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僕の好きなクリエーター051 村上春樹
村上春樹のデビュー
村上春樹がデビューしたのは、1979年。
村上春樹の小説が好きと言っても、初期の頃の小説がいい。 最近の作品はもうほとんど読んでいない。
初期の頃というと三部作 風の歌を聴け 1973年のピンボール そして羊をめぐる冒険 そして世界の終わりとハードボイルドワンダーランドくらいを僕は初期と勝手に定義してる次第です。 初期の頃と今の作品とどう違うんだって言われても困るんだけど、僕なりの理由はあります。
1973年のピンボール
三部作の中には よく登場するキーワードみたいなものがある。
ビール ジェイズバー 女 鼠という友人 ジャズ それらと絡めて色々な物語が発展していくが、主人公は結局どこにも行けない。僕だけの感じ方だろうけど、雨上がりの草原をどこまでも歩いている。で だんだんと主人公には何も無くなっていき、ひとりになっていくようなそんな文章。
その三部作中でも1973年のピンボールっていう小説が好で。1973年のピンボールについては僕の個人的な思い出とリンクする。だから好きなのかも。
ピンボール
物語はある日、「ジェイズ・バー」で知り合った「鼠」が熱中していたピンボール台「スペースシップ」を探すことになる。
探すうちに スペースシップは巨大な倉庫で誰かにコレクションされているということがわかり、会いにいく。
数100台も並ぶピンボールの中にスペースシップがあり 主人公はその台と出会い会話する。 まるで昔の恋人に出会うように やあ、どうしていた?みたいな会話がピンボールをしながら会話される。
鼠という男
僕はこのシーンで思ったのだけど、ジェイズバーで知り合ったとされている鼠という男は、初めからいなかった気がしてならなくなる。
羊をめぐる冒険では鼠がいなくなる。 主人公は鼠を探し続けて、そして終盤ふたたび、鼠とやっとの思いで出会うのだが もう死んでしまっているって流れになる。
死んだ人間と会話するというのは 初めからいなかったんじゃないか? 鼠とは主人公のもう一人の自分で、分身だったのではないかという気がしてくる。
鼠はいつも苦悩しているが、何に苦悩しているか小説ではわからない 鼠の私生活もほとんどわからない。
主人公が昔の恋人と話すようにピンボール台と会話するシーンは 主人公の孤独が伝わってくる。 それと同じように鼠の主人公が作り上げた人格だったのではないか?
この小説に明らかな答えはないけど 最後に主人公が何もかも失って一人になってしまって ぽっかりと寂しさだけが浮かんで 終わる。
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」という小説も同じようなことで、二つの世界を行ったり来たりするうちに主人公から何もかもが無くなっていく。そしてやっぱり孤独と寂しさがぽっかりと浮かんでこの小説も終わる。
この小説は例の レイモンドチャンドラーの小説のロンググッドバイの影響みたいなものが見られるのも好きなところ
初期の村上春樹がなぜ好きなのか?
村上春樹の初期の小説の主人公はどんなことが起きても いつも自分を冷静に冷めた目線で見ているようなきがする。 だから文章が平になる。 でもそのたいらな文章の奥に、深い悲しみとか激しい怒りとかを孤独の中に缶詰みたいに閉じ込めている。そんな状態が表現されているような気がする。
最近の村上春樹には そのような圧縮された孤独や悲しみ みたいなものがちょっと薄れてきた。 だから僕はもう読まなくなったのかもしれない。
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