世界を見る目
この小さな世界の中からは、外の世界がちがって見えます。私は小さい頃にコロボックルや小人や妖精の出てくる本、動物や鳥が主人公のお話を読みながら、その世界にいてその世界の目でものごとを見る目も養ってきていたのでしょうか。
もっとずっと現実的なことで考えてみても、人は普通、自分の視点、自分の位置からしか見ることしかできません。私も色々ハラをたてたり理解不能で悩んだりします。
仕事をしていても、身近な人づき合いでも、常識的な考え、それまで自分が培ってきた価値観、経験から身につけたもの、
いつの間にか強く思い込んでしまったものにとらわれそこから、いろんなものを見、判断しています。
さらには、自分では違和感を感じていても、合わせなければいけない、ガマンしなければと、曲げてがんばって、それに疲れてそこから動けなくなってしまうこともあります。
このとらわれの強さ大きさを、今あらためて感じています。きっとそれは個人のことというだけでなく、歴史的に積み重ねられ固定化してきたものでもあるはずです。
不自然で、アンバランスな世界は、何千年続き今があるのでしょうか。
いまこの目の前のカタチある(と思ってる)世界だけが世界なんでしょうか。
そうじゃなかったんだと、数年かけ、思うようになりました。なんと。これはほんとうの唯一の世界じゃなかったんだ。
これが世界と、だた自分がいつの間にか、思っていただけだった。
視点。
別のところから別の角度で見る世界。
全然大きさのちがう世界。
観察者のようにあること。
この世界は半分でしかない、いや、それは最低限で、もっと言えばこの世界の儚さと言ったら☁️
せめて、もう半分もちゃんとある世界を感じていたい。
植物は、ほんと自分にとって大きなものだったんだと再認識しています。
もちろんいろんな生きものたち、大地も空も大事にちがいないのですが、私には、植物🙂🌱かな?
植物の世界の空気を感じるような気がします。リーナちゃんもテルルちゃんも宇宙人だか妖精だかわかりませんが、なんだ植物つながりだったのかと、少し前から思うようになりました。
昔読んだ本の中の、小さなひとたちも。
本は1つの世界だから。そこにいて、その空気の中に、小さくあって、そうして‘目’が養われてく。
世界を見る目。ちゃんと見る目。
小さなものたちはずっと植物とともにあったのでしょう。
逆に大きく大きく遠い視点、高い、広い、古い、未来、ミクロの世界、いろんな視点を持つ人たちも、いっぱいいるのだと思います。
みんながちゃんと‘見る’こと。ちゃんと感じ、信じていること。それは見えない波のように、しずかに世界の流れを創っていくと思います🌎