お家の庭に花の種を植えました。
その人の価値が試される時とは、一体いつだろうか。
お金がない友達にご飯をご馳走したとき?
異国の地で一人旅をしたとき?
選手権1週間前に、全治8ヶ月の大怪我をおったとき?
生きてさえいれば、その人の価値が試される場面なんて沢山ある。
その時に、自分はどのような決断を下すだろうか。
自分の損得に対して重きを置くか。
他人の損得に対して重きを置くか。
きっと、状況に合わせて程よい塩梅で重きを置けることがその人の価値を表していると僕は思う。
最近の僕は幸せ者だ。
毎日がダイヤモンドのように光り輝いている。
朝起きて読む辻村深月さんの小説。
週末に観そびれてしまったサッカーの試合観戦。ラブコメ女王パク・ミニョン主演のドラマ。
とても、つまんないようで楽しい車校。
子供たちとふれあい元気を貰うことが出来るサッカースクールコーチ。
部活後にみんなで食べる夜ご飯。
主婦さんとたわいもない話をしながらするコンビニアルバイト。
以上の組み合わせで一日が成り立っており、所々に小さな小さな花を見つけることができている。
しかし、人生は面白いことに人順風満帆に花の蕾が開くことはない。
通りすがりの通行人が、土を吹っかけてくることもある。
自分の損得で、つまらない価値観で決めるスターティングメンバー。
善良者を装った傲慢な先輩。
自分の正義感を振りかざし、他人の愚痴を隣でぺちゃくちゃ喋り続けるオッサン。
どれも自分の価値基準でフィルターから目を通したとき、その人達が咲く過程を邪魔してくる。
そんな時に、自分はどうするか。
主観的になるのか、客観的になるのか。
ところで世界には、人口が約70億人いるそうですが、実際に接点を持てる人は30000人だとか。
確率で表すと、たったの0.0004%らしい。
それを聞いて僕は、一生の中で出会うほんのひと握りの人達をもっと大事にしようと思う。
確かに、人と人の対人関係は悩みのほとんどを占めていると言われているし、実際にその人と合う合わないとかいったことは多々ある。それでも、せっかく出会って自分の人生に踏み込んで来た人達であるから、もっと自分の人生に花が咲くように水や肥料をかけてもらいたい。そう思えるような心意気でいたいし、価値観でいたい。
だから、もっと色んなことを知るために外に出て旅をしたり、本を読んだり、映画ドラマを視聴したり、人と話したり、そういった類の事が僕には必要だ。
すると、やがて花の蕾を膨らみ始めてキレイな花が咲くだろう。
その花の名前が、「ベゴニア」だといいな。
花言葉は、「幸福な日々」。
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