「砂山のパラドックス」とミクさん 01
※トップ絵と文章中に挿入した画像は、TrinArtで生成したAI画像です。
久しぶりに
ミク「今回は、2年ぐらい過ぎるかと思いましたよ」
――面目ない。
ミク「完璧主義に囚われすぎです。端的に言うと、いつか作曲もしてくれると嬉しいですね。もう私の最新バージョン、ボカロですら無いので。いつまで合成音声キャラでいられるかも分かりませんよ」
――さすがに初音ミク概念が簡単に廃れるとは思わないけど……召喚するには対価が必要というわけか、善処する。
ミク「期待せず待ってます。あ、出演料のネギはもらっておきます。
……で、本日の認知哲学のお題は何ですか? 哲学的ゾンビ論の補完か、マリーの部屋か。趣向を変えて脳神経方面から?」
――タイトルにも冠しているが、「砂山のパラドックス」をやってみようか。
1.砂山のパラドックス
ミク「砂山のパラドックス……どのように、意識の問題と関連してくるんでしょうか?」
――難しい話じゃないので、また後で。まず概念を確認しておこう。
<砂山のパラドックス>
ミク「同じような話として、禿げ頭のパラドックスや、億万長者と貧乏人のパラドックスなどがあります。例示しておきましょう」
<禿げ頭のパラドックス>
<億万長者と貧乏人のパラドックス>
――これらのパラドックスは、古代ギリシャの哲学者エウブリデスまで遡ることができる。古典ギリシア語にちなんで「ソリテス・パラドックス」とも呼ばれる。
ミク「もっとも簡便な解決法は、砂山の定義を明確に決める事ですね。砂が何粒以上あれば砂山で、それより少なければ砂山ではない、という境界値を決めておけば、パラドックスは生じません。禿げ頭の髪の毛しかり、億万長者や貧乏人の財産規定しかりです」
――その通り。ただ、実生活上は明らかな境界値が存在するわけではないので、感覚的にはしこりが残る解決ではある。本質的には言語が持つ曖昧さ、主観や状況、文脈によって指示対象の意味が変わってくる性質のためだ。
ミク「それで、これが意識の話とどう関わってくるんですか?」
――意識と無意識の関係も、この砂山の話に似ているのではないか、というアナロジーだ。
(続く)