるかもしれません。

質問や不安が増え、高齢者も増えている時代で現場の先生は数を捌かないと行けません。

ハードワークから逃れられる術はありません。

先程のは何の考えもなく言った発言で現実的に不可能かもしれませんので単なる1例です。

最終的に何が言いたいのかというと先生に余裕が出来ればもっと早く発見してもらえたかもしれないという点からになります。

冷静じゃない僕にとっての怒りの矛先は先生に向かいます。

大切な妻の病気の発見をもっとはやくにしてもらいたかった。

わがままも入っているでしょう。
それでも僕には妻はただ1人の大切な人です。
大切な妻をもっと苦しめずにもっとはやく見つけていれば寿命も伸びただろうし今現在の苦しさはまだ数年先だったのではないか?

そう思うとどうしてもこの感情が出るので本心でしょう。

冷静に、客観的にみる必要などありません。

それでもやはり思う事があります。

大切な人がこんな思いをした事

僕はとても心を痛めていてもっとはやく見つけられなかったことをとても責めています。

他にも大きな事情がありそれが重なり責め続けています。

この問題に関しては責め続ける事をやめる事はないでしょう。

責めることをやめる事は許さない、人に何を言われようが許さない思いです。

人はとてつもない心の痛みを知るとこの痛みは他の誰にもしてほしくないと思うんだと思います。

自分が不幸だからあの人も不幸になればいい!

自分ばかり責められたからあの人が今責められているのは爽快だ!

このように様々なケースで自分より不幸な方を見たくなったりする気持ちというのは誰しもが抱いた事はあると思います。

自分がパチンコで負けた台に座られて出されるととても不快だしあなたも負けろ!のようなものでしょうか。

こういった感情は一時的なものの事が多くストレス発散的な部分が働いている事が多そうです。

特に人の生死に関わる問題だと本当にこんな思いはしてほしくないと思うものなのです。

このつらさは経験しないとわかりようがありません。

こんな経験する必要がない、してほしくないと思うので経験された方々はその事を訴えのです。

こんな思いをしてほしくないという家族を亡くされた方々の言葉は綺麗事でも何でもありません。

他人の事なんかそこまでと思うこもしれませんがそれほど心の傷は深くて底が見えないものなのだと思います。

今の僕には隣に妻がいてくれています。

それでも心の傷は深く底が見えていません。

予想外の出来事での場合本当にきついです。

甘く見ていた自分を責め続ける人生になるのは何がきっかけかなどわかりません。

最後にケンカで言い合いになってから偶然の事故で…
偶然かもしれません。

それでもケンカ別れした本人さんは心の中で自分を責め続けるでしょう。

偶然が重なる事もありますしそれを常に気にする事など疲弊してしまうし楽しい人生ではなさそうです。注意するのは良い事なので極力すべきだとは思います。
それでも楽しさは減りますよね。
そんなことばかり気にして出掛けていたらしんどいです。

事故だけでなくこのような偶然を極力減らしていく活動で未然に防げたかもしれない事案がたくさんあるのではないかというところが重大な部分でありその偶然を可能な限り減らして苦しむ人を減らしたいという強い思いを持っています。

この活動はとても少数の人が行われています。
少数なのでなかなか浸透もしないのも現実です。

もっと少数になる事を願って活動しているので少数になるのはとても良い事だと思います。

それでも少数ではどうする事も出来ない事がたくさんあります。

この経験をされていない多数の人は一時的には感情が出たとしても結局は他人事の1つに過ぎず一時的に出たつらいだろうなと思う感情はとても薄れていくでしょう。

薄れるのは悪い事ではありません。

指定難病や身体障害者、知的障害の人、予想していない事故でつらい思いをしている人々、全部合わせても少数です。

この人達が動くよりも多数いらっしゃる健常者の方々がこの問題に本気で取り組む事が出来ればどんな世界になるんでしょうか?

社会的に苦しい立場の人達やこのつらさは理解しようがないがつらそうな人を減らして行こうというあたたかい思いで溢れた世界になってくれる事を望んでいます。

あ…たばこ問題から話が飛びすぎてぃすね…
悪いクセですすみません!

たばこは本当にやめてほしいです。
やめる事により多大なストレスを与えるのであればという悩みがあり強く言い続ける事は出来ていません。

結果論としてみるなら何が何でもやめさせるべきです。

せっかくやめてもらったのに予想外にの事態になれば顔向け出来ません。

好きに生きる、今を生きるを優先してもらうという事に何かを強制的にやめてもらうというのは意に反している気がしてならない

ストレスは膠原病にとって最大の難敵だと考えている自分がいて精神的に厳しい妻にとってこれ以上ストレスを与えてしまうと逆に悪くなるのではないかと恐れている

自分の意志でやめたい、家族と少しでも長く元気にいるためにと自発的に思って動いてもらうのを待ちたい

こんな理由で強くも言えずにぶつぶつ言う程度になっています。

僕が出来る残された事ってストレスを最小限に減らしてもらうにはというところなので頼りないですがこんな状態です。




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