23の誕生日を祝ってくれた人は一生モン
上京した初日の日。
部屋は空っぽで電気は通っていない。
お母さんと阿佐ヶ谷駅に降り立ち
新生活への引越しを手伝って貰った良い思い出だ。
初日の日。
ご飯買ってくるねって言って家を出ていったお母さんは、
こっから〇分のところにコンビニがあって、図書館があって、公園があって、、、
って話してくれた時は、何となくの愛を感じた。
次の日。
東京の街を歩いていて
色んなお家があるなぁって。
10年前のあの頃の俺じゃ何も気づけなかった。
ここに住めば、10年後の俺なら物知りになっているんだろうってワクワクしてさ、
お母さんのように愛を与えられる人になれるんだろうって。
大切な人ができて、東京の住宅街にあってもジブリのトトロに出てくるような、大森林の家に住めたらなって。
こういうお家って憧れでとても素敵だなって言ってたお母さんへの最高の恩返しになると思うから。
自分を知る
ということが何よりも難しいと感じている今日この頃。
自分に合った仕事、生活、洋服、住む場所。
一貫性を持つことや継続することの善行を
良しとする風潮にきっと私たちは、
自分を知る、その先の自分らしさを得ることは
容易ではないと思う。
新卒で入社した会社が合わない、
引越し先は、駅まで遠くて思ったより不便だ、
ストリートで着こなしたいけど背丈が低く野暮ったく見えるので難しい、
などと言ったことが人生では多々あって悩みは絶えない。
けれど、たくさんの失敗という名の模索や追求を経て40代、格好良い自分に出会えると思っている。
よく、友達の悩みを聞いていると
好きなことが分からない、見つからない。
好きになれる人がいない、出会えない。
将来の夢がない、不安だ、分からない。
ということをよく耳にする。
それを言う人たちへ
1番に伝えたいのは、
『街を歩け』
ということ。
東京の街を歩いていて
意外と綺麗だなって、
街から醸し出している匂いや雰囲気が
なんだか心地いいんだなって。
そのとき、あっ自分って
こういうのが好きなんだって。
そう、思える瞬間がチャンスで見逃してほしくない。
自分は小さい時からサッカーをしていた。
四六時中、お父さんとサッカーについてPDCAをまわす日々を過ごしていた。
プロサッカー選手になるために、
家の中をドリブルで移動し
登校はつま先で歩いて
海外サッカー観戦をして
体幹トレーニングをして
全ては、23歳になったときプロサッカー選手のしている自分を叶えるためだった。
しかし、人生は甘くない。
大学生でプロサッカー選手を諦め
23歳になった誕生日の今日は、隠し味に珈琲を入れたカレーを作っている。
好きな物に囲まれてね。
結局、目標となる自分を叶えるために日々過ごす人が大半で善とされているが、
自分は、その風潮が嫌いだから
自分のやりたい事を複数イメージングさせ、日々小さな幸せのために日々生きている。
具体的には、
・海外へ行く
・韓国に住む
・指導者になる
・大切な人と過ごす
これらに、いつまでに といったリミットを設けない。
あくまでも自分のやりたい事なので強制ではない。
叶えられたら良いなっていう具合。
ただ、ここで大事なのは日々の幸せをひとつ以上、ないし5分間作ること。
=これがやりたい事への伏線となる
と考えている。
日々の中で、幸せの伏線をはっていくことで、それらが積み重なり回収した時に自分のやりたい事(自分の目標や夢)が実現する。
毎日を何となくで生きながらも
心が温かくなるような瞬間に出会うこと。
例えば、今日の自分は
近頃夜が寒くなり、すきま風の影響でさらに夜寝る時が寒いので
コインランドリーにニトリの極暖掛け布団を洗濯しにいった。
待ち時間で隣に「bakery shop モモヤ」があったので寄ってみた。
シベリヤやアーモンドカステラが販売してあった。
お腹がいっぱいだったけど、甘い香りに食欲をそそられ、
昔ながらのお菓子で有名だとそそのかされ、
つい、買って食べてしまった。
これがまた最高に頬がとろけるような
幸せの瞬間で、心が温まった。
あ、俺ってパンが好きなんだな
また、昭和や1900年代が好きなんだなって
あらためて実感することができた。
誕生日の今日。
昨日、同期と裏原宿へ買い物へ行った。
フルカウントというデニムのお店で
セットアップを75000円で購入。
ジンバブエコットンを採用しており
究極の着心地のよさを体現している。
東京の街を歩いて
自分の可能性を知ることができる。
寂しさ、なんかより充実を感じるいま、
果たして俺は、どんな未来が待っているんだろう。
こんなしょうもない自分を祝ってくれる友達だけは、必ず大事にしたい。
23歳もよろしく。
Let go(feat柊斗)