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僕の好きなクリエーター026レディストロース

クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss、1908年11月28日 - 2009年10月30日[1])は、フランスの社会人類学者、民族学者。ベルギーのブリュッセルで生まれ、フランスのパリで育った[2]。コレージュ・ド・フランスの社会人類学講座を1984年まで担当し、アメリカ先住民の神話研究を中心に研究を行った。アカデミー・フランセーズ会員。専門分野である人類学、神話学における評価もさることながら、一般的な意味における構造主義の祖とされ[3]、彼の影響を受けた人類学以外の一連の研究者たち、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、ルイ・アルチュセールらとともに、1960年代から1980年代にかけて、現代思想としての構造主義を担った中心人物のひとり。

 構造主義と言うデザイン開発の手法

構造主義は曖昧な事柄を分類しグループ分けすることによって物事の成り立ちを知ろうとする哲学で、この手法は、デザインの概念などを考える時にも役に立つ考え方として使われてきた。

たとえば、デザインと商品開発をする際にはどんなモノを造れば新しい物を作れるのか?デザインにはコンセプトワークと言う作業があって、物を作り出す前に何故そのものを開発しようとしているのか?をでデザイナーは設計する前にしばしば考えなければならない。 

ものは、存在より概念が先行する。

初めてコップが生まれた理由は人間が液体を汲みたいから。という人間の発想があったはずだ。

液体を汲むには、単純に手で液体をすくう事も出来るが、より効率よく液体を運ぶにはコップが必要だった。

 コップは当初湯のみの様な形状だったが人間が火を使う様になって、沸かした熱い液体も運びたいと考える様になった。 そうすると、コップには手に火傷をしない様にコーヒーカップの様に取手が付く様になった。
こんなふうにモノは先に概念が先行して初めて生まれてくる。

デザインコンセプトワークとKJ法

そういう風に概念ををどんどん発展させて行く作業をコンセプトワークとデザイン業界では呼ばれる。
このようなコンセプトワークとは人の思考の事だから、 何を作ろうか?と考えた時に、説明がぼやけていてあやふやである。

そのコンセプトワークを行う時、人の思考のあやふやなぼやけた問題を整理する事が出来る方法が実はある。

最も有名なのはKJ法と言う思考分析法。このKJ法が、元をただすと構造主義にどうやら行き着く。

もともと、KJ法は川喜田二郎という東京工場大学名誉教授がデータをまとめる為に考案した手法で、この人は 文化人類学というジャンルで有名な人であった。
後に、この方法がデザインの指向をまとめる時に創造性問題解決に効果があるとして企業のデザイン室などで多く採用される様になったようなのだ。

もちろん、世の中にある商品は全部、この方法で分類し、答えを導き出している訳ではない。しかし、沢山の人間が集まって、いろいろな考え方や意見を出し、のちのちそれを分類し、まとめ、問題点と答えを見つけるのには良い方法である。

また、工場のQCサークルでも活用されたりして、僕はずいぶんお世話になった。

具体的にKJ法がどんな方法かは解説しても実に退屈なのでここでは紹介しない。興味のある人は『kj法とは?』でググってみてください。とにかく、思考をまとめて、グループ化して構造化、記号化しまう方法であり、曖昧な思考の整理がつきやすくなる。

僕自身は学生の時代にこの川喜田二郎と言う人が、専攻が人類学なのに、デザインを考える時に有効になるKJ法をどうやって考案したのか不思議だった。

レディストロースとデザインのつながり

そして、そのルーツを調べて行くとレディストロースと言うひとりの人類学者に突き当たる。
このレディストロースと言う人は言語学から神話の研究をして来た人で、構造主義と言う哲学を生み出し、後にサルトルとの論争で実存主義が哲学の主流だった時代を終わらた人である。

とにかくレディストロースと言う人は
言語こそが、風習、習慣、宗教、哲学、文化、呪術などに影響を与えていて、『人は目に見えない文化的構造を持っていて、人間の行動はその構造に影響されている』とする。そして、文明人と未開の土地で暮らす人たちの間には文化的優劣が有る訳ではない ただそこには人類学的構造の違いがあるだけで、 その構造がどちらが正しいと言う訳でもない。 だから、一元主義はよくない。お互いの価値を認め良い方向に影響し合わなければならない と主張した人である。

言語の違いとはどういう事かと言うと、例えば、consider と言う意味は 日本語では『みなす』と言う意味と『熟考する』と言う意味が有るが、『見なす』と『熟考』では日本語に訳してしまうと、全然意味が違う。

しかし、英語では consider は一つの意味でしかない。此の様に言語に違いが有るのであれば、種族や国によって、神の意味も、仕事の意味も、愛の意味も、全く違う。
もう一つ例を挙げておくと、虹は日本では7色と認識されているが お国柄によっては、3色と認識されている つまり、同じ事柄でも、言語学的には全然違う意味、イメージも含めて違う構造を持っているということである。

言葉の意味の記号化

このように言語の意味の体系(グループ化 記号化)が使っている種族や人種によっては全く違うので、言葉を使ってもたらす違った哲学や文化を持つ人間同士は、解り合えなくて当然と言う結果になる。考えが違って当たり前なのだから、お互いの良いところを尊重しましょう。そのためにはお互いの構造を理解しましょう。という事になる

そして、このレディーストロースって言う人の分析を後にアンドレヴェイユって人が、抽象代数でその構造を表現した。哲学に数学が関係してくるなんて、なんという面白い話だろうか!

僕が思うに、代数と言うのはつまり、数字だけの話ではなく、デザイン業界で言うとブランドの事であったりする。
デザインそのものもじつは記号なのだが、ややこしいのだが少しだけ説明すると。

例えばリンゴっていう果物を説明する時、色は赤くて 味は甘酸っぱくて、食べるときの食感はシャリシャリしていて、植物で、表面はつるつるした手触りで、香りがよく、花は白い花をつけている。と言う風に、えんえんと説明出来る。

そのイメージをひっくるめてグループ化して『りんご』っていう名前を付けることによって、つべこべ説明しなくても1発でりんごとは何かを人は理解することが出来る。言葉とは此の様にある出来事を記号化しているのである。

これを、りんご=『りんごとは、色は赤くて、云々の説明』=AL と言う風に代数に置き換えるとAL=りんご とイメージ付ける事が出来る。イメージがつくと、つまり記号化が成功したことになる。

そしてALはうまい!と言うと アップルの定義が解っている人は『ああ、リンゴはうまいね?』と即座に解る訳である デザインの世界ではこういう代数的記号の手法を応用してイメージをブランド化して行く。

ブランドとは代数だ

たとえば、ルイビトンのブランドのマークを見ただけで シックで知的で 大人っぽい そしてベーシックで伝説的であるという風なイメージが人の頭に浮かぶまで映像や宣伝を繰りかえす。すると、それを見た人は印象づけられ、頭にはブランド=記号化が進み、ルイビトンと言うブランド あるいはマークを聞いたり見ただけで、人は あの茶色の鞄のあれだ!と解る訳である。

つまり、ブランドとはデザインやイメージや言語の集合体であって、構造主義的代数だ!と説明出来る訳なのである。

そんな風にして、構造主義はイメージや映像や言語をグループ化し記号化してしまう。デザインとブランドが紐つけされるわけだ。

記号化すると何が出来るのか?デザインの世界では物の成り立ちや考え方が分析しやすくなり、全く新しい商品が出来上がる。そしてブランドイメージが出来上がる。

ブランドイメージは物の価値を引き上げる役割を通常はもっている。

ブランドを大事にするメーカーは人の真似をしない。人の真似をしていると、わかる人にはわかる。

すぐに真似をする企業は、私たちのブランドは、人の真似をする安物ですと言っているってことになる。

こんな風にレディースストロースと言う人は人間は此の様な目に見えない構造に縛られていると主張した人だ。
この話どっかで聞いた様な話だなーと思っていたら、映画マトリクスの話に出てきます。

映画マトリクスの様に見えない世界が取り巻いている

マトリクスというキアヌ.リーブス主演の映画があったがその映画の世界観も主人公は目に見えないマトリクスという構造に取り囲まれている。この映画の世界感覚が構造主義に実は似ている。

そういう目に見えない構造が私たちの周りにある。しかし、だからどう生きるべきかと言うその先には人類は知らない。
ドーキンスの利己的遺伝子という書物では人の肉体はたんなる遺伝子の乗り物だと書かれていて、人の脳が作ったミームという知識的な構造が世界に影響をあたえつつあるという所で終わっている。
 
結局、構造主義以降の哲学は今のところその先に行っていないという事で、せいぜいデザインの分析ぐらいはできても、
僕らはやっぱり何も分からないまま存在しているに過ぎない。


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